自分がなにかをつくり出す理由は、そうしたものを愛でて安らぎを得るのが、ほかでもない自分だからなんだろう。それならそこを軸線にするのがいちばんよいのだろうね。そして、もし大勢に伝えたかったり、ピントをより精密に合わせたいときには、それを伝えたい特定の誰かただひとりへ向けてつくろう。一月前に撮った夜明けの空を見直しながらステラナビゲータを操作するうち、月が一回りするころだと気がついた。それで確かめたところ、30日から1日にかけて、天文薄明が始まるおよそ四時半から日の昇る六時ごろが、おいしい位置に月がいる狙い目。その写真そのものは台風一過の翌朝にたまたま目が覚めて、ふらふらと出て行ってなんとなく手にしたもの。ムーミンシリーズには「ただ導かれるように浜辺へ降りていく、魔法の感覚とでもいうべきもの」が幾度か描写されるのだけれど、そうした感覚は確かにあるように思う。それはもしかしたら、敏感さやアンテナの張り具合、体験をあとから解釈することなのかもしれない。だったらなんだっていうんだろうとも思う。カメラを持った人間が自然に対してできることといえば、自然の気まぐれをパパラッチする自由と危険がせいぜいだから、おいしいおこぼれに預かりたいなら謙虚に粘るべし。それはときおりこちらを振り向いてほほえむものだ。