2026年3月30日(月)

めんどくさかった用事を片付け、細々とした買いものも済ませて帰途。やな感じが身体に居着かないよう厄落としも兼ねての暴言になるけれど、なんだそのつける薬もない対人様式は、おまえの壊れ方を私に無駄に開陳するんじゃないよ、みたいなすっごく厭な出来ごとがあった。その人自身が作りだす地獄に自身で囚われている、そしてそれに気付く段階は過ぎているタイプの拗らせ方。こういうのはパターンとして見ており、過去にも判で押したように似通った拗らせ方をした相手に遭遇したことがある。他者に対する敵意や執念がそのひとの空気としてぐちゃぐちゃに醸されているような。こちらの身体が拒絶を感じたということについて、それは否定しなくてよいし、理解や包摂を試みなくてよいのだろう。そして、ひとはどうありたいかはじぶんで願うことができ、おおむねそのようになっていく、そう思うなら文句もほどほどに適当にしとくがよいよ。セルフケアして眠ろう。思い出した、出かけた帰り道、夜桜を毎年見に行く高台へ花の下見に赴いた。桜は三分か四分咲き。枝先の花やつぼみを見上げていると、ゆるやかでよい風が吹いていて、身体のなにかが弛むみたいだった。ほんとうはね、そうしたひとときこそが人を生かす。目も当てらんねえぜ、みたいに思ってても、世界はその美しさを無頓着にこちらへ注いでいる。

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