2026年3月7日(土)

のんびり。情報依存の認知負荷を下げる、ということで始めたのが火曜だから、5日目。変化を感じ始めるまでに3日~1週間と想定し、変化があっても少しずつゆっくり感じるはず、と考えていたわけだけれど、どうだろ。べつにスマホ見なくてぼーっとしててもじぶんは退屈はしないたちだよというのがわかった、くらいだろうか。気楽といえば気楽かも。おくすりやたばこの依存から離れたときよりははるかに楽というか、そういうのはやめるという決意だけでやめてるんだから、やればできるんだと思うよ。際限なく求めることもあればのんびりしてるだけで気持ちいいとか言ったり、極端だな……。頬杖ついてぼーっとしてて気づいたことに、じぶんは大好きな存在で生活空間を満たし、構築してきたんだなー、というのがある。ぬいたちの側へ越境しているというのもあるし、品々のひとつひとつがお気に入り。そちらと向き合っていれば退屈するはずはなかった。風が立つすこし前のさっき、どこかからほう、ほほうという声が聞こえていた。あれは暖かくなってきた晩の声。

2026年3月6日(金)

定期通院先へ。情報依存を減らす+要求や変化を強いない休息というふたつの方針を採ることにしましたと先生に伝えると、そうしてやっていきましょう、とのこと。先生は価値判断を授けてくる方ではないし、前回の診察には静観という言葉が出たから、促す感じなら促すということなのだろう。べつにこうした読みを患者に求めているわけでもなく、言葉通り。そのあとGoogleマップで見つけたフィリピン食材のお店へ。ご婦人のオーナーさんにこれなんですかとかどうやって使うんですかとかあれこれ伺うと、知らないことをいろいろ教えてくださる。これ食べる? と、ごはんもいただいた。パスタとしらたきを足して割ったようなもっちり透明感のある麺に、玉子と小ねぎ、レモン汁、豚の耳のスナック(ガーリック風味)を砕いたもの、鰹節ぽいなにか……を和えてあるらしきもの。出汁の風味と鰹節の香り、レモンのほのかな酸味がおいしい。なんとなく話の流れでフィリピンのひとたちはタイのひとたちより酸っぱい味付けが好きと知った。その小さなお店にはフィリピンだけでなく東南アジア域に流通しているらしい食料品がたくさん並んでいて、なんかの葉っぱがソース状になっている缶詰(タイのひとが使うらしい)とか、フィリピンのくさや的な干し魚各種とか、気を引くものがほかにあれこれあった。一度きりではなくまたくることにしてお会計。ヌードル一袋をおまけしていただき、PayPayで支払うと、便利ね、とおっしゃった。そこでいただいた麺の食べものをパックに詰めたものを、お昼ごはんに、と渡してくれた。日程はまだ決まっていないけれど、暖かくなったらフィリピンのひとたちが集まってここでかき氷のイベントをするよ、とのこと。そこにしれっと混ざりたいな……。親切にしていただいたこともうれしかったし、知らないものたちに触れてあ~たのしい! という気持ち。そのあとカラオケで二時間歌っていた。やっぱり流行った歌はそれだけの理由があり歌いやすいのだなーという納得と、部屋や機材に当たり外れを感じるようになってきた。それから歌うとき、のどと胸の真ん中あたりから笑うような筋肉の使い方で声を出すと、実際に笑えているようなたのしさが湧いてきそうになるんだよね。お会計では店員さんが長い爪でがっつりネイルをされている方で、そこで話をすこし。塗った爪も伸びると生え際が気になるものだったり、指先と爪の境目は透けて見えるものだったりで、そこをうまく見せる方法のこととか。そのネイルそのものはお店でしてもらってるとのことで、左手が空色/右手が桜っぽい落ち着いたフクシアの春らしさだったり、デイジーの書き込み、きゅるんとした透明感やグラデとか、いろいろ伺ってみたいなーと思いつつ次のお客さんが来たのでお礼。からっとした方だった。夕餉はいただいた食べものや、うっかりネット注文したら通ってしまったフレッシュの栽培アミガサタケを使ったソテーとクリーム煮など。すみれやムスカリが咲くころアミガサタケが発生する場所はひとつ見つけているものの、数は出ないんだよね。採ったものをバターで炒めたらおいしかった記憶があり、ネットで販売情報を見つけたとたんポチってしまった。毒抜きもこんな感じかなという慣れ。すっとした品のある、濃厚なうま味。和のしいたけなら洋のアミガサタケとして売り場を占めるレベルのおいしいきのこで、これは栽培が安定したらスーパーに普及する味だよねえ。なんというかきょうは享楽って感じ。こうしててよいのかという思いが一瞬よぎっても、世の中やものごとの楽しさを身につけなさい、そうしてよいし、すべてはそこから、と思う。車を運転していてふと道沿いの木々や田畑に目を向けると、やっぱり認識にわずかな広がり、抜け感が生まれる。梅が目について、コブシやモクレンの花はまだ。こういうのはここに書きつけておくと習慣となって戻ってきそうな気がするよ。

2026年3月5日(木)

なにもせず過ごす。なにもせずというのはぬいたちと過ごしたり、花や風景を眺めたり、インセンスを焚いたり、ネイル塗ってたり、勝手に走る思考に任せたり、音楽に合わせて口笛吹いてたり、じぶんたちの声に耳を傾けたり、仔猫の相手をしてたり、ほかにもいろいろ。なんとはなしに5年前のいまはなにしてたっけとここを振り返ると、2021年4月末からNPOさんと関わるようになり本格的なリハビリへ入っていったようす。まずはひとと関わり社会性を取り戻そうというところから始まり、五年かけて仕事を辞めるまでの一連の経験をひととおり身につけ、ひたすら前のめりで走ってきた疲れを取ろうと休息に入っているのだな……。五年かー。長いとも早いともつかない、両義的な感じ。当時の思いとしては、踏み出したらひとりの安寧には戻れないよ、さりとて現状のままでいくといつか厳しくなる想定でいるほうがいい、現状もじゅうぶんしんどいのだから、他者に揉まれるしんどさでしんどさを越えていく見通しを期待してみようか、くらいだったと思う。漕ぎ出したらましになるかなという期待は、雑に言うならうっすら思っていたようによりきつくなってるし、お真面目に意味づけするならよく成長しているね、というところ。ひとつ感じることがある。本格的なリハビリに入る前な五年前の文章からは、いまよりも俯瞰が効いてじぶんをすこし離れ冷静に見、感じている視点を感じるんだよね。逆に言うといまの文章からはじぶん自身との間合いが近すぎてほかのものが見えない、周りの描写が効いてない印象。引きの撮りかたに対する寄りすぎる撮りかた。ずっとじぶんと向き合ってきたとはいえ、それゆえその自意識の窮屈さに気がつかなくなっているとしたら、自己と距離を置くのは選択肢。端的に五年前の文章には自然の感受が多く、またそうありたい、風通しや気持ちのゆとりを持ちたいと感じる。いまがその機会ということでよいのだろう。どうやって? というのはね、型から入ってみてもいいんだよ。疲れて閉じた生活に由来してもいるわけだし、ここに書きつけるネタのために外へ出てなにかを見てくるとかね。遠くを見よう。季節の現れを探してここに書けたらじゅうぶんに行動してるよ。……と、ここまで書いておいてきょう考えていたことを思いだした。じぶんに駄目出ししすぎ! 向上や変化を要求しすぎ! 休んでるときはほんとになにもしなくてよくて、それが唯一であるし近道でもあるの! まあちょっと距離置いて自然のほうは向くけどさあ。それから思ったこととして、ぜんぶ許してもいい、ぜんぶ過ぎたことだしね、許すというのも謎だしどうでもよくなれるし、これからのことは自由な白紙として手に入れたんだから過去の感情は心底手放してもよいからね、など。

2026年3月4日(水)

朝から耳鼻科のサイトで予約を入れ、診察を受けた。Webであれ予約はすぐ埋まるだろうからと開始時刻ぴったりにリロードを合わせたつもりだったのだけれど、1番の表示が出て即座に予約をしたら実際には7番。そのあとの予約状況をなんとなく見ていたら、午前も午後もその日の受付は一時間も経たずに満杯になっていた。じぶんに対して思った我先にみたいなのもどうかという気持ちは、結果的にはそうしたから診てもらえた、という。診察といっても定期的なアレルギー薬の処方なので手短に済み、年末の喉頭炎の検査結果もうかがった。常在菌の感染だったとのこと。とくに具体的な細菌ではなくふだんなら問題にならない雑菌だったということは、あの12月は身体の抵抗力が弱るくらいストレスでしんどかったのだな……。薬局で処方を受け取ったあとは市街のお店をふらふらしたのち帰途。車を運転しつつ音楽に合わせて口笛吹くのが気持ちよくて、すこし遠回りをしてうちへ。治療した歯の形状が微妙に変わったことで、それだけで口笛の音の出方がやり直しみたいなことになっている。情報から距離を置こうとすると、ぬい抱いて机に向かい頬杖をついているだけで、退屈せずに心地よく時間が過ぎていく。思考は放っておくと空ぶかしのエンジンみたいに際限なく回ってしまうから、その外側で行動できるとよいのだろな。ここで手が止まり、眠気の気持ちよさにまた頬杖をついた。今日はこれ以上内側を探さなくてよいよ。無為や眠気が気持ちよいというのは地味に極致のような。

2026年3月3日(火)

雨が降ったりみぞれだったり。さほど寒くない。情報依存を減らそうとしてみると、べつになにもしていなくても退屈はしないんだよね。そちらに強い快があるということであって。変化を感じはじめるまでに三日から一週間はかかることを想定しているのだけれど、きょうはすでに悪くないというか、離脱症状なら納得というそわそわが半分/これはこれで心地よいような気分が半分。そして気楽という感じ。このまま続けて様子見ましょう。すでに臓器として炎症を起こしている脳に余計な負荷をかけない、そのためには情報その他の刺激を減らす、安全さを感じ脅威は遠ざける、長湯はじぶんに効果的、など。能動的な強いアクションはいまは強いなくてよいよ。業務スーパーの野菜コーナーにいろいろめずらしいスプラウトがあることに気づいて、いくつか買ってサラダに入れてみた。今回はシトラスフラッシュ/ウッディーナッティ/四川花椒菜というの。すごくおもしろい……! 爽やかな柑橘の香り、樹木やナッツの香ばしい風味、舌が痺れる味。素の植物にこんな風味が出せるんだ、とびっくり。いいお値段したけれど、こういうのが選択肢としてそこにあることはおもしろいなー。きょうはパクチーをサラダにして好きなだけ食べ、もうはっきりとパクチーをおいしい枠へ移した。いけるかもと考えを改めたとたんおいしさを求めて突進しているところ、じぶんだなー……。

2026年3月2日(月)

なにもしない日。というのは思考がむやみに走っている日。回復という点で認めたほうがよいこととして、スマホ見過ぎ。この認知負荷や眼精疲労、ほかの行動を排除していることのデメリットを、慢性疲労の原因としてみたら? ここを変えたら変化がありそうと推測できるなら変えたらよくない? たしか疫病が流行り始めたころだったと思うけれど、一ヶ月ほど最低限のチェックのほかはネットから離れたことがある。あのときは読書が多少捗ったかなという感じだった。いまは状況やコンディションがまた別かなと思う。身体を大切に扱うことにいまは具体的な意味や反応が生じているから、見当が付いていることはしてみたらよいよ。行動を変えにくいと感じるのはそこに依存と消耗のループができているからで、抜け出そうとすればしばらくきついのはそう。とりあえず方針づけてやってみる、そう思えたらなかなかいい感じだよ。

2026年2月28日(土)

歯科へ。三ヶ月ほど連続することになった一連の歯の治療はこれで一段落したと思った。そのあとモスでハンバーガーを食んだあと、よい感じの花びんを探そうと思って方々巡った。Googleマップを頼りに花屋や雑貨店、園芸店など。それ自体が作品のような花びんは自分の好みではないぽい。品々を見て回るうち、素っ気ない硝子びんのようなの、たとえば試薬びんや酒びんのようなかたちのがほしいこと、しかもいまは細口よりは多少口径のあるもので、ただ透明よりは緑がかっていたり水色寄りだとうれしいとか、多少のいびつさや気泡が入っているようなのは歓迎とか、細かい好みが浮かんできた。とりあえずだねと、汎用性がありそうな広口で透明硝子の花びんを見かけて入手。べつに端正というわけでもなくそれ自体は主張しないような素っ気ないフォルムがよいし、束が太かったり多少大きめな花を買ってきてもそこに活けられそう。もうひとつ、口が広がっているから小粒の球根も育てられる形状の、小さな青い硝子の花びんも買った。じぶんのために花を買うということを覚えたからどちらも後使おう。理想というか好みは立ち上がったし、よい感じの花びんを探すという志向性は、足もとの石やそのへんの草に興味を持つみたいに退屈しないんじゃないかな。花びんを探すというのもゆとりがあり気持ちが穏やかで初めて成り立つことよね。きのうの宵のころまではじぶんに同情するほどしんどかったのに、まったく気分というのはこうなんだよ。まあ楽であるときその楽さを味わうのは幸せの基本なので……。帰ってきてからは営業となる返信のメールを書いて送った。めんどくさいだけでやれば終わるよと思えたのえらい。夜になっても気分は凪いでいて、夜更けのいまもなにかを思い煩うことなく気楽。ここ数週間は夜になるとしんどさが増幅されやすく眠りを優先していたから、こうした夜はありがたいな……。ところでふと気づいたこととして、奥の歯同士の間に、たとえば虫歯があってもおかしくないような微妙な舌ざわりがする。まだ治療は終わってないと思うとげんなり感があるけれど、時間のある時期に気がつけてよかったわけで、予約を入れて治療しようね……。また別の話で、他者のしんどさについて知ったり思うようなとき、そこに結論はないよと自分自身に対して思う。じぶんも浮き沈みがあれば今夜のように気楽なときもあり、それは多かれ少なかれひともまた同じで、そこは単純にどちら側からも比較は要らないよ、比較がないだけでかなり上等だよ、という。そのうえで他者の思いを想像もできるようなときであればそれは祈りに近いこと。書けば単純だけれどしんどいときはこう筋よくはいかなかったりするものであり、書けるとき書いておく。じぶんのいま置かれている立場/状況にしても運よく成立していると言えて、じぶんなりにそれを活かす、というのが妥当なところ。とりとめもなく長めに書いているときというのはコンディションは悪くないとき。生きものの変化する性質にほんのり感謝して、窓辺で過ごそう。