2025年11月13日(木)

だらだら過ごしていたら変な時間。凪いだ気分で過ごす夜は居心地がよくて、いつだったか書いたみたいに小瓶入りの夜一晩ぶんとか、夜を嗜好するひとのための週単位の量り売りの長夜とか、倦んだひとのための当分明けない夜とか、そういう夜を売っているお店がほしくなる。あくびがでた。おやぷみ。

2025年11月12日(水)

メンタルは多少まし。電話が多くてやりとりしたり留守録に入れたり出そびれたり。夕方、カラオケに行って一時間ほど歌ってから、写真協会の地元の支部の集まりを見学させていただいた。お年を召した方が多めの和気あいあいとした雰囲気で、各人が撮った写真にたいして招かれた講師が品評していくスタイルだった。あとでじぶんのも見ていただき、なんというのか、いろいろ褒めていただきつつ、あくまで写真とじぶんのしたいことでは方向性が違うぽいなーと感じた。帰り際、写真協会の役員でもあるというその講師さんと二人きりになり、「作品をコンテストに出したことはあるんですか?」と訊かれた。いいえまったく、ひとりでこつこつ撮ってきましたし、と答えると、「あなたは小さなところからじゃなくて、大きなところから狙って出した方がいいと思います」とアドバイスをいただいた。そうやっていまの自分の位置も確かめつつ、と。「自分の表現をまっすぐに伸ばしていってください」と心強い励ましをくださった。その後スーパーで買い物をして帰途。ううむ。。。なにを言われたのかは理解したアドバイスだったけれど、いまじぶんは愛着の傷から回復することが最優先で、それをなんとかして行動力を回復しないことには、撮ることにまで手が回らないのだよね。こうしたときは古きよき知恵、急がば回れ。作家協会のほうには入会希望の電話を入れたものの留守録で、伝言は残したけれどどうしたものかという感じ。写真協会では写真の講評と地域イベントへの参加がメインのようなので、作家協会のほうがじぶんのしたいこと=レンズを使って幻想的なものをかたちにしたい、という話が通じる感があるなー、という手応え。いま急ぐことはないか……。どうでもいい話するけど、ポリッシュでグラデーションつくるのむつかしい! 薄く塗りつつ位置を変えながら重ねるとか、スポンジのうえでグラデつくって爪に移すとか、筆で混ぜるとか、どれも難易度高いんだけどじぶんが慣れてないだけなん? まあそれはひまなときの話。もうゆっくりしよう。

2025年11月11日(火)

きのうはメンタルがきつくて書きそびれた。本気でしんどい。ポストカードのデータに若干変更を加えて再注文。手元で試行錯誤する用に、はがきサイズのアラベールもポチった。確実な回復のためにねむる。

2025年11月9日(日)

雨降り。車屋で話したところ、保険特約で新車が買えるということで、そのように。カラバリも期待通り、冬タイヤくっつけて、オプションもあれこれ。まあ保険使うことでそのランクが二つか三つ下がり、保険料は三年間上がるのだけれど、全体を含めて出費はそこのみ。この件で道交法的には点数に影響がないため、このままなら次の免許更新ではゴールドという。塞翁が馬かな……。そのあと輸入ビール屋であれこれ仕入れた。注文したオフセット印刷のポストカードは印刷所から発送されたとのこと。いまちらっと思ったのは、難儀なことに折り合い付けてきたんだからいまさら予期不安や悩みくらいで煩わされることもないでしょ、という。悩むことはあるだろうけれどその都度対処するということ。

2025年11月7日(金)

のんびり。買いものの帰りに一時間ばかりカラオケをした。前よりも声がよく出るようになっているし、楽しさの余韻もより長くなってる。体感がほんの少しずつ変わってる。バンプとかスキマって歌うと気持ちいいんだね。何周遅れの境地だろ、逆にすごい。というか流行る歌にはそれだけの理由があって歌いやすさも含むことを繰り返し感じる。クロマニヨンズの気持ちよくさせてくれる側面にもびっくりしたし、平沢進よいかもと思うじぶんが意外。そして思う、手元の音楽ライブラリに入ってる歌は女性ボーカルが多いのだなということ、そして圧倒的にインストゥルメンタル(ボーカルのないジャンルの)な楽曲でできているのだな。基本的に時代もジャンルも脈絡なく個別の楽曲をすきになるたちなので、アーティストから入っていくということが多くはないのだけれど、松任谷由実と槇原敬之はなぜかアルバムを片っ端から漁っているのだった。後者は来歴にシンパシー感じるからだろな。これだけ多作な方の歌を聴いていると、その歌が人生のどんなステージで生まれたのか、そのときのありよう、葛藤から許しまでも感じ取れるようで、ただ歌を聴いているだけではなく人生の滋味を味わわせてもらえる感じがする。こうしたことってたまにあって、一時期は椎名誠の大量に出版されているエッセイや紀行をむさぼるように読んでいた。そうしているとやっぱりひとりの作家の人生を追う視点が生まれてきて、直接会ったわけでもないのにその人の好きなとこや嫌なとこや歩んできた風景もよく知っているような気がしてくるんだよね。いまふと思ったのだけれど、あれだけ偏愛しているのにトーベヤンソン・コレクションだけはまだ手を出してない。たぶんそれにふさわしい時期がくれば自然と手が伸びるはず。話変わって、じぶんに安心を教えるってどういうことだろう、と思ったりしていた。おそらくそれはあまりにも長いこと縁遠すぎて、身体が知らないのと同じ状態になっている。ゼロの概念を知らないひとにそれを教えるようなもので、教師がいればいちばん早いというのはそう。たぶんね、細かく具体的な身体のケアを大切にする、大切にされるという実感から教える、というのはよい線だと思う。ストレッチで身体をほぐすとか。もう遅いからねむろう。

2025年11月6日(木)

信田さよ子『共依存 苦しいけれど、離れられない 新装版』(朝日文庫)を読み終えた。本の帯にある「誰かにとって『かけがえのない存在』になることの快楽は、支配の快楽と同じだ。」という言葉のその意味に、自身に起きたことと重ねて、嫌悪(やわらか表現)を感じずにはいられない。じぶんはそこから自力で抜け出したのだなと思う。夕方からベッドでごろごろしていたら変な時間になっている。まあここ何日かはだいぶん活動的だったわけだし、そうでなくともすきにしたまえ。夜更かしってたばこに似たところがあり、それができるときにはよいものだよ。おやぷみ。

2025年11月5日(水)

仕事帰りに相談員さんと待ち合わせていくつもの書類にサイン。今後の支援について、愛着障害から回復するために専門家も介入する、という方針で固まった。ほか、歯科に予約を入れるなど。原付では朝が寒いのでタイツを履いているのだけれど、足が温まると眠たくて、夕餉から日付の変わりそうないまままでまどろんでしまった。おふとんへいこう。

2025年11月4日(火)

地域の作家協会展の最終日にギャラリーを訪問。陶芸から木工、絵画、写真、染色、そのほか幅広い作品の展示が行われていた。この地域でなにかを作っている方々の活動の片鱗が伺えて、なにがというのはむつかしいのだけれど、とてもよかった。なんだろね、そうした方々の存在が分かったことで、物理的な地域と重なる水脈や葉脈のような地図が描かれた、ということだろうか。ひととおり眺めて戻ると、テーブル席で雑談していた作家さん方に招かれ、コーヒーをいただきつつ話に交ぜてもらった。自己紹介する機会などあるかなと持っていったポートフォリオボックスやポストカードはばっちり役に立ち、つぶさに見ていただいて、「エロティック」「抽象的な視点」などの感想をいただいた。連絡先を交換していただいたり、写真家さんを紹介していただけるかもしれなかったり、当のこの作家協会にお試しで入会するかも。こちらを覚えてくださっていたオーナーさんからは、ポストカードにエンボス加工という手もあるよとプレス機を使わせていただけるとのこと。協会の年齢層は高めのようで、じぶんくらいまでの年齢層での在籍(?)となると幾名かだそう。三時間ほどと長居をしたすえお礼をし、帰途へ。途中で豚骨ラーメンを食べた。なんか急に所属する場がまたひとつできそうで、協会で会合などあればいろいろな方々と話ができるかもしれず、それはよいとも悪いともなく、不思議。社会的にはスタンドアローンな存在で長いこと過ごして、それでなんら困るわけもなく好き勝手楽しく過ごせてきただけに、ひととのつながりができるとどうなるんだろうね。未知。思うのは、幸運は準備して待ち構えているひとがすきなのだな、ということ。自信がついたら行動するのではなく行動したぶんが自信になる、みたいな話よね。あるいは、細々としたことを整えているとものごとの流れが滞らなくなり、よい循環へ入っていける、みたいな。こうしたことってここ何日かで身の回りをきっちり掃除/整理したことと、関連というか相関はあるのだろうな。端的に、掃除って流れのありかたを示すものなので。話は変わり、何日か前から仔猫のケージは開け放して、居間と台所は自由に過ごせるようにした。ら、仔猫がなんだかおとなしめになった気がする。閉じ込められているという感覚があったからこそ出してもらえるときには活発だった、あるていど自由になったことで抑圧がなくなり、そのありようも落ち着き寄りになった、ということだとよいのだけれど……。♂は初めてだし、この子はたいへんなやんちゃになるかもとさえ思っていただけに、大きくなるにつれ振る舞いが変化することに対して、ちょっと様子見になっちゃうな。じぶんは仔猫を愛せているだろうか。そういえば仔猫、こちらの肩に乗って過ごすことを覚えた。先代はそうしたことをしなかったから、これはこの子の個性なのかなと思う。うん、こちらはもう眠るのだけれど、階下で運動会してる足音が響いてくる。元気は元気そうね。

2025年11月3日(月)

朝、業者に水道管を応急手当てしてもらい、とりあえずお隣さんで水は使えるようになった。水栓部を持ち帰ってスペアを用意するようで、それはあす以降に。周りの痛めた部分も別の業者や保険屋と連携して修理対応していただけるというので、そのように。うん、ひとまずなんとかなるね。そのあとかつての通所先へ向かい、相談員さんや担当スタッフさんと近況を共有。いまは生活や仕事は安定しているから、じぶんとの関係を結び直すための期間と捉えてあれこれ試みている、と伝えた。それに加えて愛着の傷や複雑性PTSD、アダルトチルドレンといったものに詳しい専門家とコネクションを取れたら、と。相談員さん曰くこの件はNPOさんにも共有してくださるそうで、こちらからも話を通しておくつもり。あとはさまざまな書類にサインが必要で後日またくる必要があったり、当初助っ人として転勤してきたじぶんの担当スタッフさんがこのたびセンター長に就くことを伺ったり、その関係で担当が変わることや、お世話になったスタッフさんがもうじき辞めることなど、いろいろ。帰り際、友だちからそこのスタッフになったと聞いていたLOVOTを抱っこさせてもらった。抱いているとぬくさが伝わってきて、触れると目の表情豊かに声を上げるのがかわいい。いつも利用者さんに構ってもらいたがってますよとのことで、センター長代理という立派な肩書きももらっている子だった。去り際に見送るような仕草をしてくれた。帰りはなんとなく外食をしたくなり、適当に見つけた中華料理店で鶏翅湯麺とよくわからない干焼蝦仁というのを注文。不思議なスパイスと鶏の出汁が利いたタンメンと、身のはじけるようなエビチリだった。中華料理、これまでとくに縁があったわけでもなかったけれど、やっぱり食べるとおいしくてよい気分。うちへ帰ってきてからは残した掃除をしたり、シャツにアイロンをかけたり、名刺代わりのポストカードを組にして詰めたり。ここ何日か行動が前面に出ているのはよいけれど、休んでいるという感触がちょっと薄れてきていることも感じるので、このへんで抑えてもよいかも。とはいえ、もうきょうはギャラリーでの作家協会展が最終日なので、それだけは覗きに行けたら。