2020年3月21日(土)

人々の出掛けたい気持ちを刺激しないためなのか、NHKR1からは桜の話題が少ない印象。宇都宮は開花したそうだから、もう幾日かしたらこの辺りの桜も咲くんだろうか。未明にラジアンFを聴きながら、ムーミン・コミックスの変なコマに付箋を貼っていた。ツボに入ってひとりで笑ったり、我に返ってへこんだり、手の掛からないやつだよ……。いま該当の箇所をぱらぱらめくっていたらまた笑みが浮かんできた。そのへん、上手く言葉にできないクセになりそうな味わいがあるんだもの。日中は部屋の窓を開け放して柔らかくなった風を通してた。心地よいね。情報源はラジオだけ、といういまの僕にも、世相の暗さは下腹部へ響くように伝わってくる。祖父の不在にはさみしさが揺り戻しているし。

2020年3月20日(金)

枕元に据え付けていた二階建ての本棚を外した。そこに本をどれほど運び込んでも、自分が寝床の中で読む文章の量はさして変わらない、ということに思い当たったんだもの。でも、この一年半くらい、沢山の積ん読に囲まれて眠るのは幸せな気分だったよ。すっきりした宮棚のスペースにはお気に入りと「いま読むべし」の本が残った。もっか『ポラーノの広場』を読んでる。枕元ではない普通の本棚にも手入れ。こちらからは『ランドスケープ──世界のトップフォトグラファー』をめくっているところ。棚の上のほうに突っ込んだまま忘れていた理科年表(平成22年/2010年の)をぱらぱらとめくるうち、一年の暦と天文情報はこれを参照すればいいんだ、というたいへん基礎めなことに気が付いた。そんなんでなぜ置いてたの。風邪の症状はなくなったけれど、軽い中耳炎らしくて左耳の奥から水分が滲む。そういえば今日は春分なんだね。窓を開けばいい風が入ってくるし、陽は遅くまで差すようになったし、早くこの大好きな気候の中に出ていけたら。カメラを入れるかばんも手に入れたことだしさ。

2020年3月19日(木)

熱は朝から引き続けていまは平熱まで戻った。気管支の重苦しさもかなり良くなってきたし、ひとまず安心てとこだよ。これが長引くようならと考えてた。祖父が去ったタイミングではうっすらと死の気配も漂う。「情報から離れたら心に変化は起きるだろうか」ということをこの機に試し始めて十一日目、四月までやれば少しは本が片付くだろうし、それらしい結論も出るかもね、と思う。Twitterを覗きたいけれども。

2020年3月18日(水)

風邪の症状が強まってきたため、あれこれと対策したりされたり。熱や気管支の重さ、鼻づまり、ぼーっとして怠い感じがある。早めにベッドへ入るほうがよさそう。

2019年9月24日(火)に2WAYのトート/ショルダーバッグが欲しいと書いていたことを覚えてる。おととい、ネット断ちの自分ルールを少し曲げてこれを見つけて、きょう届いた。カラーキャンバス 2WAYトート(Lサイズ) AddNinthというブランドらしい。さすがに帆布は頑丈そうな作りしてる。アイボリー/ミントの明るそうな雰囲気が好き。これにカメラやレンズ類を入れてあちこちうろつきたいのだけれど、いま引いてる風邪は長引くかもと懸念してる。

2020年3月17日(火)

オンラインほかメディアの情報をだいたい閉ざして九日目。『いやな気分よさようなら』を読み終えた。今後は覚えたことを実践しつつ、必要に応じてこの本の各章を読み返すことになると思う。手に取ってよかった。この本は、辛さや怒りといった気持ちを感じる心の不合理を切り分け、自分で考えて納得していくことで、生きる苦しさを克服する手順を解説した、認知療法の本の有名どころ。なんかしんどいが精神科や心療内科やそのおくすりに抵抗がある、というひとには、二週間分の処方箋代だと思ってこの本を本棚に突っ込んで欲しい気持ち。読みたいとき手に取れる状況だけでもよいものだし。コンパクト版は単行本よりも価格がこなれていて、僕はこちらを読んだ。デビッド・D・バーンズ『いやな気分よさようなら コンパクト版 自分で学ぶ「抑うつ」克服法』(野村総一郎ほか訳、星和書店) 僕にはとても効く本だったけれど、人や状況によって、この本が必要かどうかは当り前のように違うはず。これを読んでいた僕の状況も、ネット断ちや祖父の死が重なり、ほかに考えることがなかったような感じなので。心に踏み込んで行くこうした書籍を選ぶ際は、受け止める側が弱っている場合にはなおのこと、評価がある程度定まっているものの方が健全だろね。誰かに本を勧めるなら、実用面ではムーミンシリーズよりもこっちが推しかも。

昨日かおとといの気象情報のメールに雷注意報が載っていた。そうかー、春だしね。雷鳴を聞くのが楽しみ。

2020年3月16日(月)

眠ってるあいだに喉を痛めたみたいだ。おおむね晴れ。冬の颪と春の嵐を足したように風の強い日だった。地元の写真/カメラ屋さんへ。初めフイルムコーナーが見つからず店員さんに訊くと、隅っこへ案内してくれた。世間的に浸透したと思われる写真趣味はこんな具合なのかー。評判がよいらしいKodakのPORTRAは在庫がなかったけれど、そこでlomographyの感度400というものを見つけた。こってり系みたいに覚えてたフイルムだ。写ルンですは、入ってすぐ通りすがる位置に、目立つ感じに陳列されていた。意外なことにマスキングテープが豊富。客層が合うんだろうか。確かに現像以外にもこのマステ目当てでまた来る気がする。

井田茂『地球外生命体 実はここまできている探査技術』(マイナビ新書)を読了。ここしばらく希望や未来を語る本を読んでいるような。前に井田茂・長沼毅『地球外生命 われわれは孤独か』(岩波新書)を読んでいたから、きょうのは個人的にその続きとして受け取った。天文/宇宙はいまとても活気のあるジャンルなのだなあと思う。なんだかんだあって『別冊日経サイエンス no.223 地球外生命探査』はこれから手を付ける。電子情報から離れると読書が進むね。いつまでこうするのかまだ不明。

先週の母の話で、祖父は水や食事を摂ることを積極的に避けていたようだ、ということを知ったのを思いだした。たぶん生前のそれなりな時点から、新聞の切り抜きや周囲にあった幾つかの雑誌などに、身体を身軽なものにして逝くことについての記事を見掛けていた、らしい。祖父らしいかもなと思った。亡くなる直前に入院に同意していたことについては、気が弱くなり決心が鈍ったのでは、特に水を飲まないのは辛いことだから、という話になった。祖父が置かれた状況を顧みて僕が考えるのは、彼は自分の家の畳の上でひとりで逝くか、入院したなら周りの者たちがそばにいて看取るため、どちらにしても祖父と周囲が共に納得出来る部分はあっただろう、ということ。話を聞くと、最後に意識を失ったタイミングは布団の中のようなので、落し所として悪くなかったのでは。又聞きによると大叔父も摂取を断つこういう去り方を目論みたいとか。

2020年3月15日(日)

せっかくローライ35のオーナーなんだから、そちらで撮るのもいいよね、と思い始めた。あとで地元の写真屋さんに行こう、フイルムと写ルンですを買う。物理的に触れて振り返ることの出来る家族やうちの様子、というのをいくらか記録しておくとよい気がする。ふだんペンタックスのデジイチをマニュアルで使ってることだし、ローライちゃんの電池を温存してきたおかげで露出計はよく動くし、設定の決め方に関しては問題なかろ。レンジファインダー機のピント合わせは……慣れていけたら。メールチェックをしていると、Polaroid Originals Japan Webのサイトが27日で閉鎖するお知らせが来ていた。高感度600フイルムが流通していたころは1パック10枚組で、1枚あたり缶コーヒー一本くらいの相場だった。いま流通してるフイルムはより高価で手が出ないけれど、撮る楽しさはポラが初めに教えてくれたように思う。

2020年3月14日(土)

雪やみぞれが降りしきる日。葬儀おしまい。解散する際、酒癖は悪いけれど気のいい親戚がうちの母に「順番的にはねえさんってことなんだからそうなんないでよね」と、笑顔ではあるものの、はっきりと言い含めていった。状況的に皆が言い辛いことでも言ってしまうこの人の腹の割り方は、おおむね気持ちのよいものかもね。懸念はあるし、ほんとうに兄弟で母を見ていかないと。

積み上がったベストアルバムの類のうち、雑に流して耳が拾った曲は、直近だと秦基博さん『スミレ』や米津玄師さん『飛燕』『春雷』とか。槇原敬之さんやaikoさんがよく馴染むのって、どういうところを気に入っているんだろう。自分がどの世代の人なのかよく分かっていないけれど、いまは配信の時代でもあることだし、そう珍しくないのでは。

情報的おこもり六日目。しばらく前に創作ノートの参考にと思い、ひとさまのノート本や手帳本を読んだりしていた。客観的に見て、他人の手元をこっそり覗う自分はたいへん気持ちが悪いですね。これからもっと気持ち悪くなるのだ。それらの同人誌には匿名の感想フォームが用意されていた。これから書いて送る。『いやな気分よさようなら』は半分まで。こういう本でなくても認知療法について高校辺りで知っておけたら、多くの人はより楽に生きられるのでは、と思う。最近ぼんやりと、ただ存在するだけでさえ未来へ向かっていることの眩しさや暖かさを、修辞よりも現実のものとして感じる。

2020年3月13日(金)

歯科と通夜。きのう従弟から、きょう大叔父二人から、ああいう人のもとへ通ってくれて、みたいに二言三言労われた。通ってくれて、の先が言葉として出ないところに親族たちの消化できない思いを受け取るけれど、僕としては生きてる者同士の問題が終わったことで、気を揉む動機はもうないのだし、という気楽さばかり。自分自身の未練を減らしたという意味では、僕は参列者のうちでも気分がすっきりしている方なのかもしんない。「祖父を孤立させたくない」という目的の伴った思いやりを、彼がそのまま優しく受け取ってくれ続けたことに、僕は長く感謝していくはず。あした会う人たちにうまくお礼を伝えられたら。

ARIAの前日譚な『AQUA』を勢いで読み始めた。痩せたかき菜の花瓶に液肥二滴を垂らしたところ葉が肥料焼けしたため、地植えを待たずに鉢植えにした。わさわさと発根していたことが幸いして、水は上手に土から吸えているみたいだ。椎名林檎『幸福論』の「時の流れと空の色になにも望みはしないように」がいいなー。

2020年3月12日(木)

少し前にここへ書いていた自作PCのパーツで、CドライブにあてがうつもりのM.2 SSDが未だに代理店から音沙汰ないのだけれど、世の中/自分の状況的に見て、組み立てがすぐに出来ないのは仕方ないなーという諦めの気分がしてきた。自分ひとりの案件なのだし、段取りの手際はもう気にせずにいよう。

『いやな気分よさようなら』は第七章へ。今年は桜の開花が早めということは、アミガサタケの出現も早いのでは。まだしばらくオフラインのまま。