お仕事のあとカラオケをしてうちで仔猫の相手。同僚のひとりが疫病でお休みしているとのこと。動きやすい季節だからいろいろ指示しやすいように、ということで、なるべくTさんが出勤している曜日に合わせて来てほしいと頼まれた。それはよいとして、お休みしている方とTさんとの兼ね合いからあす出勤したものか、その場で訊ねておけばよかった。明朝の気分で決めようか。帰りに一時間ほど歌いカラオケ店から出た道々、数分かせいぜい十分くらいのあいだ、楽しいという感じをほんのり余韻のように感じた。すごい。じぶんはパーソナリティ特性や感情の抑圧などたぶんいろいろな理由から、ポジティヴな感情の感じかたが水のように淡いのだよね。この身体から生じる楽しいという高揚した感じって、感じられるんだ……。おとといにはふわっと薫った金木犀は、もうどこを走っていても風に乗って流れてる。あんなに暑かった夏も洗い流されてすっかり秋風が吹くことだし、そろそろひとり鍋をしたい。しまっておいた小さな土鍋はいつのまにかふたが割れて使い物にならなくなっていたから、そのうち新調を。鍋というとサークルにいたころの鍋会の思い出がよみがえるなー。めちゃくちゃなときにあってもそうしたことは輝かしかったのだろね。幸せの風景って、ひとんちのアパートの狭い玄関が脱がれた靴で埋まっている眺め。このところ疾患と過去の経験について触れることがよくあるのは、よく言えば一段落して振り返りや解釈ができるようになったということでもあろうし、別の見方をすればもうそこにはいないことを確認しているのかもしれない。なんにせよ古傷を撫でる愛しさ。文章をばたばたと打ち込んでいるときって体調は悪くはないのだよね。ひとまずあすのためにねむる支度。谷川俊太郎『行先は未定です』(朝日新聞出版)を読み終えた。
2025年9月28日(日)
スマホを修理へ出した。洗ったりシャワーがかかったりするとレンズの内側に水が入るようになったんだよね。さいわい下取りに出さず手元に残した予備機があるから、修理中の不便はなさそう。産直で四角豆(うりずん)を手に入れナムルにした。初めて食べるように思うけれど、特有の風味と歯ごたえがおいしい……。疲れやすさや怒りなどネガティヴ思考の反芻について、要因となっていそうなことや変えられそうなことを書き出したり、ChatGPTに相談したりしていた。あれこれあるなかで呼吸の浅さは影響が大きいかなと思い、夕方くらいから深い呼吸を心がけてみたところ、なんか今夜は思考の反芻をしないね? というわかりやすい手応え。たまたまという要素もあるにしろ、呼吸を深く整えることに関してはさまざまな方面からメリットを聞くし、気分が多少すっきりするような気もするから習慣化したいなー。声や呼吸のあたりにはこれまでの生き方が反映された課題があると感じていたから、覚えたカラオケの楽しさも含めてじっくりここちよいかたちで、変えたいものは変えて楽になれたら。ふと思ったこととして、ここで雑記を書きつけることはもうそれ自体が目的化した、自己目的的なことなのは自覚しているのだけれど、書くことで毎日ささやかなフロー状態に入っているのでは。どうだろ。たんに書きつけることのコストがなくなって習慣として書いているだけかも。どう捉えてもすることは変わらないんだけれどさ。深呼吸のおかげかねむたい。あすに備えておふとんへ。
2025年9月28日(日)
輸入ビール屋さんへ。ねむたい。
2025年9月26日(金)
引き続きのんびり。コンビニでとなりにいた親子連れが商品を落としてしまったので元に戻したら、子どもが「うちのおかーさんもときどきそういうの指にぬってる」と話しかけてくれた。ありがとうねと言って手を振ったら振り返してくれた、のがきょうのハイライト。楽な日なので、ネガティヴな思考や感情の出処について思うことがあったりなかったり。疾患に関してはもう折り合いがつき、日常は取り戻したし、もししてみたいことがあるならそれに取り組んだっていいんだよ、というところにいる。たぶん人類史が始まるころからついて回った根深い病であり、この疾患を抱えつつ日常を送ることは、精神とその医療という地図のない暗黒大陸を渡ってこれまでにないフロンティアに立っている、そうしたスピリットだと誰にも言わないけれど自負してる。ここからの課題は疾患という氷が溶けたらその下から現れた、愛着障害やアダルトチルドレンといったものについて。現状の取り組みはすでによい線を行っており、必要なのは時間をかけることだという感触がある。じぶんのなかでとくに傷の深かった各時期をこぎつね、うさぎ、おおかみの三人にし、じぶん自身が親となってみんなといっしょに行くことにしたとき、もう方向性は定まっていたんだなーと思う。冒頭のネガティヴな思考や感情についてはいちばん怒りが深いうさぎの子の声みたいなので、そのじぶんの手をつないで大切にしてあげること、それがいまのじぶんが引き受けたこと。知識や理解はどれだけあっても役に立つのだし、本を読み込むことをゆるゆる再開してもよい頃合いなのかもねえ。こうして書いてみると迷ってはいないみたいで、それって今なりにしんどさはありつつもかなり楽になれているし、こうした現状を幸せとして随時捉えてみることにはよい作用があろうな。それから大切なのは変化を求めていくこと。囲いをつくってその内に安住するより、縄張りから出ていくような認知のほうがおもしろいことは多いはず。まったく別の話になるのだけれど、ここまで生きてみると、なにかの計らいかのように絶妙なタイミングや流れの変化、声にならないかすかな呼び声というものがあったりする。世の中、というより世界には、不思議な理がいろいろあるのだろなと感じる。それは時間や空間を越えて網のように張り巡らされたもの、普遍性と言い換えてもよいもので、それにじぶん自身を接続することは芽生えのようなもの、旅のようなことなのだろう。大切なのは実感なんだといつだったか書いた気がするけれど、いまもそう思う。魂はあるし、妖精もいる。これってただ思考に浮かべていないで言葉にしておいたほうが好ましいのではといま思ったので、そのように。窓辺でのんびりしよう。
2025年9月25日(木)
なにごともなく。
2025年9月24日(水)
なんとなく過ぎし日。来春のために三色すみれなどの種をウェブで物色。
2025年9月23日(火)
下草を刈り払っている仕事中、敷地の奥に栗が落ちているのを見つけ、奥様に訊くと食べるというので、途中から栗拾いをした。もう少し早めに気がつけば虫食いなどもなく数倍は拾えたと思うけれど、それでも栗ごはん二回分くらいは拾い集めることができた。水洗いをしてざるに広げたあとはお任せし、隙あらば休みつつそれっぽく下草刈りを進め、帰途。栗は木の大きさからして館長が植えたのかも。震災以降は最低限の管理だけだったはずだから、久しぶりの収穫が食卓に上るのかなーと思うとこちらで勝手に気をよくしてる。栗拾いでお給金が出るのは、仕事に遊び要素を取り入れて真面目さから軸を外そうというじぶんのマインドが影響しているとはいえ、よい立場にいるねと思う。遊びたい仔猫にはスマホで反射光を追わせるうち、ふと思いついてレーザーポインターで相手をしたら、とても食いつきよく遊んでいた。この緑のレーザーポインターは、緑色光のが一般にはまだほとんど流通していなかったころにどうしても欲しくなって海外から取り寄せたもので、思えば数少ない長らく手放していない持ちもの。そういえばそうで意外……。確認したら出力は<5mWでクラス3Aとあり、これってもう国内では禁止されてる法規制前の代物では。光が目に入らないよう気をつけたほうがよさそう。夜になりくちなしの花をふたつばかり摘んできて、机の上に飾った。やっぱりこの香りがすきだな。いちじく七種詰め合わせが届いたから、これからむいて食べる。
2025年9月22日(月)
お仕事の帰りに昨日とはそれぞれ別のボウリング場とカラオケ店へ。うちでは光回線の営業から話を聞いたり。なんか疲れたというか、疲れるでしょうよ。早めにねむる。
2025年9月21日(日)
昼前に出かけた。道すがら、大昔からある地域の風物詩なたい焼き屋が建て替え工事中なのを見かけた。ここは秋冬だけ営業していて、午前中にはよく行列ができるくらい親しまれているところ。あの見慣れた小屋もとうとう新しくなるのかーと思うとすこし感慨深い。まずはボウリング場へ。3ゲーム遊んでアベレージは109点と慣れたら得点上げられそうな感触で、それはそれとして親指のネイルが剥がれ、むむ。そのあと近場のカラオケ店で一時間ほど歌っていた。こちらはてんでへたくそでわらう。カラオケって学生のころ目的外の使い方をしたきり縁がなかったのだけれど、こうして好き勝手に歌っていると自由な感じがしてよいねと思える。うちへ帰ってきてからはめずらしくホットケーキを焼いてお茶を淹れたり、夜にはインセンスを焚いて口笛を吹くなど。歌った影響か口笛がうまくなっており気持ちいい。らしくないと言えばらしくない、娯楽で面白がった日。ボウリングもカラオケもこれまで馴染みがなかっただけに、せっかく覚えたからまた行けたらと考えてる。うちを出るときは「出かけるのめんどくさい~仕事よりめんどくさい~」とぬいにぐずぐず話していたのに、やっぱりしてみると楽しめるんだよね。たまに訪れる「めんどくさくてもいいからしてきなさい」という内側からのささやきは都度じぶんを変えているから、それに従ってみるとよいことがある。今夜はあまり夜更かしせず、ひと休みしたらベッドへ。
2025年9月20日(土)
のんびり。ポケGOで申請したポケストップ候補がことごとく却下されてあーあみたいな気持ち。これはたぶんね、じぶんの前にもないなら増やそうと試みたユーザーはきっといたんじゃないかな。それでやっぱり通ったのはごく一部だけだったから現状がある、というふうに捉えると了解しやすい。まあいいか。
