2019年12月13日(金)

手帳の残りの厚みがもうほとんどない。いつの間にここまで減ったんだろ。いま使ってるのは無印良品の上質紙1日1ページノート文庫本サイズ 通販 | 無印良品。日々の雑事(それほどたくさんのことは起きない)を書き留めるにあたって、最初は名に聞くほぼ日手帳を使ってみたんだけれど、ここまで高級なものを使う必要ないなあと一年掛けるうちに思ったため、無印に来た。この1日1ページノートは手に入れやすい価格で、無骨なうえ強度もあるところが気に入ってる。ただ、使われている上質紙が文字を書いたときにちょっとだけ、インクで滲みやすい。油性の筆記具を使えばすぐ解決しそう。でも、万年筆で書く娯楽をプレピーで覚えてしまったから、ペンよりはノートを変えたいのだよね。そんなことを考えて隣町の文具店を覗いた。日が沈む時間帯で、ふだんの落ち着いた雰囲気からは意外なくらい、店内に人の気配がある。手帳コーナーをしばらくうろうろ。少しして判明したのだけれど、たぶん世間さまの需要は1日1ページのデイリーよりもずっと、ウィークリー寄りだ……一ページが七段に分割され、もう一方のページが自由なスペースになっているタイプの。一日の欄が狭い気がするのは、それほど書く需要はないってことだろうか。その場での判断を保留にして帰宅。いまこうして検索をしてみると、【保存版】ほぼ日手帳以外の1日1ページの手帳17冊をまとめました!(随時更新) というページに求めていたそのものな情報が載っていた。もう今年は残り少ないし、これからリンク先を閲覧して使うものを決めてしまおう。ほぼ日手帳は自分はもう使わなくても良いかなー、と思った理由は上記の他にもうひとつあって、手帳の前の時間を心地よくするために手を尽くしてくれている感じ、とっておきの歓迎をされている随所の工夫や、あのページ下のひと言などが、分かってはいてもなぜか、僕にはピンと来なかったんだった。僕が手帳に求めているのは自分の言葉だけと向き合う時間なのかも知れない。文具店の売り場には栃木県民手帳というものが積んであるのも見かけた。そんなんあるん。栃木県民手帳のご案内 が詳しい。おおまかな地域の行事が月ごとに載っており、これって軸足は栃木県のデータブック(携帯用)みたいだと思う。

2019年12月12日(木)

今日ずっと眠い。祖父から桜の丸太としいたけドリルをもらった。祖父に気付かず申し訳のないことをしてしまった。後日なんか持っていこう。

きのう『ムーミンパパ海へ行く』を読み終えた。そのたびに合点のいく箇所が見つかる気がしてる。島に馴染むのがいちばん後になったムーミンママは、どのあたりでSOSやホームシック解消の徴候を出していたんだろう、なんていうのが今回は気になってた。後者は「だんだんにママは気が大きくなってきて、階段に足音がきこえても、木の幹のうしろにかくれるようなことはしなくなりました。」のタイミングだと思うのだけれど。ママは薪を集めたり絵を描くことを通して、自力で島や灯台との折り合いを付けたんだなー。こうした「誰かと貸し借りの関係を作るでもなく」解決していくムーミン作品のあっさりした感じが好きだよ。漁師とモランが似通った孤独の持ち主として描かれてることも思った。放って置かれ、無関心に晒されることの孤独だ。モランはムーミントロールとの交流のあとはどうしたんだろう。島に残れば心を温める光は毎晩灯るから、夜な夜な灯台を眺めているのかも。ママといえば「まるで毎日が日曜日みたいで、しょっちゅうすべてがかわるのね。これではたしていいのかどうか、わたし、気になりだしたわ。」なんかの、思い出したように曜日の話題が登場するのが分かんないなと思っていた。これってもしかして、過去のムーミン作品を暗示してたりは……しないだろうか。

2019年12月11日(水)

冬の気分の落ち込みはなんというか、心の活動全体が鈍くくすむ感じがする。いまはまだずーんと暗くなっているだけで済んでいるけれど、今年の二月だったか冬の底あたりには、ずいぶんメンタルがやられてぐったりとしていたもの。こういうのは少し前に書いたように、頑張らなくても出来る生活の工夫を重ね掛けしてやり過ごすのが、現状ではいちばん楽。これから三ヶ月ほど、春のことを思ってなんとか乗り切ろう。

2019年12月9日(月)

地元にて土井善晴さんの講演が来年二月にあるらしく、その整理券配布は来週月曜から先着順。去年だったか、三浦しをんさんがこの町へ来て講演をして下さったときも、自分が読む本の書き手さんを声で知ることが出来てよかったと、しっかり思えたのだった。僕自身はあまり遠くへ行く生活をしてないから外の風はなおさら欲しい。早めに整理券を手に入れられたら。

2019年12月8日(日)

このところ一日にぎんなんを20個ほど食べるうち、食後の体温がほんのり下がるかのように寒気を感じるみたいだ、ということに思い当たった。まあ、毒なんだものねえ。ギンナン |「食品衛生の窓」東京都福祉保健局銀杏(ぎんなん)食中毒とは 和田啓爾研究室にぎんなんの毒性が詳しく載っていた。読んでいると、成人の20個というのは少し危うさのある量なのかもなー。美味しいけれど、食べる数をもう少し減らそう……。

椎名誠の『寝ころび読書の旅に出た』(ちくま文庫)は著者によるお薦め書籍の紹介本。ここから興味を惹かれた本をピックアップして、Amazonのリストに入れといた。クラフト・エヴィング商會の『おかしな本棚』(朝日新聞出版)のときもそうだったけれど、好きになった作家自身が気に入った本を紹介してくれてる状態って、こちらが読者ゆえに書物の世界を導いてもらえる贔屓感がある。僕の読書の基礎体力では本への集中力を上手くやりくりする必要があるし、傾向の掴めてる作家があたり情報を回してくれることに、心底助けられてる。上で挙げた二冊のどちらにも載っていた本は、妹尾河童『河童が覗いたインド』とつげ義春『貧困旅行記』。後者はもう手下にあって少しずつ読んでいるところ。そのほか、長い目で古典に手をつけられたら。

2019年12月6日(金)

昨日の夜、ふすまか米ぬかを蒸すもわっとした匂いが近所の農家さんから漂ってきた。しいたけ栽培の培地に使うのだと思う。今年も冬の匂いがやってきた。

買い物ついでに市街を見下ろす城跡の丘へ立ち寄った。葉をすっかり落とした桜の向こうに町並みがよく見える。ベンチに座り、温かい缶コーヒーと地域の風物詩なたい焼きをもそもそ食べながら、風花が舞う薄日の下、しばらくのんびりしていた。この眺望のよいベンチは現在は樹脂製のものに交換されているけれど、以前には塗装された木製だった。その背もたれの部分に、針かなにかの引っ掻き傷で書かれた、短い日記がいくつも残っていたことを思い出す。内容から察するにたぶん、近所の大学受験生の女の子が勉強の息抜きに来ていたんだろう。どういう弾みで文章に気付いたのか忘れたものの、僕がそこを訪れたのは、高校の授業をサボって風景がよく見えるところを探しに来ていたときだ。あのころはただ精神が不安定で窮屈で、校舎の屋上やマンションの階段なんかがひとりで過ごせる気楽な場所になっていた。ベンチの日記は明るい印象の文体で、日付は見つけたときより二年前の受験シーズンだった。こうして振り返って思う、僕は同じ場所で憩う者の痕跡を見つけたことで、そのころの窮屈さが少しばかり紛れただろうな。おそらくその人がそうだったように、僕もどうにか進学先を手に入れ、地元を離れるという経験をした。オチなし。状況はそれなりに変わっているのに、いまも当時と同じく先の見通しはほとんどない。でも、ずっと求めて来た心の安定なら、自分の元にそれとなく引き留められるようになったかなー、と思う。一つところに暮らすことで、風景に記憶が宿っていくこと、そこに人々の生活を思えること、そうすることが時に安らぎを伴うことを、眺めのいい場所へ来るときに実感する。

2019年12月5日(木)

さっきなんとなくポケモンGOを開いたら野生のラッキーがいた。残念なことに逃がしたけれど、長く躓いていた「グレートスローを3連続」というタスクは達成できた。おおー。

日中、青空の半分がくすんで黒っぽく見えた。風向きを考えると、それは山の上空からせり出した雪雲だったのかも知れない。今夜からあすにかけて、年末年始くらいの寒気が本州上空に下りてくるとのことで、土曜の八溝山域にも降雪予報がちらりと出てる。このあたりは風花くらい舞うだろうか。

連日のようにぎんなんを食べてる。おいしくてハマる感じ。今年実った種が道の駅によく並ぶから、買う側としては特に苦労なく手に入るんだよね。食べる際は封筒に入れてレンチンしながら、破裂するぼんぼんという音を数え、加熱しすぎない程よいタイミングで取り出す。宝石のように鮮やかな緑色をしたこのぎんなんの味って、なにかが突出してるわけでもなく、形容が難しいな……。苦みと、ほのかな甘さ旨さ、だろうか。山菜とナッツの間のものってこと? アレルギーを懸念しながら食べることへの背徳も美味しさに一役買ってるように思う。

喪中はがきは数が少ないこともあり、なんとか文面を書き終えた。あした投函する。こういう作業してるときのBGMとしてNetflixで水曜どうでしょうを流していると、なんというか飽きが来なくて邪魔もされず、いい塩梅。

2019年12月4日(水)

晴天。那須の山々は雪雲にすっぽりと覆われ、風景の中で白く消失したようになっていた。北日本は暴風雪警報が継続する天候らしく、秋田で積雪40cmだとか。冬場でも屋外の作業ができるここ平地/太平洋側の気候がありがたい。降雪の境目はすぐそこにあるんだもの。

なんか疲れた。祖父が工場で伐採した樫の丸太を八本、要るならやるというので一緒に回収してきた。彼の屋敷にプールされている桜と栗の丸太は追ってうちへ運ぶつもり。オンライン注文で取り寄せかなーと考えていたきのこの菌駒は、都合のよいことにいずれも、近所の園芸・農業向けホームセンターに入荷していた。やったー。なめこ/クリタケ/タモギタケ各400本を購入。祖父は椎茸ドリルをお前にやるから、菌は自分で植えろという。彼によればなめこは生の丸太(桜)にすぐ打ってよいというけれど、クリタケとタモギタケの要求する環境が分からない。あとで菌駒の取説を読む。広葉樹の丸太を手に入れ放題な環境は祖父がいるいまの期間だけだろね。

ニュースに登場する土地のことを知りたいという祖父に、やっと彼向けのタブレット端末を披露できた。といってもきょうは触りだけ。こういうことが出来るよというていでGoogleEarthを動かしたら、いまは便利なものがあるんだなあ、と話していた。祖父の周りにいる人たちに関わって欲しいと思ってここまで声を掛けてきたことだから、あとは叔父が去り繋ぐ糸の細くなっている従弟を巻き込めたら。