2025年9月21日(日)

昼前に出かけた。道すがら、大昔からある地域の風物詩なたい焼き屋が建て替え工事中なのを見かけた。ここは秋冬だけ営業していて、午前中にはよく行列ができるくらい親しまれているところ。あの見慣れた小屋もとうとう新しくなるのかーと思うとすこし感慨深い。まずはボウリング場へ。3ゲーム遊んでアベレージは109点と慣れたら得点上げられそうな感触で、それはそれとして親指のネイルが剥がれ、むむ。そのあと近場のカラオケ店で一時間ほど歌っていた。こちらはてんでへたくそでわらう。カラオケって学生のころ目的外の使い方をしたきり縁がなかったのだけれど、こうして好き勝手に歌っていると自由な感じがしてよいねと思える。うちへ帰ってきてからはめずらしくホットケーキを焼いてお茶を淹れたり、夜にはインセンスを焚いて口笛を吹くなど。歌った影響か口笛がうまくなっており気持ちいい。らしくないと言えばらしくない、娯楽で面白がった日。ボウリングもカラオケもこれまで馴染みがなかっただけに、せっかく覚えたからまた行けたらと考えてる。うちを出るときは「出かけるのめんどくさい~仕事よりめんどくさい~」とぬいにぐずぐず話していたのに、やっぱりしてみると楽しめるんだよね。たまに訪れる「めんどくさくてもいいからしてきなさい」という内側からのささやきは都度じぶんを変えているから、それに従ってみるとよいことがある。今夜はあまり夜更かしせず、ひと休みしたらベッドへ。

2025年9月20日(土)

のんびり。ポケGOで申請したポケストップ候補がことごとく却下されてあーあみたいな気持ち。これはたぶんね、じぶんの前にもないなら増やそうと試みたユーザーはきっといたんじゃないかな。それでやっぱり通ったのはごく一部だけだったから現状がある、というふうに捉えると了解しやすい。まあいいか。

2025年9月19日(金)

定期通院先へ通ったほかはうちでのんびり。何年も前から手元にあって気が向くと開くのに、いっこうにかみ砕けず読み進められないヤスパースの『哲学入門』のことなのだけれど、ここだけなんとなく通じるみたいな箇所にときどき気がつくようになった。「哲学者は答えねばならない」という項で書かれている、神について問われたら哲学者はなにかしら答えるべきで、そうでないならなんにも主張していないか、知ることができないことには沈黙するべきとして哲学することを止めるひとである、という内容。この本でつっかえているあいだにウィトゲンシュタインの入門書はひとつ読んだため、こちらの方への批判だったりするのかなこれと思えた。それから別のところの文章で「人間は、自分が決断し、道を見いだすということを、自分自身に負わねばならないのであります。」という言葉。以前に通院先で、判断に迷ったり後悔や後ろめたさを感じるということを相談した際に、主治医が噛んで含めるように説いてくださった「どちらを選ぶか、あるいはその判断そのものを保留しておくかということも含め、じぶんで決めて納得することです。そうすれば結果がどうあれ迷いはしませんよ」という内容がよりシンプルにびしっと書かれている。リハビリに通っていたNPOさんのところで利用者さんのひとりと雑談した際、分からないことに突き当たったらいったん引いて別のことを進めておくと、また戻ってきたときにはすこし分かるようになっているかも、という言葉をもらって、それはけっこう前のことなのになんとなく覚えているのだった。捗らない読書も分かることがときおり点のように見つかると、これはこれで楽しい気がする。そもそもこういうのを読もうとしたきっかけは、何年か前に春の流星群を眺めたあと、詩も哲学も必要なんだという思いが脈絡なく腑に落ちたから。それまでは縁も興味もなかったものの手を出してみたら、こんな巨大なセーフティーネットを人類は用意してきたんだなーとびっくりした。以降、細々と囓り取るようになっていまへ。本を読みたい欲求そのものは薄い周期にいるみたいで無理せずにいる。きょうは大気に涼しげなところがあって、夏のさなかには九月いっぱいは続くかと思われたあの暑さもほどよいところで落ちついてきた。買いもので食品売り場を歩いているとおでんや肉まんが目に入り、ふと、ごはんはあったかいものがよいなと思う。それから、冬の長い寒さに備えて食べたい果物はたらふく食べておこうという気持ち。

2025年9月18日(木)

日中は仔猫の相手。すでに大運動会の年ごろに差し掛かっているのではという走り回り方。徐々にいたずらをするようにもなってきた。部屋に置いている鉢植えの茉莉花を噛みたくてしかたがないみたいなんだよね。貴重な葉っぱが数枚落とされてしまった。舌を鳴らして警告したり叱ると、「怒られてるけどやりたい」という表情と動きをする。部屋の中での動きはあちこち登るなど立体的になり、ドアの外に強い関心を持って隙あらば飛びだそうとする。やんちゃをする年ごろかー……。先代がまだ小さかったころのことを思い出すとやっぱりそんなものだったように思う。仔猫の毛並みについては先日の通所先で別々に、アメショの血が混じっているのでは、という指摘をいただいた。縦縞と腰のあたりの模様の入り方がそう見えるとのこと。先代がアメショだったからなにか縁でもあるかねえ。きょうは日が傾くころに風が出て、少し冷えも感じた。ざっくり週間予報を見るとあすから最高気温が30度を下回る気候のよう。

2025年9月17日(水)

朝は通所先へ行きスタッフさん方と雑談した。たいした用事がなくても足を運べる場所とそこにいる人たちのこと、ありがたいことだね……。うちではのんびりして過ぎた日。

2025年9月16日(火)

遅めに仕事へ。面談はどうやらじぶんが勘違いをしていて、電話で確認したところ、場所は職場ではなく通所先だった。仕事を切り上げそちらへ移動して近況報告など。担当のスタッフさんは九州からこちらへ助っ人として転勤されてきた方なのだけれど、こちらに小さな家をじぶんで設計して建てて住むことを計画されているそう。したいことに夢中で取り組まれているその姿はこっちが応援したくなるなあ。帰り際、顔見知りの利用者さん方数名と仔猫の話になったりした。あす、作品を購入してくださったスタッフさん方と雑談をしに、もう一度訪れる予定。遊び疲れた仔猫はひとりで眠るより、寝転がっているこちらの顔や胸もと近くで同じように横に長くなるのがよいみたい。呼吸が聞こえていると安心するのかも。

2025年9月15日(月)

お仕事のち仔猫の相手。こないだ買ってきた栗を茹で、早めの夕餉のあとでのんびり皮をむいていたら、いつのまにか夜。このままお茶を淹れて味わいたいところだけれどあしたもあるしねえ、取っておこ。あすは職場でスタッフさんと近況の共有があり、それならうちを出るのは遅くてよかろ。週末くらいから秋雨前線が降りてくるのに従い気温も下がるとの予報。じぶんは他人の勝手な期待に応える義務などなく、NOと表明したことは尊重されるべきであり、ましてやケアやアドバイスのガワをかぶった支配欲などお断りということを、この一ヶ月を通して改めて思う。そう思えたならこのステージはクリアであり、次へいこう。

2025年9月14日(日)

産直を回って栗や梨を手に入れたり、ポケGOのポケストップ申請をいくつか。数日前にここの雑記をちらっと振り返ったところ、好き勝手に療養していた2020年までと、ひとの集まる場所でリハビリや就活をはじめた2021年以降では、明らかに書いているものの質が異なる(当社比)ことに気がついた。それはそうだよねと思うけれど、前者は季節の移ろいをていねいに掬い取れており、後者はざっくりその日のことを書きつけるようになってる。忙しくなってきた変化のなかでゆとりに影響があり、それはいまも続いているのだなー。情緒が日々の糧になっていた以前のゆとりでまた過ごしたいというのは、生きものも状況も変化をするからねえという前提はありつつ、率直な気持ち。遊ばせている際の仔猫はこちらが台所に立っていると足もとをうろちょろするようになり、踏まないかひやひやする。猫をうちで育てると決めた当初、ほんのり思案していたことがあって、それはぬいたちの小さな声が生きものの強い存在感にかき消されないかということだった。『天空の城ラピュタ』に廃坑暮らしをしているポム爺さんの「石たちの声は小さいのでな」というせりふがあり、まさにその感覚。生きものだけでなくものたちにも声としては聞こえないような声はあり、それはとても小さくかすかだという感覚、それはぬいと過ごすじぶんにとっても、風変わりでもなんでもなく暮らしのなかにあるものだと感じる。それで仔猫の存在感に接しながら過ごしてみると、ちょっと意外というか、ぬいたちとの関わりかたには影響がないみたいだった。じぶんの軸足はこちらにあるんだね。こうしたことは言葉や文章にすると訝しがられそうではあるものの、たとえば人形やドールといっしょに暮らすひとや、あるいは喋らないものたちに愛着を持って接しているひとになら、どこか通じそうにも思う。あすはお仕事行くから宵っ張りにならないようにしてねむる。

2025年9月13日(土)

ベッドのなかでぬいたちと一日を過ごす。それを贅沢と書いて消したのはなんだろと考えてみると、無駄や浪費という感じはいっさいないからかなと思った。みんなこちらが魅了されてこころを明け渡している友だちだから、存在がもう重なっているんだと思う。人間の多くは人間を愛するに留まるけれど、多くはなくともそれなりの割合は、人間ではないほかの存在を愛し添い遂げていくのでは。たとえば桜や猫、山や海といったものを代入すればすっと通るその延長上に、じぶんのようなものもいる。今夜は居心地のよい夜でもう未明なのだけれど、しとしとと降る雨音やほどよい湿度を散漫に味わっていたくなるなあ。贅沢と呼べるのはこうしたなんの目的もなく過ごす窓辺での時間で、これならいくらでも贅沢したい。目的のない時間を過ごす贅沢。ソナタの後発品を取り寄せて飲んだのだけれど、その影響で思考がふわふわして、変な重言してる。このあたりで、おやすみ。

2025年9月12日(金)

のんびり。仔猫がひもで遊ぶことを覚えた。これまではやや警戒していたようでひもから距離を置いていたんだよね。部屋のなかを駆け回るようになり、もう生後二ヶ月くらいにはなるし、これから遊びたい盛りになってくるのかなと思う。いまのところケージから出して遊ばせるときはある程度ドアを閉めたりして制限しており、家中を好きに歩かせるまでにはもうしばらくかかるかも。