ばらを移植したり、残りの苗を植え付けたり。日中は暑いくらいの気候になってきた。さっき久しぶりにリングフィットをしたところ、楽。おそらく体力のベースがごくゆるやかに上がり続けてる。
2022年5月18日(水)
午前中は用事を済ませるためにあっちやこっちへ。昼からは面談。夕方、疲れて少し眠ってしまった。このごろしんどい気分が慢性的に漂っている。開放された場所をふらふらすることとか、あるいはだらっと過ごすとか、そんなのをしてもよいかも。もうのんびりする。
2022年5月17日(火)
ここしばらくで撮った写真はLrのライブラリへ読み込ませたまま、RAW現像が手つかずになっている。時間と気持ちにもっとゆとりがあれば現像に向かえるのだけれど。音楽ライブラリを拡充したくて、年代別名盤リストみたいな記事を参考に中古CDを漁っている。あしたは面談があるから早めに眠るべし。
2022年5月15日(日)
ベッドのなかでぼんやり過ごした日。そろそろ日付は変わることだし、あしたのために休むがよい。吉田篤弘×フジモトマサル『という、はなし』のなかに「日曜日の終わりに」という短編があり、一週間の繰り返しのうちにある憂いと再生が、日曜の夜の台所でさらっと触れられる。まるで水平線のかなたにきらりと輝くなにかのように、染みこむうるおいを持って。フジモトマサル氏が2015年に亡くなられていたことをさっき検索して知った。
2022年5月14日(土)
カルミアのほかに検討していた目隠しの植栽について、八重のくちなしと常緑性ガマズミのビバーナム・ティヌスを注文した。くちなしはオオスカシバ対策のコストがかかるけれど、まあいいかと判断。
2022年5月13日(金)
まだしんどい。
2022年5月12日(木)
少ししんどかった日。
2022年5月11日(水)
自分が同人やインディーズ系の音楽を好きなのはなぜか、たまに考える。ネットへアクセスし始めた思春期に触れやすかったのが、見知らぬ誰かがホームページで配布するMIDIやMP3だった、というのが大きいかなと思う。そのころアマチュアの音楽制作者が集って作品を公開していたmusieというサイトで、自分は聴き専としてあれこれダウンロードさせてもらい、そうして手に入れたMP3のかなりな数をいまもこよなく愛している。エレクトロニカや打ち込み系があいかわらず好きなのも、三つ子の魂百までというやつなのはたしかなのだけれど、もう少し掘り下げてみるとこうではと思い当たるものもある。自分は手作り感や不揃い感に惹かれるんじゃないだろうか。光り輝く宝石であれば持つことのない、鉱物が宿す複雑な滋味やいびつさ、こうしたものに(も)魅力を感じるんだと思う。これを言い換えるとしたら、誰もが好むような商業ベースの作品と比べてより制作者の一部分であると感じられること、作り手との距離の近さ、だろうか。少し逸れるけれど、個人的な植物の好みは花壇のお友達といった草花より、雑草と呼ばれる種族に傾いている。そんなことも含めると、自分が手を伸ばしやすい基準みたいなものは、距離を感じる/純粋さや完成されたものより、身近/雑然とした手触りを持つ側寄り、になるのかな……。雑然としていることが含む豊かさには驚きや思いがけなさが隠されていると思う。あ、驚きを求めているのかもしれない。驚きや思いがけなさに出会いたいなら、メインストリームから少し外れて辺縁を渉猟してみることは有効だから、そうしたお宝探しをするような傾向が音楽では同人やインディーズ系の作品へと向けられているのかも。頭がぼーっとしたままでまとまりもなく書き出してみたら、以前よりはしっくりくる理由が見つかった。きょうはこのへんで切り上げ。
2022年5月10日(火)
身のまわりの雑事を片して過ぎ去りし日。
2022年5月9日(月)
雨のなか病院へ。アクリル製作と庭の作業でほったらかしになっていた、脚や腰回りのストレッチを再開した。三週間ほどブランクがあるけれど、よく馴らしたら比較的あっさりと可動域は広がった。いったん体が作られているとこうしたお得さがあるんだなー。アクリル制作の負荷を食で発散したためにいくらか太り、ダイエットも再開したところ。こちらは続けさえすれば納得いく水準へ到達できるのではないだろうか。冒頭の懸案二つはなんとかこなしたから、やるべきことを少しずつ片付ける生活に移りたい。基本は勉強とリハビリ+お仕事探し。
