無性に鮎が食べたくなり、小雨のなか商店へ向かって子持鮎一尾とアイソ(うぐい、いわゆる雑魚)の十ほど炙って束ねたのを持ち帰り、もそもそ食べていた。
なにかいろいろと書くことがあるような気もするが、いまはひたすら眠い。倒れ込むように眠っちまおう。
いま考えている折本は縦横2:5のトリミング画像を縦に四つ連ねて8:5、つまり折本一ページの白銀比に近付けるもの。黄金比に近い。16ページx4で64枚の弾数を揃えることになるから、撮ったもの漁ればなんとかなるか。いまいち微妙だ。
無性に鮎が食べたくなり、小雨のなか商店へ向かって子持鮎一尾とアイソ(うぐい、いわゆる雑魚)の十ほど炙って束ねたのを持ち帰り、もそもそ食べていた。
なにかいろいろと書くことがあるような気もするが、いまはひたすら眠い。倒れ込むように眠っちまおう。
いま考えている折本は縦横2:5のトリミング画像を縦に四つ連ねて8:5、つまり折本一ページの白銀比に近付けるもの。黄金比に近い。16ページx4で64枚の弾数を揃えることになるから、撮ったもの漁ればなんとかなるか。いまいち微妙だ。
二つ下の雑記でその一年に購入したCDを並べていたの、そいうえば去年はまだだったなと。2014-2015、購入した順に上から。例によってリンク先はAmazonへ。
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レコードまで入れると去年とまったく同じ数買っているなあ。一月に二枚のペース。Best Jazz Piano Standards 100は六枚組で一つだけれど。
先日、Piano De Bossaや浜渦正志さんのPiano Piecesとか、そんなのを見繕ってWinampでねとらじに流していたら結構な数の方々が聴いて下さっていた。僕自身は眠れぬ晩や起き掛けの未明に気まぐれで流す名無しに近い弱小なのにと、びっくりした記憶がある。やってることは垂れ流しなのでグレーではあるけれど、なんだったんだろう。
今日は週末の楽しみ、NHK-FMでジャズ・トゥナイト。録音聴取に入れてしばらく聴いていよう。
ギブスンのニューロマンサーを読み始めた。脳神経をちりちり焦がす系、今はあまり好みではない。同作者のディファレンス・エンジンはハードカバーで手に取ったこともあってか、重厚な趣があった。
土臭い本も読みたい。狐笛のかなたあたりを読み返そうか。少しずつ、桜が咲くころに。
ジョン・ハリソンの本が二冊、本棚の肥やしになっているが、この辺を引くと際限なく同じ棚の大航海時代肥やし本に取り憑かれるのはわかっている。そういえば十年近く前に見かけた岩波の大航海時代叢書と大旅行記叢書、あれは古書で一冊につき二万円の値がついていて、手元に置くのは諦めたんだった。
……うあ。いまAmazonで検索したら中古本で軒並み千円以下だ。そして現在もシリーズの刊行続いているのね。いつか揃えて囓り読みしよう。いま手に入れたところで嬉しくもない。こんな分厚い何十冊というのも読み終えないだろうし、年食って生きていたらだね。
ニューロマンサーに極北の動物誌と現代俳句歳時記春あたりを並べておく。
久しぶりにCDを購入。style-3! の家康ときらきらDAYS、和泉宏隆ピアノトリオのしなやかな風の三枚。家康はNHK-FMで花雷が流れていてとても好みだったため。
弦楽器の伸びやかな音が好きだ。しなやかな風は以前手に入れたPyramid 3の和泉宏隆さんを辿っていて見つけた。3つながり。
先日はマイナス七度を下回り、今夜からまた寒気が強まるそうだ。
そういやMASTERキートン Reマスターを読む。QUEST 1を雑誌で読んで、そのころの雑記に「単行本になったらまとめて読もう。非常な楽しみ」とか書いている。老けたキートンのひと癖ありげな笑みにもそのうち慣れるのだろう。
そういえばそのに。ルピシアの桜漬は二月十五日に発売らしいと去年の雑記にメモが残っている。毎年すぐ売り切れんだよねあれ。
JET STREAMとラジアンリミテッドFの時間まで夜更かしまったり。
総合病院の口腔外科は予約でいっぱいだった。それでもざっくりと歯石取りなどはしてもらって、次にとれた予約が来月の半ば。はふん。
夕刻、モカ・イルガチェフェとモンテ・バランスエラ、スイートドリームスと杉林渓烏龍を受け取る。凍頂より杉林渓のほうが好みだ。いつか台湾とダージリンのお茶の産地に行ってみたい。
KJMのレコードを聴きながらお茶淹れて、眠気を誘おう。
明日はたぶん親知らずを抜きに行きます。上のは問題無さそうだけれど、下がなー。横に生えてる。どちらにせよ抜くのは痛いと聞き及ぶ。苦しまない施術をお願いするつもり。
未明から降りしきる雪。午後より雨転して道路がえれー酷いことになる。明日の路面のことは想像したくない。
ある方から、あなたはふっと居なくなるように旅に出るひとだから、と言われた。ふうん。
「ソラシド」を購入。今度は長編らしい。これから読み進めるつもり。
「針が飛ぶ」を読了。小さな電球で寝しなに少し読むだけのつもりだったのに、読み終えた。書くつもりのなかった日記帳へこうして向かっている。
なんだかなー。いま書評やレビューを検索すれば楽しいのだろうけれど、睡魔がそれを許さない。やっぱり音楽少し聴いて眠っちまおう。きっとまた幾度も読み返すだろうし。
……三十日刊行の吉田篤弘の「ソラシド」を思い出し、Amazonで届け予定日を眺めた挙げ句、近場のTSUTAYAに電話した。入荷日を訊ねると、明日入ってくる入荷リストを見てみないと分からない、とのこと。折り返し連絡を下さるそうでひとまず落着した。今度はどんな本なのか、早く手にとって読んでみたいなあ。
ああ。睡魔が逃げてった。
針が飛ぶの「少しだけ海の見えるところ 1990-1995」の章を読む。例によってまた切れっ切れな、詩を書くあの伯母さんの日記になっている。僕というのはこういうものに影響されるので、そのうちこの日記の文体(だけ)が少し変わるかも知れない。
章の終わりに茶色の小冊子が挟まっていた。小冊子というか、いわゆる四ページぶんの折本で、いくつか前のクロークルームの話に関連した水曜日の考察がある。本読み終えるまでとっておけばいいものを、もどかしく読んでしまった。ラジオ付けっぱでまた少しずつ読み進める。
昨晩、ジャズ・トゥナイトのあと(NHK-FMやNHK第1で一時のニュース)にパリのあの報道が飛び込んできて、しばらく起きていた。午前中のNHK総合でラジオ深夜便特集を観たほかに特筆すべき事は無く、寝転がって本を読むぐだぐだな一日。そういや猫のあご下に米粒大の赤らんだはげを見つけた。ノミダニの虫さされか分からず、様子見。なぜか今日はセッション2015を放送していない。