2017年11月3日(金)

竹工芸と鉱物の展示を見てきた。

並んだ竹細工を「すっきり」「ぼってり」「緻密」のいずれかに脳内で分類しつつ、編み目や色合いに曲線といったそれぞれの作品の見どころを勝手に推測して、行列に押し出される形でわりあい忙しなく順路を見て回った。人のつくるものにはだいたい見どころがあるものだけれど、同じように笑いどころもあるみたいだ、というのが今日の工芸展での収穫。編み込みから透かしを出したのが拘りぽいなとか、抽象的だけど言いたいことは分かるとか、そこまで高尚でなくて「作品名:竹編みかご」などのざっくばらんな感じとか、そういう楽しくなれるポイントは探せば見つかって、だから会場では変ににやついていたかも知れない。記入したアンケート用紙を受付へ提出したところ、華奢な竹とんぼを一つ貰った。

鉱物展では自然金や母岩に付いたオパールが綺麗だったなあ。今回の移動展示は県の博物館から品々を貸し出されたものだそうで、そのためか足尾銅山の産出品がひんぱんに目に付いた。隣町でかつて採れていた砂金が国内最古の産金かもねとか、それで奈良の大仏を金メッキしたとか、そういうのは小学生のころに一度習っていたかも知れない。プラチナの利用例として職員の私物の指輪が展示されており微笑む。

帰り際に、市街を一望できる河岸段丘の高所なんかを探した。この街が広がる平野部は周囲を山々に抱かれているのだなあ、こんなちょっとなだらかな土地に人が暮らすのだなあ、というようなことをしみじみと思う。風も雲も終始ほとんどない麗らかな日和で、その陽差しのなか街路樹のケヤキがはらはらと葉を落とす風景は、痛切なこがね色としてまぶたの裏に焼き付いた。明日は菊花なんかを見に行けたなら。

2017年11月2日(木)

星を見るつもりで窓を掃除したのだけれど、日が落ちればわずかな照明が鏡のようにガラスへ映り込んでしまい、結果的に風景が一層見えづらくなったからどうしたものか。それから、このところ作る料理が手の込んだものになってる。今週末は竹芸展と鉱物展に菊花展を巡るつもりで様子を見てる。