明け方は2度まで冷え込んだらしい。日中の日差しは柔らかで、秋の色彩にくすんだ風景は透明さを帯びていた。那須の山々が冠雪している姿がここ平地からも見えた。道の駅に展示されていた菊の鉢は、こんどの土日に開かれる市の文化祭へ持っていくのではないかなあ。すいかずらに殺ダニ剤のバロックフロアブルを希釈して噴霧。風や雨の当たらない室内にいるため、うっかり葉ダニがはびこってしまった。薬が効くとよいな。
2020年11月4日(水)
リングフィットのカスタム機能を使い、腕のみと腹部のみのメニューをそれぞれ登録してる。あわせて二十分くらいのコースなのだけれど、意外と苦痛ではなくなってきたかも。一、二週間前はきつくて休み休みこなしていたレッグレイズが、一セットならまあなんとかくらいの気持ちでできる。ウェストやそけい部の少し上あたりに効いたような余韻を感じるのはけっこういいものだ……。スワイショウで腰を痛めてバファリンを飲んでいた先の冬から比べると、日常の立ちしゃがみの動作なんかは気にしなくなるくらい快適になった。サボってばかりのトレーニングでも続けることでQOLは上がるんだなー。Netflixに入荷していた水曜どうでしょうの家つくり編を見終えた。その次回作というのがあり、まずはお膝元で放送されているところらしい。そのほかの地域での放送は未定とのこと。気になる。かなり前にとちぎテレビで流れていたアフリカ編をおおむね見損ねたことも手伝い、海外ロケへの期待値が確定されないままに上がってる。
2020年11月3日(火)
昭文社の世界地図帳から創作に使いたい地名をピックアップ。こちらは帝国書院の新詳高等地図よりも地名が細かく載っており、もっか重宝してる。長いこと本棚の肥やしだったのが、ここへ来てやっと日の目を浴びた感じだ。本の価値っていうのは紐解かれるまで塩漬けにできるかどうかにあるんじゃないだろうか。『ムーミンパパ海へ行く』は作中のエンディングと同じ十月三日に読み終える予定でいたのだけれど、じつはまだ読みさしにしてる。読書ってどのみち自己満足だしね。そちらを読み終えたら、例によって『ムーミン谷の十一月』から『ムーミン谷の冬』へ渡り歩く予定。『海』の中盤でママが放った「やけにおもしろいぞ」というあの悪い言葉は、ああした状況で言い換えるなら「くそつまんねー」くらいのニュアンスなのだろうと思う。そうだとすると、あの時点でママはもうかなり心をやられていたことになるのだけれども。ムーミンママは自己主張が強いくせにそれが表立って表れにくく、やるべきことを取り上げられると簡単にやつれる。家族の再生が一つのテーマになっている『海』で、ママのそうした揺らぎというか不安定さがどこで解決されたのかというと、作中では「だんだんに気が大きくなってきて、りんごの木の後ろに隠れたりしなくなった」のあたりなのだけれども。ムーミン作品の特徴な「貸し借りの関係なく場の流れと自分の力で解決」が介在したとすれば、ママは創作活動を通じて自己治療しました、っていうことになる。身も蓋もない気がするので、もう少し掘り下げる余地はないだろうか。季節の移ろいにあわせてムーミンを読めることに、震えるような喜びを感じる。ベネディクティンDOMは薬草くさくてちびちび舐めるのに向いている。甘くておいしい。部屋のなかにいるすいかずらはいまも花を咲かせ、甘く鋭い香りを漂わせているけれど、よく見ると粉を吹いたような葉ダニの姿が目に入る。そちらとは同居したくないのであとで殺ダニ剤を使うつもり。
2020年11月2日(月)
本を少し読む。関心や注意を引くもののうち、要らないものはそぎ落とすべきかもなと思う。心からやりたいことって限られているんじゃないか。リソースは集中したほうがかたちになるよ。後ろ髪を引っ張られているように感じるとき、たぶんその多くは自分の心がつくる執着やこだわりで、手放してもどうってことない場合が多いのでは。今さらといえばそうしたごもっともな話を書いている。
2020年11月1日(日)
朝から果物市場へ出かけていってぶどうや洋梨など買った。種あり巨峰三ふさが350円。そのぶどうのパックをかごとカートへ過剰積載している男性がいた。ご家庭で消費できる量を超えているように見えたけれど、あれは我を忘れたんだろうか……。それから道の駅へ向かい、産直やフリマを覗いたり、ポケモンGOを開いてアイテム回収をしたり。市街を歩いて写真を撮ることも予定していたものの、思いのほか疲れを感じたため一度うちへ戻った。夕方になり、こたつカバーや敷物を洗うため母とコインランドリーへ出かけ、ついでに車も洗う。マジックアワーが迫るころにはだいぶん気だるくなり、とうとう撮りに出かけることは延期してしまった。布団へ入って楽になりたい。手荒れが気になり購入した缶のニベアは蓋が外しやすく、持つとき少しひやっとする。缶の中のクリームを見るたび、へらかナイフでいい感じに切り出してどこかに盛り付けたくなる。ポケGOのハロウィンイベントでの目的にしていたシャンデラは、育てるのにおおよそ十分なアメとともに確保でき、あとは砂だが……といったところ。もうベッドへ行こう。
2020年10月31日(土)
ラジアンFからの(時間的に)午睡。椎名誠の雑魚釣り隊の本を読む。長いこと先の見えない暗闇をさまよい、やっと暖かい日の光の下に出てほっとしていたら、さらに広い夕暮れの草原へ道は続いていて、空の色の移ろいやあたりを吹き渡っていく風や草のにおいが地上の果てまで続いていると知る、そうと望めば広い世界のどこへにも行ける、そうしたしみじみと心の中を広がっていく現実への感動は、迷い続けた者がいちばんよく知っているんだろう。ただそれだけの実感のために支払う代償はあまりにも大きいのだけれど、この世界の驚異を受け止め、生きていることへの喜びを受け止める誰かが、例え歴史やかたちには残らないとしても、世界への敬意を払う主体として地上のどこかにいて、そのありのままを見届けるべきなんだと思う。
いつも何度でも / 木村弓
去年の五月の暑い日にフリマで発掘したシングルCDの曲。この歌の歌詞にほろほろと涙がこぼれる。
2020年10月30日(金)
通院先の先生にリハビリを目指せたらと話すと、隣町の支援センターでいろいろ話を聞いてみては、とアドバイスをもらった。電話を入れてからの方がいいかもね、という。あなたは趣味が多くてよい、よくやっている、というふうな評をいただいた。それから、どんなことでもリハビリになりますから、とも。つくづく思うのだけれど、外界へ出かけていく動機が欲しくて2008年頃にデジイチを手に入れ、写真を趣味にしたことは、その後の生活の質に好ましい影響を及ぼし続けているなあ。嬉しいことに性に合っていたようで長続きしているし、これをなんらかの形で生きていくことに活かせたら、やりがいがあるかもねと思う。
2020年10月29日(木)
はがきを投函。身体上部のカロリー補給にどら焼きとキャラメルを買った。発破が掛かったと思って頑張ろうな。
2020年10月28日(水)
『最強のふたり』を観た。ふたりの絆は今も続いている、とエンドロールの手前で言われると、特に実話を求めていなくともこちらの感情はほだされるものだね。障害を負った裕福な男性と、彼を介助するスラム出身の男性が交流する物語なのだけれど、「金はかかるけど私はリッチな障害者だからね」というせりふが、とにかくつよい。最初からそういう話と言えばそうで、こちらとしては「お金があるっていいねえ」みたいに思う。未明に幻想痛(幻肢痛?)の発作のあと河畔に連れ出されたフィリップが、「空気が気持ちいい」という言葉を皮切りにドリスと会話していく場面が、なんの変哲もないように見えるけれどしっとりとして人心地がついており、自然でよかった。まあ大麻を吸わされて饒舌になっていたというのもあるんだけれど。いまそのシーンを見直して気付いたことなのだけれど、フィリップが暗いなか幻肢痛で喘ぐとき、ドリスの後釜のおっさんは別室のベッドで寝ていたのに対して、ドリスはフィリップのベッドの横にいて椅子で寝ていた。ああ、そういうところもきちんと描写されていたんだなー……。フィリップの誕生日にふたりがお気に入りの音楽を披露し合う場面や、そうしてみなが踊ったあとでひとり寝しなに入るフィリップの真顔なんかが、よい対比になっていて好きだ。友達から、この映画が好きならこちらもよいよと『グリーンブック』という作品をおすすめしてもらった。『最強のふたり』は裕福な白人にスラム出身の黒人という配役だったけれど、グリーンブックはそれが逆転したような構図になっているそう。次に観る映画はたぶんこれ。ここなん日かでBOOTHにて購入し、すでに手元へ届いたアルバムは三つ。Recezza. (CD) は二胡+ジャズ。いいもの見つけ出したと思う。『Bird’s-eye Viewing』の、鮮明な風景の中を移動していく感じが好き。Iris Tears はデモムービーからの連想が入るけれど、夕方の散歩のようなアルバムに感じられた。ゆったりのんびりしていて、日中の日差しのぬくもりが辺りにたっぷり残っているような時間帯かなあと思う。pf_es はしんとして冷え込むような静けさ。各曲の題名を辿るとどうやら、秋ごろから大晦日を越えて春の夜へと時が経過してる。紙のジャケットもおしゃれ。今回たまたまBOOTHを漁ったらM3という音楽イベントに重なっていたらしく、浮上してきた美味しい作品に触れることができた。あと一枚も近く届く見込み。
2020年10月27日(火)
数日前に那須岳が冠雪したらしい。高原山や日光では紅葉が見ごろだとニュースでやっていた。
