2021年6月20日(日)

道の駅へ立ち寄ったついでに敷地奥の芝生を見に行くと、すっかり草刈りが済んだあとではあったけれど、見逃してもらったらしいネジバナが何本か花を咲かせ始めていた。金曜にも別の場所でネジバナの花を見かけてる。去年の花盛りは七月に入ってからとここに書き付けてあるから、道の駅のネジバナ観察はまたそのころに。少し前にGoogle Earth Proで知った、近所のコナラ林らしい場所へ向かった。林の端の方は光を求める草や篠が茂っていたけれど、少し入ると嬉しくなるくらいに下草がまばらだった。身近にこんな林が残っているんだなー。前日までに降った雨のためか、林床のあちらこちらに真っ白いきのこが生えていた。あとで図鑑を見るとベニタケの仲間のようだけれど、そこから先が分からない。ときおり雉の声を聞きながら林の中を歩き、木の種類や下草をざっと確認しながら元の場所へ出てくるまで、三十分も掛からなかったように思う。そんなサイズ感の林。それでも、そこにいる生きものを同定したり観察したりするには、十分な狩り場となってくれそうに思えた。肝心の樹種はクヌギやシラカシのほか見分けられない木が入り交じった雑木林に見える。お気に入りの場所になりそうだ。もう一件の林の確認はまた後日。八時を過ぎても空は少し明るく、そよ風が吹くなか月と星が出ていた。よい晩だからと近所を一周。この時期には少し離れた用水路からほたるが飛んでくることがあり、それをどこか期待してもいたのだけれど、数十分の散歩で見かけることはなかった。ほたるの飛翔力はそれほどあるように思われないし、若干の風があると遠くへ飛来するのは大変かもしれない。運がよければ会えるかもね。あすは夏至。手を付けているムーミン二冊も季節に合わせて場面を読み進める。

2021年6月19日(土)

梅雨らしい雨降りの日。傘を差してあたりを少しうろうろすると、巣穴から地上を覗う蝉の幼虫や、葉の上でわたわたと動くかまきりの子供たち、雨を避けて休んでいる蝶や蛾など、面白いものをいろいろ見ることができた。いつもと違う気象のときにはいつもと違うことが起きると、はっきり思う。それはもしかしたら単に、こちらの受け止め方が異なるという話なのかもしれない。それならそれで、変わった天気のときに外界へアンテナを張るだけで、印象深い体験を期待できるわけだしね。降ってくる恵みを受けて庭のあちこちに雑草がはびこり始めている。そういうのは暇を見つけて取り除いていかないと、じき後手に回りそうだ。きのうの通院のあと、塞いでいた気分にどこか風の通る感じがあった。そういうのは一進一退なだけにこの先また元に戻るかもしれないけれど、いちおう書いておく。

2021年6月18日(金)

通院先へ。日常にあるこうなりたい/こうすべきの話について先生から、それはあなたを縛る価値観では、と話していただいた。それは自分でも適宜気がついて外せるようになりたいと考えているものだっただけに、気を抜けばぺたりと張り付くもののようで、先は長いのだなあと思う。人が憧れたり望んだりする価値観は健全なときには向上心として働きもするから、当人を縛り付けるものかもとそれを一度切り離すことを試みるのは、わりと必要に駆られた状態なのだろな。でも、願望がときに人を苦しめるのは、きっとありふれたことだ。『アマゾン河の博物学者』は四分の一まで読み進めた。初め、これは読み終えるのに骨が折れると考えていたのだけれど、それは少し切り替えて、博物学全盛期の情景を際限なく取り出せるものとして向き合うことにした。熱帯の日差しも森の暗さも美しく伝わってくる本だ。

2021年6月16日(水)

クレマチスのある株にさび病が蔓延してしまった。この病気は細菌性で予防が大切らしい(大ごとになってからでは対処法が限られる)。葉の表には蛍の光のような黄色い斑点が浮き、裏面にはさびのようなオレンジ色の粉がびっしりと吹いていた。ゴム手袋をつけ、粉が飛び散らないよう葉を摘み取り、それをビニール袋へ詰めて口をきつく縛った。周辺のクレマチスへ伝染しなければよいな……。その作業のあとでは、花後に伸びてきた若い枝のほかに残っている葉はなくなってしまった。比較的大株だから、地下からの再生力に期待したい。ざっと検索してこの病気に劇的に効く薬剤はないようだったけれど、いくつかの記事に上がっていたラリー水和剤というものをAmazonで見つけ、ポチった。農薬はいろいろ種類があってひとつ選ぶにも難儀するものの、菌による病気であれば抗菌薬カテゴリのうちから選ぶように思う。それから、ウイルスによる病気は適応する農薬こそあるけれど手強い、ということも人間の病気と同じらしい。薬剤が届いたら霧吹きで全草にくまなく吹き付ける予定。それから午後の擾乱を抜けて支援センターで面談。担当の人はこちらの調子が思わしくないことも気遣ってくださったらしく、今回は早めに話し終えた。帰りは雨。この調子の低迷が元に戻るまで思ったより長いかもしれない。

2021年6月13日(日)

母と祖父宅へ出向き、敷地内の通路に除草剤を撒いた。噴霧器のノズルが壊れているようで、薬剤はぼたぼたとこぼれるように出た。いずれ新しいのが要る。それから買い物と、地元の園芸店へ立ち寄った。ディルの苗と、母が探していた白花のランタナを買う。うちに作った菜園は牛糞堆肥を漉き込みすぎたらしく、植え付けた苗が肥料焼けをしてあまり育たないでいる。一年目だから仕方ないけれど、しくじってしまったなあ。来年以降はいい土を作ろう。『ソング・オブ・ラホール』観た。パキスタンにて、原理主義により衰退しかけた民族音楽にジャズのエッセンスを吹き込むことにより、自分たちの文化を盛り返そうとするドキュメンタリー。彼らの音楽は、海外のメディアで取り上げられたことを切っ掛けに注目を浴びるようになり、とうとうニューヨークの舞台で著名なジャズミュージシャンと演奏する機会を得る。観ている自分もいつの間にか、息をするのも忘れるような緊張感に引き込まれていた。パキスタンでは家父長が強い発言力を持つのだな……という感想も抱いたけれど、そこを都合よく脚色しないところは、この作品を描く上で登場人物や彼らの文化へ込められた敬意とも受け取れる、と思う。ある人物が独白した「人は信じたものに神を見いだす。僕たちの神は音楽の中にいる」という言葉は、彼らがイスラム圏でそちらの宗教をベースに生活しているだろうことを考えれば、深い含蓄があるもののように思えた。そして民族楽器がよかった。シタールはもはや疑いようのない個性的な音色を発揮していたけれど、メインディッシュ的な扱いを受けていた打楽器も深みのある響きを持っていた。あれがタブラという楽器らしい。文化/政治的に抑圧され音楽の担い手そのものが減衰していくなかで、伝統を守りつつ新しいものに賭けようとする人々の表情は、笑顔の中にも後がないことへの厳しさを浮かべていた。こうして起死回生を果たしつつある事例を知るにつけ、状況に抗いようもなく失われていくあまたの文化のことを、少しだけ思う。それはもしかしたら、親族や近しい相手を含め自分に連なる存在についての、大切な人たちの記憶のことを指すのかもしれない。

2021年6月12日(土)

業者さんが照明の配線/設置工事の見積もりに来た。エクステリアや電気関係のほか設備も手がけるとのことで、庭の蛇口のひび割れと雨どいからの排水関連も見積もってもらうことになった。見積もり額は後日。うちの庭には積極的に高低差や奥行きを取り入れる必要があるな……。

2021年6月12日(土)

『スティング』観た。詐欺師が徒党を組み、やくざな大物を相手に、仲間の敵討ちをするため大がかりなイカサマを仕掛ける話。登場人物がみなすっきりと決まったスーツ姿で、とりわけ雨降る場面でのトレンチコートの着こなしは自然なかっこよさだった。この音楽の出自はこの作品だったのか。状況が二転三転するため、登場人物の思惑を把握するテンポが遅れることもあったのだけれど、ラストへきて「ああすっきりした」という感想を持てるような作品だった。届いた木立クレマチスの苗3本はそのうち植える予定。あす午後はエクステリア照明を設置するための見積もりがある。机の上のくちなしは次々に花を咲かせ、居室はうっすらと花の香りが漂うようになった。茉莉花も同時に咲いてくれたらよいのだけれど、こっちは春に地上部を刈られてからのスタートなため、今年中はくちなしと開花が重なることは難しいかも。引き続き他者と対話するガッツがない。