2020年12月21日(月)

定期通院先の一つに行ってきた。病院はことし残りあと二件ある。木星と土星が一つに見えるほど接近するというので、日没直後の低空に光っているのを見た。僕の目には全く一つの光の点に映るのだけれど、#星空の連帯 タグに寄せられたつぶやきからは、肉眼でも分離して見える目のいい人たちが大勢いるようだった。ほんと自分の目を労ろうな。冬至につきゆず湯に入る。

2020年12月20日(日)

二階の洗面所とその周りの床掃除が片付いた。来週は二階の物置に取りかかりたい。あそこはこの家が出来てからの二十何年間か、一度も整理や整頓をされたことがないまま、使わないものやがらくたを乱雑に詰めておく場所になっている。きちんと手を入れたらそれなりなスペースが確保できるだろうし、ほかの場所から物を持ってくるためにも活用しやすくなるはず。嫌いな虫が落ちているから多少神経質になるだろうけれど……。外の物置もこの機会に手を入れたいし、祖父宅の物置も母と協力して片付けたいのだけれど、年内にそちらまで手が回るだろうかと疑問がうっすら湧いてきた。たぶんこれ、なにかしら期限が迫ってくると一度になにもかもやろうとするあれかもしんない。疲れそうならほどほどにやろう。明朝はまた寒いらしく低温注意報が出てる。

2020年12月19日(土)

『砂の惑星(1984)』観た。ダレてしまった……。古い映画なら表現より物語を見ようというつもりで視聴し始めたのだけれど、単調さに途中から気が散った。そんなこともあるさ。スタッフロールの曲はよかったかも。未明のラジアンFをベッドのなかで聞くうちに眠り、昼から二階の洗面台の掃除に手をつけた。年に一度の取り組みで済ませたいという考えから念入りに磨き、夕方までに上半分、水を受ける台までをぴかぴかにした。鏡についた水垢を百均のダイヤモンドうろこ取りでこそげ落とす感触がたいへん気持ちいい。周囲や床周りを綺麗にするのはあす以降に。ついでに階段周辺の蜘蛛の巣も払う。台所のコンロを新品と交換する工事があり、そちらはきょうだいに取り持ってもらった。夕方になり、道の駅と神社に立ち寄ってから買い物へ向かった。日没直後の空は地上のシルエットと相まって、衝動的に記録したくなる色彩をしてる。きょうは疲れた。早いとこ眠ってしまおう。

2020年12月18日(金)

今朝、シャワーを浴びていたら、給湯するボイラーが低温で何度も運転を停止した。なんとか元に戻ったものの、頭を洗っている最中だったからどうしたものかと様子を窺ってしまった。ストーブを点けても部屋のサッシの内側はしばらく凍り付いたままで、窓を開け閉めすると氷が割れるじゃりじゃり言う音がした。本格的に寒い季節だ。冬場はいつもそうだけれど、緑の減った風景や自分の気力の減退が相まって、写真を撮ろうって気はしなくなる。手元でできる好きなことをやろう。

2020年12月17日(木)

指先が痛む寒さのなか、歯の治療に行ったりオイル交換に行ったり。馴染みのバイク屋のおっちゃんは冗談を言いながらも素早く整備をしてくれ、チェーンの弛みや空気圧など注意すべきところも説明してくれた。そのなかで速度違反のため捕まった話をすると、自動小型二輪の免許を取っていまのカブにピンクのナンバーをつける手続きをすればよいよ、とアドバイスをくれた。それなら安く上がるし、普通車の免許があるなら自動小型二輪は簡単に取れる、とのこと。この話を振ってよかった。おっちゃんが頼りだ。いまざっと取得の流れを検索してみたら、僕の場合は上記の条件から、教習時間が短縮され本試験での学科試験は免除されるらしい。愚痴をこぼした友だちと、新しく免許を取るにしても暖かくなってからにしようという話をしてるから、来年四月か五月あたりに取りかかるつもり。ことし最後の瓶ごみを回収場所へ出してきた。残り少ない中継地をまたひとつ離れていく船か飛行機の気分。

2020年12月16日(水)

各地から寒いというつぶやきが流れるなか、ここにもことし初めての雪が降った。日本海側や関東の山沿いにドカ雪が降っており、その余波。たぶんあすにはおおむね解けていると思われるけれど、歯科の通院に支障が出ないといいなあ。

2020年12月15日(火)

とても寒い。買い物へ出た夕方、雪雲らしいものの形が面白くて写真を撮っていたら、手袋を脱いだ指先はたちまち冷えて痛くかじかんだ。そのころ気温は二度。那須の山々にはくすんだ雪雲が覆い被さり、あたりにはちらほらと風花が舞った。こんな日は早いとこお布団のなかへ行ってしまうのがかしこい。引き出しや机の上を片付けたりして、掃除のエンジンは徐々に掛かってきた感じがする。洗面台と窓は水を使うから多少暖かい日に取りかかろう。

2020年12月14日(月)

夜になると風は収まり、深夜の一時過ぎには雲も晴れてきた。近所の土手へ出かけていって銀マットを敷き、そこへ仰向けになると、視界は星空だけになった。そのあちらこちらで星はひっきりなしに流れる。頻度としては一分に一つかそれ以上に感じた。仰向けで星を見ることはベランダから見上げるのとはずっと違う体験で、視界のほぼ全てが柔らかい青黒さで圧倒される浮遊感や安心感は、百聞は一見にしかずのそれ。目が慣れてくると、冬の大三角からぎょしゃ座を通ってカシオペヤ座の辺りへ至る、雲ではないうっすらしたものがあるように見える。それは肉眼では初めて見る天の川だった。このあたり、田舎とは言え関東圏だから光害がきついと思っていたけれど、視界の開けたところで目を慣らせば肉眼でも見えるというのは思ってもみないことだった。そしてそのことで、自分の宇宙観が物理的に拡張される気がした。銀河系の円盤部を背景に、見えている星々のそれぞれが個別の遠近を持ってだだっ広い空間に浮かんでいる事実が、眺めるという単純な行為の前でまざまざと繰り広げられているのだった。既知世界の広さが、自分のいるこの銀河系にまで、それも直接の知覚によって及んだことが嬉しかった。そのあいだにも流星群は空の高い位置から降り注ぎ、三時頃までの一時間半を仰向けで過ごした。ぬいぐるみを連れてきたりちょっとしたお酒を持ってきていたおかげで、退屈をするということはなかったのだけれど、低空にかかるガスの濃さが徐々に気になってきたのと、厚ぼったい靴下を二重に履いていてもつま先の冷えが厳しい。冬場に野天での滞在時間を延ばすなら、靴の先へ入れるタイプの使い捨てカイロが必要なのでは。今回、珈琲は場所的に火を使うことがはばかられたため、これからはもうちょっと気の利いた観望地点を探しておきたいところ。一年のうちの限られた機会はこうして天候にも恵まれ、忘れることのないだろう夜を過ごせた。そして、光害の及ばないところで天の川を見てみたい、そのためにいつか遠くへ行くことはできるだろうか、ということを思う。

ルピシアだよりに烏龍茶の入荷チラシが入っていた。そんな季節かー。冬の空気を取り込みながら花系の香りをくゆらすと、雪の向こうに春が見える。本格的な寒波と雪の季節に入ったらしく、日本海側を中心に大雪への注意を呼びかける防災情報が目に入った。あすあさっては最低気温がマイナス四度から五度という予報で、日中もかなりな低温のままみたいだ。最高気温が幾分ましだった今日でさえ、屋内へ伝わってくる日中の寒さは身にしみた。ので、しまっていた加湿器を部屋で使い始めた。湿度が上がれば体感温度は違うだろうし、冬場の体調維持にも好影響なはず。

2020年12月13日(日)

昼ごろばらばらと雨が降った。しばらくして黒い雲は吹き飛ばされていったのだけれど、空には風も雲も出てきてしまったから、今夜は完全な快晴は望めなさそうだなーという状況。流星群の当日に全くの曇りという状況もあり得るわけで、観望ができそうなぶん前向きに考えたいところだ。冷蔵庫の生豆を煎った。これをマキネッタに詰めて流星観望へ持っていき、ほどよいところで抽出するつもり。これを書いている夜九時現在、星は見えるものの雲量5という感じの薄い雲もあり、GPVの予報で晴れてくる一時から二時までは様子見。リングフィットで身体を温めておこう。

2020年12月12日(土)

ラジアンFを聞くうち眠りへ落ちた。夜になり、ふたご座流星群の前哨戦のつもりで星空を眺めた。ベランダへ出た瞬間に流れ星がさっと流れ、幸先がいいかもと思う。リングフィットで予め身体を温めておいたのが効いてる感じだ。数えることこそしなかったけれど、流れ星はわりとちらほら流れる。流星痕を伴う長くて明るいものも一つ見えた。風のほとんどない晩で、遠くの物音が届く静けさが心地よかった。人間は時代や地域を越えてこうして星を眺めてきたのだろうなと思うとき、夜空の持つほのかな明るさや柔らかさが、ゆったりとこちらの気持ちにまで宿るように感じる。この普遍性と豊かさを自分に根付かせていきたい。あす夜の流星群は今夜の倍以上の頻度で流れるそうで( 2020年のふたご座流星群の情報 )、天候にも恵まれそうなことだし、楽しみ。人が来ない場所で地面に寝転がって眺めようと思う。