2025年12月6日(土)

あー疲れたー。きのうに引き続き午前中からポストカードの編集作業をして、夜十一時を回ってやっと一段落ついた。入稿データは揃ったから、十種類のうちまず半分を入稿した。実物が届いたらその印刷の仕上がりを確かめつつ、調整を加えたものとのこり五種類も印刷に出す予定。あらためて思う、ひとさまから見たらよくわかんないことに夢中になってる。値段をつけたら売れるのかもしれないし、今回は仮にすべて売れた場合なら収支はプラマイゼロというラインの印刷料金で注文したし、美術館の売り場に置いていただけたらうれしいねという宛はあるにしても、べつになにか具体的な目的があってしていることではないのだった。名刺代わりにはなりそうね。自身の内部を織りなす他人と関係のない文脈が増えることの心地よさ。端的に言って自己満足の快。気づけばきょうは作業中ずっと音楽にあわせて口笛を吹いてた。

2025年12月5日(金)

のんびりする日のつもりだった、のだけれど。午前中はなんとなくぼんやりして、昼過ぎにめんどい電話をいくつか片付けたところで、ポストカードの編集に手をつけた。初めは決まった編集をかけて入稿用のファイルをいったんすべて用意したものの、宛名面に個別の作品名などを入れることにして文字の細かいレイアウトや組み方に凝りだし、プリンタとのあいだを行ったりきたりして印刷や微調整を繰り返したり、編集し直すことにした作品の環境もICCプロファイルやソフトプルーフをきちんと印刷所のそれに寄せて設定したり、なるべくデータ量やディテールを落とさない編集の流れを決め直したり、そういうのをすべてChatGPTとやりとりしつつデスクトップ機の前にかじりついていたら、もう日付が変わってる……! なんか久しぶりだね、こういう集中のしかた。夜が深まるにつれ没頭のアクセルを踏み込んでいくよくあるあの状態なのだけれど、こういうときは作業途中のまま火を落としておくと翌日も再開しやすくて全体の効率につながるのだった。そういう判断できてえらい。やればやったぶん進捗がある作業は困難ではないから今日中に入稿まで終わるはず、みたいに思っていたのにぜんぜん違ったなー。でも、あれこれ試行錯誤したおかげで当初の着地点よりクオリティは上げられそうで、じぶんなりに製作してることの久々の没頭を歓迎したいところ。なんだか文章のテンションが高めで気づかぬまま疲れていそうだから、このへんで眠るがよいよ。そうか、のんびりするつもりが思いがけず充実してしまったんだね。

2025年12月4日(木)

きのうも書き忘れてたけれど、お仕事のあとで歯科に行き、ぐらついていた歯を抜歯した。そこはブリッジを入れる方向で治療中。きょうはわりとしっかり初雪が降り、朝のうちはあたりが白く覆われた。朝またその歯科へ行って抜糸部の消毒を受け、そのあとは地域の園芸店を三店はしご。いまくらいの時期がパンジーやビオラの品揃えの充実するころなんだよね。始めに向かった店で店員さんに伺うと、ヌーヴェルヴァーグやドラキュラといったブランド苗をことしは仕入れないそう。苗に人気があるだけに流通するとなると確保がむつかしいのかもね。二店目、三店目と回ってようやくブランド苗が充実している売り場へ。どちらも山の上のほうにあるから道沿いはすっかり雪景色で、日中で雪が解けているからよいけれど、この代車はノーマルタイヤでは……と思いながら走っていた。そのブランド苗が充実している売り場もすっかり雪をかぶっていて、この日じぶん以外にビオラ売り場を眺めたひとはいなかったらしく、積もった雪を払いながら苗の花色の個体差を見比べた。最終的には春を予感させる桜色の春マンボーと、夕焼けを思わせる複雑な色合いのヌーヴェルヴァーグ2鉢をそれぞれ購入。帰ってきてからはそれらを鉢に植えつけて水を遣ったり、保険会社に電話を入れてやりとりしたり。ビオラ巡りで疲れたし、もうあとは日曜までのんびりだらけることにして、今宵はおふとんへにゅるん。

2025年12月2日(火)

なにごともなく。きのうは書き忘れたけれど、初夏ごろ美術館脇に咲いていたたくさんのヤマユリを花後も刈らずに取っておいたのを、実がドライフラワーになったいまになり収穫した。こういうの館内での飾り付けに使うみたいだから個人的判断で取っておいたんだよね。どれも大ぶりでダイナミックな実付きの束。それを奥さまとTさんに持っていったら「大きくてかっこいいから展示室に飾ろう」ということになり、アンティークのガラス照明から電球やガラス数枚を抜いて実を活けるかたちで差し込み、それを展示室の一角へ持っていって飾った。ついでに展示作品に手に触れつつほこりを拭ったり、他のドライフラワーの飾り付けを任されたり。お二人とも喜んでくださってなにより。作業の終わりにTさんから「じぶんで持ってきたものが飾られるのってうれしくない?」と訊かれたのだけれど、すごくうれしいですよ。活け方や飾り付けを任されるのってそのへんを評価してもらえてるんだなあと思うし。じぶんよい場にいるなあと思う。あすは午後に歯科の予約があるからお仕事はすこし早く上がる予定。お世話になった元通所先のスタッフさんのひとりが来年一月で退職される件で、オフセット印刷のポストカードを早めに仕上げて、一組を餞別として今月中に渡そうかと考えてる。ほか、ビオラとシクラメンを探しに行きたいとか。喫緊ではないものの遅くないほうがよいタスクがいくつかリストになっているから、ぼちぼち崩していこう。

2025年11月29日(土)

のんびり。仔猫は去勢手術をしたのでケージに入ってもらっているのだけれど、遊びたくて出してと訴えるのだよね。かわいそうだけれど大運動会をされると傷に響くかもしれないし、術後につき安静にしてもらう。検査したらおなかに虫がいるとのことで、虫下しをしばらく与えることに。

2025年11月28日(金)

定期通院先へ。主治医と傷からの回復についてやりとりをしてあとで振り返ってみると、じぶんでは自覚できていないけれど回復への姿勢が前のめりなのかなというか、頑張りすぎ/力みすぎているよ、もっと楽にしてよいのでは、というニュアンスを仰っていたなと思う。おそらく、あなたのように回復できるケースはそこまで多くないという意味も込めて、ここまで来られたならひとまず満足してみては(そこから自己受容を)、という趣旨のことも。たぶんね、じぶんは理想の高さに自覚がないし、そのことに頑張っているという自覚もない。主観ではそうするほかない、それをするという認識なんだよね。たいていの場合は周りからのほうが状況が見えているというのはあるのだけれど、無意識に頑張っちゃうじぶんも包摂して受け入れるほうがいまはよいかな。そういうのも業や磁場、物語の強度として生きたってよいのでは? 考えとしてはいろいろ言えるところだけれど、こういうのは日々の暮らしのなかで常に調整されるものなので、生活を大切にという着地点。そしてふと思う、これだけ流感が大流行しているなかカラオケで歌っていたらアホかもね。ほんとにいま我に返った感じで、まあでもよくない? みたいな。もしかして全体的に、間違えたってよくないかなというところへきているのでは。いや、他からみれば間違いやズレな要素でじぶんが大部分を構成されているというのはあり、今さら感。こんなふうに出口のない思考を弄んでいるときって微妙に快があるけれど眠ったほうがよいしるしであり、そのように。最近のじぶんの文章から変に自信を感じることがあり、これはどういうことなのかと判断を保留してる。抑圧へ向かうのも気持ち悪いけれど、暴走するのもねという。

2025年11月27日(木)

のんびり。坂本龍一の『Merry Christmas, Mr. Lawrence』を聴きながら、死にゆく者のこころに種を播くことの祈りを思って泣いていた。映画ラストのビートたけしの破顔、あれはいろいろ言われるようだけれど、じぶんはすごくすきだな。

2025年11月26日(水)

お仕事の帰りにカラオケを二時間。これくらいにしとこと思っても、時間がくるともっと歌いたくなるんだよね。楽しさの余韻もより長く続くようになり、うちへ帰ってきてもそれを感じてた。ボーカルの性別関係なくあれこれ歌ってみるのがたのしい。じぶんが心地よく感じるテンポやノリって基本は90~2000年代のそれがベースなのか、それは既知ゆえのバイアスで探索を続けたら現在と合流するのだろうか。当時は邦楽には(音楽にも)関心がなかったのに、時代性は身体にしっかり刻まれているみたいだ。Googleマップのクチコミの件でカスタマーサポートに連絡を入れると、ガイドラインに沿って編集し直せば表示される可能性がある、ということを教えてもらった。引っかかっているのはそこということぽい。知らない国の方とリアルタイムの自動翻訳でやりとりしているの、すごいことよね。それでChatGPTに当該のガイドラインへのリンクとクチコミ本文を読んでもらい、どこが抵触していそうか理由を推測してもらった。「非常に丁寧で誠実だけれど、機械判定の地雷ポイントを多数踏んでしまっているのも事実」みたいに言われてわらう。具体的な医療情報はだめ、褒めすぎるとだめ、特定の具体性はだめ、誘導のストーリーにみえるのはだめなど、むしろ投稿されてて読めるクチコミってよくこれだけの条件を掻い潜ってるねと思う。替えの文章も提示されたけれど、原因は見えたからあとでじぶんでクチコミを編集し直すことにする。