2010年から面倒を見てるこのパソコン、なにかが致命的に駄目ってわけではないのだけれど、もうそろそろ新調したほうがいいかもなあ。Windows7のサポートは切れたし、立ち上げから動作が安定するまで一時間弱掛かるし、ソフトウェア側が進化しているために画像編集時のもたつきが目立つ。CPUが第1世代のi7 960という、骨董品もいいところな部品を使い続けているのだよね。いまざっと検索したら、最新のシリーズには第9世代まであるとか。新しい製品は省電力化が進んでいるから、いずれ電気代の差額だけで新品を新調できてしまう。自分のスキルなら頑張ればパソコンが組めそうな気がするし、近く自作PCを検討していこう……。この先また十年くらい、手入れしながら使い続けられるパソコンを組みたいから、そうした質のよいパーツを分割で支払えるところというと、TSUKUMOやドスパラあたりになるのかなあ。
2020年1月29日(水)
朝から雨。昼ごろ白く明るかった雨雲は夕方にはすっかり晴れて、星空に月や金星が見えていた。
インクが欲しい。気になってるとここに書き付けていた「春泥」は、絶対に必要ではないしなーなんて買わない理由を探してるうち、2019年限定色ということですっかり在庫が捌けてしまっていた。もっか欲しい色はグレーで使いやすく、深みがあるもの。わりと気に入っているエルバンのグリヌアージュは若干薄くて寒々しいというか、紫がかっているように見える。深みというのはもう少し暖かいグレー、土の気配が欲しいのだな。やっぱり春泥を逃したのはしょうがないことだなあ。グレー系インクはまとめページがあったりして漁るには困らないから、この件はそのうち。
さっきからSpotifyでAcid JazzやFuture Jazz、Latin Jazzといったあたりのリストをフォローして聴き始めた。これらのジャンルの志向とか歴史はまったく分からないのだけれど、ざっと流していて耳に馴染む曲が多いということは、このへんに金鉱が伸びてるのでは、と思う。Spotifyは本当に音楽を流すように出来ている気がする。個人的なこだわりでCD(と、そこからリッピングした楽曲データ)を手元に置いておきたいという気持ちがあり、そうしてオフラインにかき集めた音楽をじっくり耳に入れていく、という接し方が自分に向いている。こういう行動ってひよこの刷り込みみたいなものなんだろな。
2020年1月28日(火)
no.9の「usual revolution and nine」というアルバムを聴きながら、ふと我に返ったように思う、自分は綺麗な電子音楽をそこそこ集めてきたかも知れない。そうした楽曲は宝物のように思って手元に増やしてきたつもり。それらとの出会いは直接的ではないにしても、ほんのりと暮らしの支えになってきた感覚がある。でもこういうのは、我に返ってしまうとそこに気持ちがしゃがみ込むから、あまり気にしないようにしてまた駈けられたら。冒頭のアルバムはたまたま個人的に欲していた「春先の花屋の店先」のイメージに合致しそう、ということで手に入れた。歌詞のない音楽には自分で解釈する楽しみがより多めな気がするよ。
2020年1月27日(月)
去年の春に庭へ植えた蕗がふきのとうを一つ覗かせていた。こういうのを見つけると気持ちが和むものだねえ。まだ株が小さくて育つのにエネルギーがいるだろうから、あと何年か経ってそこそこの群落になったら採るつもり。
そういえば祖父宅のふきのとうが出るあたりを車庫にすると聞いた。コンクリートを敷いてしまうから、蕗が要るんなら株を掘って持って行けとか。祖父の話では、その蕗はもとは高原山の上のほうから持ってきたものだそうな。芽が少し小さめな代わりに香りがよい。もったいないからあとでその蕗を掘り出して避難させておくことにした。
今夜は広域で雪が降るとか。だんだんにみぞれや雨になって、明後日までざあざあと降るそう。積もる心配がないだけに、今夜雪の降る様子をちょっとでも見られたらよいなあと思ってる。
リングフィットはようやくレベル40に到達。フッキンリーとの面会が終わってスキルを所持することが出来るようになった。
2020年1月26日(日)
一斉に野火をつける日だったらしく、日がなどこへ行っても煙で白く霞んでいた。道の駅の産直できんかんとせとかを見繕う。ホームセンターに立ち寄ったのち、散歩兼街撮りをしようと思い、飲み屋が居並ぶ下町のあたりをふらふらと巡った。朝の光を受ける歓楽街の無愛想な生活感がわりと好きだ。一日の中で様々な側面を見せる町並みが面白いんだと思う。あちこちで地域猫を見かけた。触らせてはくれないだろうけれど、程ほどに人慣れしていて、カメラを向けてもそこにいてくれる。人家の狭間の細い路地を見つけるたびに入っていきたくなるのは、それを暮らしの一部として利用する人たちがいて、その先はどこか見知らぬ風景に繋がっている、という期待感があるからなのだろうな。日曜の午前中だからか人の姿はたぶん普段よりまばらで、大きめの公園が親子連れで賑わっていたくらいだった。まあ、いまは寒の内だしね。前を歩いていた年寄りが、がらがらと戸を開けて家に入っていき「外はくさい!」なんて話すのが聞こえた。マンションの階段を上って眺めた市街は冬の陽差しの下でおおまかに視程2,3kmといったところで、これだけ煙が満ちていれば確かにくさいかもしれない。昼近くなってきたあたりでするっと帰途。
2020年1月25日(土)
きのう、土手に薹立ちしていたかき菜の先を摘んできた。適当なびんに挿して窓際に飾ると、あたりにいい雰囲気が出た。庭の福寿草はまだ芽が出ておらず。二月半ばに座禅草が咲いたら撮りに行こう。地元の人たちが保護している群生地とは別の、ちょっとした隠れスポットにしれっと生えている。
リングフィットアドベンチャーのマスター4のマップで出てくるジムが愕然とするくらいキツい。負荷30でやってるのだけれど、スクワットからマウンテンクライマーの流れに下半身がついていかず、這いつくばってへろへろになっていた。でも、そうなってからが筋トレだと聞くものね。それから、リングが自分はストーカーじゃないよね? と心配していたけれど、どうもその疑いは濃厚だよ。
2020年1月24日(金)
暖かい雨上がり。そこらじゅうで春先の匂いがした。
2020年1月23日(木)
雨。あんまり長湯をしたため、風呂上がりに立ちくらみがした。防水スマホと飲料を持ち込むことでいくらでも湯に浸かっていられるのだよね。雨水から啓蟄あたりの、ものごとが潤んでくるあの感じが待ち遠しい、というか待ちきれない。花を飾ればあの感じが得られると思う。あしたお店を覗いてみる。
2020年1月22日(水)
そういえば今年はまだ、庭に福寿草の芽が出たか確認してなかった。地植えにあたって陽当たりのよいところを選び、底に堆肥など入れてやった株だから、去年よりも花芽が増えているんじゃないかと思ってる。例の痛みはもう引いたようなので、ちょっとずつ腰回りを動かし始めた。
2020年1月21日(火)
ベッドの中でぼんやりしていると、ここしばらくの自分には心の余裕が不足している、と思えてきた。流感の具合はかなりよくなったけれど、まだ完全に治ったわけではないと、こうして書いたり消したりする文章のネガティブさで察しがつく。寝てなね。