2021年9月6日(月)

きのうは雑記つけるのを忘れた。春に庭の北側の日陰へ植えたツルニンジンは、いつのまにかつるをフェンスへぐるぐると絡ませ、釣り鐘のような花をたくさんつけていた。別名を類似種との対比からジイソブ(爺のそばかす)というそうだけれど、これは姿かたちのよい、なかなか渋くて美しい花だと思う。ていうかこの花好きだ。

2021年9月4日(土)

周りの片付けをしたり、シャツにアイロンを掛けたりするうちに過ぎた日。天気はしばらく雨降り。旅系の雑誌類を取り出しやすいところへ置こうと思い、本棚の一段をそっくり占めていた吉田篤弘のハードカバーをしまうことにした。

2021年9月3日(金)

耳鼻科のあとでユニクロへ立ち寄り、デニムパンツを見繕う。当社比で細めのが入るようになった。それなりの期間を脳内で涵養していたあちらの星の話、暫定でアクリル(仮)と呼んでいるけれど、そちらの断片をビラかチラシのような体裁でPDFへ落とし込んで、ネットプリント経由で不定期に発行するのはどうかと考えていた。見切り発車で動き出せる勢いは大切だけれど、やりたいこととそのために必要な技術、そしてそれらをある程度フォーマット化することは続ける上で大切なものだから、わくわくを押さえ込みながらしばらく考えることにした。具体的な目的があるわけでもなく、想像力の呼び水にと思ってこれまで蒐集してきた観光パンフや旅系の雑誌類が、ここへきてにわかに焦点を合わせはじめたことが、ぼんやりと気持ちいい。積ん読を「いまこそ読むべきとき」と感じて手に取るあれだ。それが主観で都合よく解釈されているものだとしても、ここへくるまでの蒐集物がいま意味を持って手元に積み重なっていることが、愛おしい。友だちに教えてもらったおすすめの化粧水や乳液は無事にドラッグストアで見つけた。

2021年9月2日(木)

小くちなしの鉢に居候していたオニタビラコらしき雑草がすっかりしおれて枯れた。記憶が曖昧になるけれど、この植物は一年ほどそこにいたように思う。鉢の土が乾くと家主より先にしなびるため、水切れを知るのに重宝していた。ことしの梅雨ごろに葉ダニらしきものがはびこってしまい、薬剤を噴霧したら多少は勢いが盛り返したかに見えていたけれど、そのまま力尽きたんだろう。図鑑によればオニタビラコは一年草または越年草とのこと。少なくとも一年は生きたことだから寿命と捉えてよいのかもしれない。個人的に、室内飼いの鉢植えにこうした転入者が生えたらあまり引き抜かず、集合住宅を見守る感じで一緒に世話をしてやりたいと思うようになった。なんというか、情が湧いた鉢植えに対しては、植物からもう少し踏み込んだ生きものとして接したくなるんだよね。人と犬や猫が同じ空間に存在できるように、どこからか紛れ込んできた雑草もそのまま鉢に置けたら。話を戻すと、当のオニタビラコはずっとロゼットのままで花をつけることはなかったから、この一代でおしまい。ただ、小くちなしの鉢にはほかに、二世代目のタネツケバナがスプラウト状となって何本か生えている。こちらもそこにいる限りは見守るつもり。