2025年10月25日(土)

きのうに引き続き仔猫を遊ばせつつ読書。『怒りがスーッと消える本』というタイトルからいまのじぶん向きではないのではと思いつつも、知らない知識があるかもしれないから基礎として押さえておこう、と手に取った。読み終えて、把握しておけてよかったかもという印象。えらそう。こうした書籍を細々と読みつつなんとなく思うのは、目指すところはおなじでも学問の派閥によってアプローチが異なり、たとえば一方が一方に批判的であったりもするんだなーということ。幼少期の傷や家族や生い立ちに焦点を当てるものもあれば、そのような問題設定そのものが問題なのだという立場もあるようで、とくにどこかへ傾倒するわけでもないのだからじぶんに合ったパッチワークを当てればよいのだよね。ケアのアプローチについて横断的に/基本的なものを、というふうにChatGPTに相談していくと、ヒアリングののち、たぶんこれくらいならその分野ではよく扱われる内容なのではというセルフワークを提示される。行ってみると如実に効果のあるもので、知らないジャンルの基本や相場を把握するにはAIは打ってつけだなーと思う。仔猫がいたずらしたときについ叱るの、よくないから止めたほうがよいなー……。仔猫が行き場のない感情を蹴りぐるみにぶつけたりしたのを見て、それは理不尽なことだったのだと当たり前のことを思わされてなんかへこむ。じぶんが愛着の傷をいまのテーマにしていることもあって、仔猫に対してもそういうことを見がちなのだよね。信頼感が育ってほしいし、ひとと一緒にいる安心感のなかで遊んでいたいだけなのだから、余計な環境はこちらで取り除くのが妥当。いま唐突に『ムーミン谷の夏まつり』でスナフキンがぼやくというか嘆くように独白する「親ともなればこうなっちまうんだなあ。」というせりふを思い出した。じぶんのはどちらかというと案じる感じだけれどさ。

2025年10月24日(金)

仔猫の相手と読書。べつに書かなくても仔猫の相手はしているのだけれど。目の前の机や窓際でひとり遊びする仔猫を見ながら、身体が緩むような安心する感覚が生まれたのだった。こうした安堵の感覚はまだ再現性のないレベルではあるものの、ときおり訪れる。水面下で変化が起きていて、その兆しがたまに顔を出す、そんな感じ。これはとてもよい傾向なのでこのままいってだいじょうぶ。

2025年10月23日(木)

のんびり過ごした日。車で用事に出るのも慣れつつある。『Flow』観た。突然の洪水に見舞われた動物たちの不思議な旅路。絆がテーマといえばそうなのだけれどそれも押しつけるようなものではなく、謎めいた世界は結局謎のまま、美しい細部がイメージや断片のように印象に残る映画だった。冒頭の、押し寄せてくる洪水に飲み込まれ翻弄される仔猫の場面に目が潤んでしまうのは、うちにおなじくらいのがいるからだろうか。個人的にあのヘビクイワシが気になる。群れの中では弱く描かれたものの優しくて信念が先立つ性格なのはよく伝わってきて、ああいうはぐれものは好ましいだけに、あの不思議な別れはいったいなんだったんだろう。そこに仔猫が居合わせてよかった。どの生きものも性格がよく出ていて、ラブラドールレトリバーはたしかにああいう感じだよね、ひとにとっての愛情深さや快活さがほかの動物に鬱陶しいのはわかる気がする、と微笑ましくなった。ラストシーンの、この洪水はなんだったんだろう、という余韻がじんわり。先日ポチった手ごろな価格のポートフォリオボックスが届き、作品をファイルからそこへ入れ替えた。ひとに見せるなら厳選したほうがよいかも。夜はときおり風が立つほかは凪いでおり、いかにも冷え込んでいく季節らしく物音が澄んで静か。

2025年10月21日(火)

商品にしたいポストカード用のデータをひとつつくり、お試しのつもりで少部数のオフセット印刷の注文をした。印刷でシャドウが潰れないためにはどれくらい持ち上げようかとか、アラベールはどの白を選ぼうかとか、入稿にあたって以前も引っかかった箇所の洗い直しとか、細かい作業に時間がかかるのはおなじみ。それから買いものをして帰りにカラオケ。いまに始まったことではないとはいえAdobe製品の挙動がときおりもっさりしており、この自作PCも組んでもう五年以上手を加えずそのままなので、そろそろ新しくしたいところ。メモリは積めるだけ積んでいるけれど、そもそもの転送速度がボトルネックになっているんだよね。マザーボードと規格ごと変えるとなると、Win12(仮)が出るまで待つのもありといえばそう。もっさりといってもあくまでアプリ立ち上げやライブラリ読み込みの際の話だし、普段使いに困らないといえばそうで、なんかすぐに組む理由は考えたぶん遠のくような。きょうは風がぐっと冷えて、原付にワイシャツという出で立ちでは寒いという体感。週間予報を見ると最低気温が一桁台の季節に入った感じ。やればやったぶん片付く/進捗があることは困難ではないのだから面倒くさがらずやっときなさい、という思いがさいきんよぎる。それと、仕事はうちを出たらもう半分は終わったようなもの、とか。

2025年10月20日(月)

朝のうちは小雨だったためお仕事はお休みの連絡を入れ、一日じゅう仔猫の相手をしたり本を読んだり。『レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒』を読み終えた。実践のための手立ては明瞭豊富として、これ、当事者ではなく臨床家向けの手引きだね。。。当然のようにひとりではできないアプローチについてもいろいろ述べられており、それはまあよいのだけれど、大人になった当事者が我が身をなんとかするための書籍っていうのはどちらかというと多くはないのか、それは筋の悪いことなのか。それから、調整という概念の重要性に一章を割いているわりにはその言葉に明瞭な定義がないのはどういった意図なんだろ。個人的に重要そうなキーワードは交感神経系、腹側迷走神経系、背側迷走神経系/内受容感覚/ナラティヴ/偽りの耐性の窓/LOC/「恥」の体験/調整、あたり。大雑把に拾った指針としては、生き延びるための必死の努力はもう完了させてよいのだ、自己防衛反応を手放し安全感覚を手に入れようということ、まずは安全と継続性に焦点を当てること、活性化した各自律神経系を適切なレンジへ調整する取り組みが耐性の窓を拡張する鍵であり、そのために内受容感覚を洗練させること、重要キーワード「対処できる」、新たなナラティヴを創り出し変えてもいけるようになること、「もし安全を感じたとしたら、なぜそうだと分かりますか?」という問いの大切さ、など。もっとたくさんのことが書かれているのだけれど、そこは念入りにマーカーを引いたし必要に応じて再読するからよいよ。たぶんじぶんは各自律神経系が最適な覚醒領域から外れた状態な「偽りの耐性の窓」におり、おそらくまだほんとうの落ち着きや穏やかさを感じられていないのだと思う。こうした場合の一般的な傾向としては背側迷走神経系優位の状態が慢性化しており、それを基調に自律神経系が相互活性や相互抑制を起こすとのこと。じゃあその優位を低いトーンへ誘うにはというと、セラピストとの協働が前提ではあるのだけれど……過剰な刺激を減らし安全/安心な環境のなかで防衛を解き、落ち着く感覚を味わうところから始め、次第に腹側迷走神経系優位な状況を増やしていく。この過程ではやはり健全で正確な内受容感覚を養うこと/身体を感じる体験/興味を持って感覚を探求することが大切で、たとえばどんな感覚が楽しいか、好きか、といったことを探るとよいそう。まとめていると際限がなくなりそうだからこのへんでいったん切り上げ。そういえば本を読みながら、腕に寄りかかってあたまを掻かれるまま気持ちよさそうにしている仔猫を前に、なぜだかこちらも温かな感じがしてほほ笑んだのだった。仔猫の感じているリラックスにこちらの身体も同調したような、そんな感じ。たぶんじぶんは仔猫から教わることがあるんだと思う。

2025年10月19日(日)

本を読んだり、身繕いしたり、茹でた栗をむいて過ごしたり。作品を収めつつ紙の質感を直に見る、という理由でポートフォリオボックスによいものがないか検索。イルフォードのA4サイズはいちばん素敵だけれど、お値段もいっとう素敵だこと。ほんとうはこういうのA3が基本なのだとか。作品を見てもらうということの意味を考えたときにその金額が割にあうかということで、いますぐ決めなくても……という及び腰の思考になるのは、ポストカードをオフセット印刷で作るとしたらまずはこちらにお金をかけては、という案があるから。オフセット印刷は大量に刷っても価格がさほど変わらないものの、基本が高くつくねえ。仮にお試し+10種類を刷るとしたら出費を数ヶ月に分ける? オンデマンド印刷のものを無料配布したとき、素敵だから販売したほうがよいですよ、というありがたい感想をいただいて、そのことがなんとなく頭の隅にある。それと別に考えているのは、新しい8ホールのブーツを買いにドクターマーチンの専門店へ行けたらよいなということ。いま履いているそれは愛着はあるけれど、もう艶が出ないくらいにくったりしてる。都内へ行くのは疲れそうね。だいたいお金と気力の話してる。ほんとうにしたいのは、淹れてあるお茶と栗でこのあとのんびりすることなのだった。そういえば、じぶんたちが抱えて苦しみもしてきたものを、いまのじぶんが預かることにした。みんなには荷が重くても、もういまのじぶんなら楽に持てるくらいのものだしね。とはいえこうした預かりものを散らせていくには生身の工夫が試されるところで、そこはみんなが協力してくれる。もうだいじょうぶとそれぞれに約束もした日。それはそれとして、自然へ目を向ける機会がめっきり。思い出すように触れていることだけれど、軸足はそっちに置いていたほうが自然体でいられるよ。

2025年10月16日(木)

朝の雨のなかを車で産直へ。大きさの微妙に違う栗を比べているうち、通りすがりのご婦人と少し話したり。帰ってきてからは本を読んだり仔猫の相手。読みさしだったキャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール『レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒』(花丘ちぐさ、浅井咲子訳、岩崎学術出版社)をめくる。なんだか密度が高くてあたまに入ってこないねえということでマーカーを引きながら読むとよい感じ。ポリヴェーガル=複数の迷走神経系。交感神経と副交感神経のうち、後者はさらにふたつの系、おなか側(横隔膜より上)と背中側(横隔膜より下)の迷走神経系に分かれており、大きな鍵となるのはおなか側である腹側迷走神経系なのかな。こちらが安全の感覚を再構成するうえで重要な内受容感覚に関わる。脳や神経系には可塑性があるから、適切なケアを続ければニューロセプション=安全か危険かを区別する神経回路を穏当なシステムにしてあげられるし、愛着スタイルも安定したものに変えられるよ、という感じ。まだまだ序盤。個人的に口笛を吹いたり歌ったりして気分がよくなるのは、それ自体の楽しさだけでなく、呼吸→横隔膜→内臓の動きを通して腹側迷走神経系が優位になり、そこからリラックスが波及する、という経路(もある)かなと思う。最近のしていることがきちんとつながるあたり、わりと筋がよいのでは。暗くなるころすこし疲れて床に伸びて眠ったら、仔猫もこちらの顔の近くで眠っていた。もうやんちゃ盛りで元気があるから、小さかったときのように遊び疲れたらこちらの胸もとへ身体を預けて眠る、というのはなくなってきているのだよね。それでも近くで眠っていると、そこが安心するのだなと思ってこちらとしてもなんというか、うれしさはあるよ。一日じゅう口笛を吹いていた日。