こうして日記を付けるのはわりと楽だ。その日あったことを好きな順に記述してるだけだし、慣れると自分のテンポみたいなのが分かるから、書く燃費が向上するに従って面倒くささが減る。もっと面倒な日は一行だけだったり、書かなくていいよということにして、それなりに続いてる。
でも、もう長いこと創作を気ままに書けていない。今のところ理由の仔細を書くつもりがないため思わせぶりな文章になるのだけれど、雑にいうと内面が不安定だった時期があり、いまは寛解への長い途上だ。そうして、こころが安定してくるにつれて、想像力はいつしか日照りの川みたいに干上がっていった。こういうふうに創作が止まることはちらほら聞かれることらしい。脳の空想/妄想の機能が錆び付いてしまって、いまや物語が作れない(大変な労力がいる)のだよね。
これから歳を取るにつれ集中力も落ちてくるだろうし、困ったなとそれなりに思ってはみるものの、なるようにしかならないとお気楽に考えている節もある。創作の形態やアプローチには、生活の改善も含めて色々あると思うから。
だから、ここで日記を書くことの一つの動機は、創作の書き方を忘れないための、例えて言うなら文章の鉛筆削りとひとりで位置付けてる。もう一つの動機は創作とは関係ないけれど、書き記すことで忘れない→記憶の連続性が生きてる実感に繋がっている、ということだ。まれにここに載せている短文は、錆び付いた頭をぎーりぎーりと絞って採れているもの。短文を増やせたら、どこかに集めて、自分で撮った写真をお話に添えたいなあ。
その晩は、新月へ向かう月が空の高いところにあって、静まりかえった街路や物陰を、そのほのかな明かりで照らしだしていました。夜更けの街では、誰もが昨日のことをまどろみの奥深くへと仕舞い込んで、こんこんと休んでいるのでした。
一方で、そこからこぼれたものたちはどこか輪郭がぼやけたまま、降り注ぐ月の光とはい上がる闇とのあわいを縫うように彷徨いました。
月の光がほとんど届かない街の深いところでは、暗闇は水底のように重く満ち、しかし全くの静寂には今一つ届かないような、覚醒を抱えたものたちの潜める微かな息遣いがありました。もしそこで感覚を澄ませたなら、闇そのものも粒子のごとく遊動していることが分かったでしょう。
波止場から見る海は凪いでおり、ぴちゃぴちゃいう控えめな波音とともに、潮のゆっくり満ちてくる様子が見て取れました。
水平線の向こうまで続くあかね色や紺碧が、それぞれの方角ですみれ色に向かって限りない階調を描き出し、しかもそれらは刻一刻と、宇宙まで続いている黒に染まっていきました。
彼女は桟橋の手前で当り前みたいに突っ立っていました。
夕暮れを背にした波止場の往来を眺めたり、積み卸しや海鳥の喧噪に耳を傾けたり、そよぐ潮風を嗅いだりして、そこにいることをひとりで楽しんでいたのでした。
感覚を感じるままの手放しにしておくことは彼女の良くやる遊びでしたから、人からの干渉を受けない限りは邪魔もせず、退屈もせずに過ごせたのです。
そのうちに夕陽はほとんど海の向こうへ沈み、水平線は一瞬のあいだ、真っ赤な火柱を映しました。天球からこがね色が失われ、彼女の視界に入るものは急速に青みを増し、辺りは眠たいような温度とやわらかな影に包まれていきました。
ちらほらと宵の空に、一番星、二番星と星が現れ出し、船が漁り火を点して続々と沖へ出帆を始めるころ、彼女はおもむろに桟橋から離れました。そして軽やかに人の波に乗って、その日の宿がある繁華街へと歩いて行きました。
短文というのはこんな感じの端切れ。深刻にならずにやっていこう。