2020年5月10日(日)

とても湿度の高い日。ぼそぼそとパソコンを組み立て始めた。オンラインの記事も参考にしながら、少しずつ形にしていく。組み立てそのものは、合う規格ごとに繋いだり配置したりしていけば立ち上がるところまでは行くのかもなー、という感じがしてきた。このまま行けば馴染みのないBIOSの設定もなんとかなるかも。M.2 SSDは板ガムみたいなサイズと形状をしていて、一緒に組み込んだごついHDDから記憶装置はここまで進化したんだとびっくり。夕の庭でジャンボあけびや残りのスイカズラを地植えにしたり、白いクレマチスの花束を撮ったりしていた。別のクレマチスで、ひと月ほど前に地植えにした’フォンドメモリーズ’は展開がとても早い。もうちょっとしたらフェンスの上まで行ってしまいそう。部屋で飼ってる八重の小くちなしとスイカズラの’グラハムトーマス’も、鉢の環境が安定してきたようで一安心。麗しい五月をたくさん吸い込んでいこう。

2020年5月9日(土)

きのう放置したお茶はほんのり花の香りを放っていた。急須で淹れてみると、花の香りと植物の青い匂いが半々に入り混じった、野趣に富むお茶の出来上がり。新鮮さに満ちていて、意外とおいしい。発酵がそれほど進行しなかったのは揉捻が足りなかったためのように思う。もっと葉の細胞壁を壊しに行ってもよかったのかも。摘んだ茶の芽を揉み一晩置けばよい香りがするということが、人類はこれを尊び歴史の中で求めて来たのだなあ、という実感につながるようで、不思議だった。祖父宅へ寄ったらまたお茶を作ってみるつもり。

夕過ぎにSSDが届いた。やっとだよー。注文したのが二月十八日、三月下旬に台湾で製造され、アメリカの空港いくつかを経由して辿り着いたらしい。ものすごく輸送のお世話になっている……。Cドライブにあてがうつもりでいたパーツがこれで揃ったので、自作PCを組む作業をゆるゆるとやっていけそうだ。十年ぶりで新たに手に入れるパソコンってどんな挙動をするんだろう。写真編集のために性能のよい部品を手に入れはしたものの、これでまた十年は保たせたいんだよね。

2020年5月8日(金)

祖父が活用しないまま残した桜の丸太を回収するついでに、屋敷の生け垣から茶の新芽を摘んできた。いま屋敷を管理する者は事実上いないため、敷地内にはさっそく雑草がはびこりだしてる。生け垣の一角には黒くべったりしたすすのような病気が拡がり始めていた。すす病かなと思って検索。たぶんこれだ。羽虫がわんわん飛んでいたけれど、あれはアブラムシだろな。ベニカXとオルトラン粒剤が手元にあるから、天気を見て近く散布しに行く。相続の件で、祖父の屋敷に関しては誰が引き取るかまだ判らないけれど、実際に手入れをしていくのは自分かもな、という気がしてる。なにをどうやればいいか把握しているのは僕だけなうえに、いとこたちはここを早く脱出したがっているもの。

一芯二葉で摘んだ茶の芽は烏龍茶にするつもりで、少し前に手揉みした。いまは風通しのよい窓辺で発酵が進むのを待ってる状態。植物自体の青いにおいの中に、華やかな香りがわずかに混じってる。明朝にまた確認することにして、寝床でラジアンを待とう。

2020年5月7日(木)

祖父の遺産相続の件が、こじれているわけではないのだけれど込み入っていて、うちの意見は一致させておいたほうがいいよねという話になった。満月が物陰まで照らし出してる。眠たい。

2020年5月6日(水)

MouserからIntelのSSDの発送通知が来ていた。アメリカより一週間ほど掛けて来るそう。なんとなく中国か東南アジアで製造してるのかなーと思ってた。

この何年かで想像する力が干上がった。はっきりした原因は分からないけれど、こういう疾患では認知機能を含めていろいろな脳機能が減退するし、同時期に内面が安定してきたことも関連があるのかも知れない。日記雑記的な描写は想像とはまた別の作業らしい。基礎からやり直しかもねと思って身体を鍛え始めたり、本のインプットに力を入れようとしたり、遠回りでも定番の立て直しを図って、それなりにあがいてみている状態。外へ出掛けていく趣味として始めた写真は、人や社会でなく自分と世界に向き合うところが性に合っていたらしくて長続きしてる。ので、現時点では、日常の文章と写真の二人三脚で創作や表現が出来たらいいなあと画策してる。長いこと、あの手この手で二十四時間自分を癒し続けてるけれど、復帰にはなお時間が掛かるだろな。こうした感覚は、SF作品で宇宙船が長距離ワープに入り異空間を行くときとか、タイムトラベルで時間の流れから切り離された場所にいるとき、そういう状態が近いかも。周りと流れが全く異なる生き方ではあるけれど、いまを受け入れ未来を信じる心境。こうした中で表現を褒めてくれたり、作品を見せてと言ってくれる人たちの存在が、光のように思える。オン/オフ問わず、見えることでも見えにくいことでも、いろんな人に支えられ、ときには見逃して貰いつつ過ごしてる。

昼に雨。日没ごろには止み、雲の上で夕焼けしている変な光が辺りを満たしていた。

2020年5月5日(火)

物置の裏(栃木弁で後ろのこと)に並べた椎のほだ木から、握り拳よりも大きなしいたけが三本、にょっと生えていた。去年の三月五日に祖父と菌駒を打った木だ。あのときは祖父宅の裏庭で一緒に作業していたところで、そこへ暇そうな叔父もやってきて、闘病の辛さから来る冷笑混じりで僕らを見物していた。もう二人はいないけれど、こうして思い出すことはできる。

野辺で写真を撮ることは他者の感情を刺激するかもね、みたいに書いたのは、確か桜が咲くころだったような。感染拡大の怖れが低い状況で手早く撮ってはいるものの、気ままに振る舞うことやそうして撮ったものをアップロードすることに引け目を感じない、と言うと嘘だ。現時点では適切な判断をしながら撮影してるつもりだけれど、見えない不平等感や抜け駆け感が周囲に強まってきたら考え直すつもり。

きょう、石油ストーブを片付けた。午後から小雨。降り始めは青葉の匂いが、しばらくして雨の匂いが流れてきた。

2020年5月4日(月)

近所を散歩。身近な場所にもよく見るといろんなものがあって、そうした移りゆくものを探すことが楽しい。一枚目は朴の若葉とあけび若しくはむべ。今日は曇りだったので、木を下から見上げたら浮き上がって面白い構図になるのでは、と思いつつ撮った。二枚目はニガイチゴかなにかの茂み。空き地の一角に、脱走園芸種のオオアマナとミント類がはびこっているのを見掛けた。後者の葉を揉むとひんやりした香りがするけれど、それはガーデンものの鋭さではなく、例えて言うなら野天の気楽さといったものだった。

政府の緊急事態宣言は今月末まで延長された。BUMP OF CHICKENのMV全てがYouTubeで解禁されてるとのことで、このあと流してみる。二月から三月にかけて往時のベストアルバムを漁っていたころ、このバンドの曲のひたむきな感じがいいなあと思っていたのだった。

2020年5月3日(日)

珍しく昼寝。すごい、気候にうっとりしているだけで一日が過ぎていく。日中はわずかに汗ばみ始めるくらいだった。普段こういうことをしないのだけれど、ロケットの打ち上げを中止したISTにお布施。例の給付金は庭木処分代の足しにするかーみたいな考えでいたから、それならいま夢を絶やさないために少し施してもいい、と思ったのだった。

2020年5月2日(土)

今日撮った写真の現像はあしたやろう。なんか眠たい。穏やかで暑い初夏の陽気だった。ふっと思う、人の感情というのは構造なのでは。それが瞬間ごとに切り出されて表出してるんじゃなかろうか。

2020年5月1日(金)

金の光を受ける夕暮れの風景の中に、ぬるくて甘い遅い春の気配が流れていた。

五月到来。あんなにもったいない扱いしていた四月は風みたいに過ぎていった。あしたの気温は30度近くなる予報で、気候はもう遠慮せずに初夏へ向かうつもりらしい。ソメイヨシノが咲いた三月末から山桜が散る今日まで、息を吹き返したような心地よさを感じていたことは覚えているものの、なにをしていたかほとんど忘れた。もの愁い花の季節をもっと味わっていたかったのだけれど。

きょう業者さんが来て、育ちすぎた庭木を一日で全て倒し、ユンボやトラックで回収していった。アフリカの灌木みたいに「手を出したら命はないからね」と主張していた柚子もなくなった。こちらはもっか枝を水に挿し発根待ち。こういうご時世に手早く作業して下さった業者さんがほんとありがたい。そして庭ががらがらだよ。かつて日陰だった場所にはスギゴケがふかふかの森を形作っていて、それらを撫でるときの手触りが好きだった。日差しががんがん当たるようになったから、デリケートなスギゴケはたちまち干涸らびていくはず。周囲の湿度や風通しが変わるだけでもいたりいなくなったりする植物だものね。あとで少しばかり移植できないかな……。