黒羽矯正展行ってきた。毎年この日になると近くの県道沿いが渋滞したものだが、今日に限っては午前中の雨模様にやられて人出も押さえられた様子だ。みかん一箱と煮卵六つ、函館少年刑務所謹製の○獄(まるごく)ポーチなどを購入してきた。
この矯正展の展示販売家具は品質が非常に高く、数万円から十数万円という価格に抑えられた家具が赤札で掛けられ、日が高く昇る頃には続々と売約済みになっているのだ。総檜の日光彫りなどに触れてきたが、質感のずっしりとしたそれはしかし決してくどくないという印象を受けた。
ところで、いつもの日記。「何処其処に行ってきた」では飽きてしまうし、そろそろ過去に追いやってよい記憶だと思うので、僕がかつてそこにいた場所の事を誰にともなく紹介しておく。
人は誰しも多くの陰を抱えて過ぎ去って行くもので、僕の駆け抜けた時間もそうだった。過去形で書いているのは今現在、僕が自分の人生の一部をすでに生きたと感じているからだ。全うしたとは言えないが、今の自分につながる時間と時代を駆け抜いた、そういう実感がある。有り体に言ってしまうなら孤独の連続で、それに割と偶然にも耐えきってしまった自分が居た、耐えきる事に人生の一部を賭けていた。かつて「人生、59敗1勝くらいでいいんじゃないか」と教えてくれた方がいたが、僕はすでに一回勝利して、今現在を有余と猶予の渡河にいると感じている。
現実に話を戻せば、僕が実際に居た、ポラロイドSX-70の600高感度フィルムの青さに似た時間と場所、それは京都駅の屋上だった。正確にはJR京都駅伊勢丹ビル側の屋上庭園を臨む工事現場だ。京都駅ビル屋上にヘリポートがあると知ったのはこのときにだった。
至るまでの通路はこうだ。草津方面から東海道線を下車し西跨線橋を中央改札口へ向かって歩く。一階の中央コンコースをJR京都伊勢丹、The CUBEに向かいエスカレーターをてっぺんまで上がる。正面に位置するJR京都伊勢丹ビルの右側入り口を跨ぎ通路を突っ切ると、ビルの屋上庭園とは別の工事現場へ至る非常階段がある。ここは常時警備員が徘徊していて鬱陶しい事この上ない。七階辺りまでの扉一つだけは従業員の清掃業務のため必ず鍵が掛かっていない。頃合いを見計らって、時間は夜か昼の十時過ぎ辺りだろうか、階段を一気に非常口まで駆け上がる。鍵には緑のプラスチックの鍵カバーが掛かっている。これを外してまたかぶせ、ドアをくぐる。周りはフェンスに囲まれた一坪庭、向う側には京都伊勢丹屋上庭園が見えるはずだ。フェンスを跨いで登る。左側コンクリート壁の下の陰に脚立が隠してある。これを立たせてコンクリを素早く登り、あとは架線にそって剥き出しの忘れ去られた工事現場を渡り、L字にもう一つの屋上非常口扉が見える位置まで小走りに駆け抜けていけばいい。
そうすると少し開けた場所に出るだろう。目の前にはどこからか通じている非常口と、もう一つコンクリ壁に打ち付けられたはしごがある。これを登れば、京都タワーを除き京都で一番見晴らしのいい屋上に至る、というわけだ。
あの場所には大切な思い出が残されている。が、僕はそこを立ち去って、もう別の人生の渡河にいる。僕の第一の生は言ってみれば屋上と青空だった。立つ鳥跡を濁さずというが、僕がこれまでの事々と別れるにはいつも、文章に直すのが一番の方法だった。あとは誰かがあの空や屋上を受け継いで、それをまた誰かに受け継がせて行けばいい。
この文章がWebのキャッシュのどこかに幾らかでも残り続ける事を期待して、今日の日記ここでおしまい。