2025年11月28日(金)

定期通院先へ。主治医と傷からの回復についてやりとりをしてあとで振り返ってみると、じぶんでは自覚できていないけれど回復への姿勢が前のめりなのかなというか、頑張りすぎ/力みすぎているよ、もっと楽にしてよいのでは、というニュアンスを仰っていたなと思う。おそらく、あなたのように回復できるケースはそこまで多くないという意味も込めて、ここまで来られたならひとまず満足してみては(そこから自己受容を)、という趣旨のことも。たぶんね、じぶんは理想の高さに自覚がないし、そのことに頑張っているという自覚もない。主観ではそうするほかない、それをするという認識なんだよね。たいていの場合は周りからのほうが状況が見えているというのはあるのだけれど、無意識に頑張っちゃうじぶんも包摂して受け入れるほうがいまはよいかな。そういうのも業や磁場、物語の強度として生きたってよいのでは? 考えとしてはいろいろ言えるところだけれど、こういうのは日々の暮らしのなかで常に調整されるものなので、生活を大切にという着地点。そしてふと思う、これだけ流感が大流行しているなかカラオケで歌っていたらアホかもね。ほんとにいま我に返った感じで、まあでもよくない? みたいな。もしかして全体的に、間違えたってよくないかなというところへきているのでは。いや、他からみれば間違いやズレな要素でじぶんが大部分を構成されているというのはあり、今さら感。こんなふうに出口のない思考を弄んでいるときって微妙に快があるけれど眠ったほうがよいしるしであり、そのように。最近のじぶんの文章から変に自信を感じることがあり、これはどういうことなのかと判断を保留してる。抑圧へ向かうのも気持ち悪いけれど、暴走するのもねという。

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