汗がかいたそばから乾くため服もあまり濡れない、くらいに暑い日。早めに仕事をして早めにあがり、買いものを済ませたり車屋へ住民票を届けたり。朝の木漏れ日のなか高原をあがっていくのは気持ちよいな……。通所先から連絡があり、仕事しているようすを伺えたらとのことで、それはあすの午後に。遅く家を出てよさそうね。夕方にはおそらく今季初の夕立。あした行ったらまた日曜までお休みということにして、まあずいぶん気ままなこと、と思う。書かないと残らない気がするから書きつけておくと、こうしたゆとりのある日々を過ごすことで好奇心や感受性、積極的にものごとを楽しむための意欲といったものが、徐々に回復してくることを期待してる。臥せって以降、そこからNPOさんを軸足にして活動をはじめるまでの、あの時間の流れからはじき出されたような期間を思い出す。あの感覚はなんというか、SF作品で宇宙船がワープするとき入る亜空間の感じ。時間の流れから遮断されたああした亜空間にひとりでずっといて、失望するほどの感情もなく過ごしていた感じ。それがいつごろからか、まっ暗なトンネルを車で走っているイメージに変わったんだよね。出口は見えないしどこまで続いているのかも分からない、ただ移動だけはしているらしい、という。それはやがて緑に包まれた山あいの林道を走っているイメージになり、さらに田舎道を走っているイメージになったあたりで、イメージそのものが意識の俎上からなくなった。若干話が逸れたけれど、時間の止まった亜空間にいると思っていたあの期間はいま思うと、再生する世界の鮮烈さに溶けるような思いもしていたし、この上なくリッチな時間の使い方を楽しんでおり、すきなことをすきなだけしていた。原付で日々気ままに地域探索をしてたし、写真を撮ることに夢中になっていたのもあのころ、というところで上記のゆとりある日々をのくだりへ戻る。回りくどくなったけれど、NPOさんや通所先へ通った期間は、ひとと接することによって社会性を回復するかわりストレスを受け、好奇心や感受性といったものを代償にしながら変化を受け入れた期間に感じるんだよねえ。もしかしたらじぶんは長い長い安定化の流れにいて、疾患により一度は鋭敏になった感覚がどんどんふつうになっていくところ、なのかもしれないけれど。だとしてもいま期待しているのは、じぶんをゆとりある生活に置くことで好ましい性質がもう一度育ってくることなので、当座は気ままに仕事をさせてもらうし毎週四連休する。忘れないように書いておきたいものはもうひとつあり、上記のイメージの話に伴うなにか別の心象風景というか、アクリルのどこかへつながっているお話。これはここへただ書くよりは、文なり絵なりで体裁をとった読みものとしていつかかたちにできたらよいのでは、という感触がある。だらだら書いてたわりにここで文章が止まってしまったので、このことは結論づけて書けるような止まったものではなく、現在進行形で生きているものなのだなと思う。じぶんにじぶんを物語るもの、魂の故郷についてのこと。窓辺で使っているランプの芯が短くなってきたため替え芯を探したら、あった。ランプの芯にもいろいろ規格があり、そんなものの予備が手元にあって役に立つ生活はすきだよ。