2025年12月4日(木)

きのうも書き忘れてたけれど、お仕事のあとで歯科に行き、ぐらついていた歯を抜歯した。そこはブリッジを入れる方向で治療中。きょうはわりとしっかり初雪が降り、朝のうちはあたりが白く覆われた。朝またその歯科へ行って抜糸部の消毒を受け、そのあとは地域の園芸店を三店はしご。いまくらいの時期がパンジーやビオラの品揃えの充実するころなんだよね。始めに向かった店で店員さんに伺うと、ヌーヴェルヴァーグやドラキュラといったブランド苗をことしは仕入れないそう。苗に人気があるだけに流通するとなると確保がむつかしいのかもね。二店目、三店目と回ってようやくブランド苗が充実している売り場へ。どちらも山の上のほうにあるから道沿いはすっかり雪景色で、日中で雪が解けているからよいけれど、この代車はノーマルタイヤでは……と思いながら走っていた。そのブランド苗が充実している売り場もすっかり雪をかぶっていて、この日じぶん以外にビオラ売り場を眺めたひとはいなかったらしく、積もった雪を払いながら苗の花色の個体差を見比べた。最終的には春を予感させる桜色の春マンボーと、夕焼けを思わせる複雑な色合いのヌーヴェルヴァーグ2鉢をそれぞれ購入。帰ってきてからはそれらを鉢に植えつけて水を遣ったり、保険会社に電話を入れてやりとりしたり。ビオラ巡りで疲れたし、もうあとは日曜までのんびりだらけることにして、今宵はおふとんへにゅるん。

2025年12月2日(火)

なにごともなく。きのうは書き忘れたけれど、初夏ごろ美術館脇に咲いていたたくさんのヤマユリを花後も刈らずに取っておいたのを、実がドライフラワーになったいまになり収穫した。こういうの館内での飾り付けに使うみたいだから個人的判断で取っておいたんだよね。どれも大ぶりでダイナミックな実付きの束。それを奥さまとTさんに持っていったら「大きくてかっこいいから展示室に飾ろう」ということになり、アンティークのガラス照明から電球やガラス数枚を抜いて実を活けるかたちで差し込み、それを展示室の一角へ持っていって飾った。ついでに展示作品に手に触れつつほこりを拭ったり、他のドライフラワーの飾り付けを任されたり。お二人とも喜んでくださってなにより。作業の終わりにTさんから「じぶんで持ってきたものが飾られるのってうれしくない?」と訊かれたのだけれど、すごくうれしいですよ。活け方や飾り付けを任されるのってそのへんを評価してもらえてるんだなあと思うし。じぶんよい場にいるなあと思う。あすは午後に歯科の予約があるからお仕事はすこし早く上がる予定。お世話になった元通所先のスタッフさんのひとりが来年一月で退職される件で、オフセット印刷のポストカードを早めに仕上げて、一組を餞別として今月中に渡そうかと考えてる。ほか、ビオラとシクラメンを探しに行きたいとか。喫緊ではないものの遅くないほうがよいタスクがいくつかリストになっているから、ぼちぼち崩していこう。

2025年11月29日(土)

のんびり。仔猫は去勢手術をしたのでケージに入ってもらっているのだけれど、遊びたくて出してと訴えるのだよね。かわいそうだけれど大運動会をされると傷に響くかもしれないし、術後につき安静にしてもらう。検査したらおなかに虫がいるとのことで、虫下しをしばらく与えることに。

2025年11月28日(金)

定期通院先へ。主治医と傷からの回復についてやりとりをしてあとで振り返ってみると、じぶんでは自覚できていないけれど回復への姿勢が前のめりなのかなというか、頑張りすぎ/力みすぎているよ、もっと楽にしてよいのでは、というニュアンスを仰っていたなと思う。おそらく、あなたのように回復できるケースはそこまで多くないという意味も込めて、ここまで来られたならひとまず満足してみては(そこから自己受容を)、という趣旨のことも。たぶんね、じぶんは理想の高さに自覚がないし、そのことに頑張っているという自覚もない。主観ではそうするほかない、それをするという認識なんだよね。たいていの場合は周りからのほうが状況が見えているというのはあるのだけれど、無意識に頑張っちゃうじぶんも包摂して受け入れるほうがいまはよいかな。そういうのも業や磁場、物語の強度として生きたってよいのでは? 考えとしてはいろいろ言えるところだけれど、こういうのは日々の暮らしのなかで常に調整されるものなので、生活を大切にという着地点。そしてふと思う、これだけ流感が大流行しているなかカラオケで歌っていたらアホかもね。ほんとにいま我に返った感じで、まあでもよくない? みたいな。もしかして全体的に、間違えたってよくないかなというところへきているのでは。いや、他からみれば間違いやズレな要素でじぶんが大部分を構成されているというのはあり、今さら感。こんなふうに出口のない思考を弄んでいるときって微妙に快があるけれど眠ったほうがよいしるしであり、そのように。最近のじぶんの文章から変に自信を感じることがあり、これはどういうことなのかと判断を保留してる。抑圧へ向かうのも気持ち悪いけれど、暴走するのもねという。

2025年11月27日(木)

のんびり。坂本龍一の『Merry Christmas, Mr. Lawrence』を聴きながら、死にゆく者のこころに種を播くことの祈りを思って泣いていた。映画ラストのビートたけしの破顔、あれはいろいろ言われるようだけれど、じぶんはすごくすきだな。

2025年11月26日(水)

お仕事の帰りにカラオケを二時間。これくらいにしとこと思っても、時間がくるともっと歌いたくなるんだよね。楽しさの余韻もより長く続くようになり、うちへ帰ってきてもそれを感じてた。ボーカルの性別関係なくあれこれ歌ってみるのがたのしい。じぶんが心地よく感じるテンポやノリって基本は90~2000年代のそれがベースなのか、それは既知ゆえのバイアスで探索を続けたら現在と合流するのだろうか。当時は邦楽には(音楽にも)関心がなかったのに、時代性は身体にしっかり刻まれているみたいだ。Googleマップのクチコミの件でカスタマーサポートに連絡を入れると、ガイドラインに沿って編集し直せば表示される可能性がある、ということを教えてもらった。引っかかっているのはそこということぽい。知らない国の方とリアルタイムの自動翻訳でやりとりしているの、すごいことよね。それでChatGPTに当該のガイドラインへのリンクとクチコミ本文を読んでもらい、どこが抵触していそうか理由を推測してもらった。「非常に丁寧で誠実だけれど、機械判定の地雷ポイントを多数踏んでしまっているのも事実」みたいに言われてわらう。具体的な医療情報はだめ、褒めすぎるとだめ、特定の具体性はだめ、誘導のストーリーにみえるのはだめなど、むしろ投稿されてて読めるクチコミってよくこれだけの条件を掻い潜ってるねと思う。替えの文章も提示されたけれど、原因は見えたからあとでじぶんでクチコミを編集し直すことにする。

2025年11月25日(火)

朝、シルバー人材の方ふたりがきて、草刈りや枯れたものの処分をしてくれた。コンビニへいって暖かい飲みものと飴やせんべいを買い、差し入れに。芝刈りや落ち葉集めもしてくださり、雑草を捨てるのに使っていた穴がうずたかい山に変わった。これはこれで堆肥にするなり工夫しないと持てあましそう。正午ごろには作業は終わり、庭は見た感じかなりすっきりした。お二人にお礼を言い、本部のほうの方とやりとりし、振り込みの書類が後ほど郵送されてくることを伺った。そのあとはなんとなくおふとんの中でまどろむうち、夜。こないだ書いたクチコミがスパム扱いされたのか非表示になっており、明らかに誤判定で不服なのでのちほどGoogleのサポート窓口へ連絡するつもり。先のお店で買ったフィンガーサラミ、バニラかコーヒーのような甘い香りがほのかにあり、それが奥行きとなっていておいしい。なんか疲れるのはそういう体調の波として、あす行ったらしばらくお休みだから今宵は早めにねむろう。振り返ってみると今月は人に会うスケジュールがわりと多かったよ。よくやってる。

2025年11月24日(月)

美術館の駐車場を手入れしていると家族連れらしい幾名ものお客さんがきて、集合写真を撮ってほしいと頼まれた。映りのよい場所へご案内してコンデジで二枚ほど。満足していただけて、こんなときには写真慣れしていてよかったと思う。喫煙所を訊ねられ、ありませんがここで作業してますから吸い殻はこちらで始末しますよ、と答えると、親子ふたりがそのあたりでしばらくのんびりしていた。娘さんの持ってこられた吸い殻に見覚えがあってアークロイヤルですかと訊ねるとそうで、しばらくその話に。じぶんもかつてアークのワイルドカードを喫っていたから、アーク飲みには親近感というか仲間意識があるんだよね。うれしかったな。仕事帰りにギャラリーへ寄ると新たな展示が行われていた。そちらをのんびり眺めてから、ギャラリーのご主人に作家協会へ入会したいが事務局と連絡がつかない旨をお話しした。担当の方が営まれているお店を教えていただく。すぐ近場の手作りソーセージやハムなどのお店だった。仕事帰りにいつでも立ち寄りなさい、と声をかけていただいた。そしてお店へ向かい、そこで事務局担当のKさんにご挨拶して説明をいただき、来春4月あたりにある総会のタイミングでお試し入会という流れに。ルールでは会員二名からの推薦が必要とのことだったのだけれど、あなたの作品は協会展で居合わせたいろいろなひとが興味を持って見ましたからだいじょうぶでしょう、とのこと。そのあとKさんとその娘さんのアトリエを拝見したり、庭を案内していただいたり。高原らしく美しい林が広がるところだった。お店のソーセージやサラミをいくつか購入し、帰途。うん、なんというか、流れに乗っている感じがする。どこへ向かうか分からないけれど、たぶん知らないところへ。美術館とご縁があったことで偶然そのギャラリーを知り、そこを起点に作家さんがたのネットワークへ入れそうなわけなんだよね。そしてきょう拠点もできた。なんだか思い出すのは、病で途切れた大学のサークルや社会人サークルのこと。知らない人々が集まる場にじぶんも加わるのってそれ以来のようで、人生第二部で伏線回収のような思いがけない変奏を味わっている感じ。この冬は回復を大事にしよう。ことしがそうだったように、春になったらまたいろいろ動き出すはず。

2025年11月23日(日)

記憶への訪問。もうそこに居なくていいよ、じぶんたちがやっと来たよ、という言葉が出た。思い出せるだけの断片をひととおり思い出し、それらに触れる痛みはかなり、なくなったように感じる。うさぎの子の痛みの取り出しはいったん一段落のように思う。一気に記憶の棚卸しをしたわけで、このたび得られた安心/安全の感覚が身体に馴染むよう、しばらくのんびりとそれらを味わうがよい。ゆとりがあったので元通所先のGoogleマップのレビューを書いた。もしよかったらというふうに半年前に触れられてはいたものの、上述の通り書くゆとりがここへ来てやっとできた。丁寧に書いたつもりだけれど、こうしたクチコミ的なものってふだんいっさい書かないから慣れないね……。手持ちのGoogleアカウントにレビューをつけるような運用のものがなかったためそれ用にアカウントを新しく取った。ささやかなお礼ってことでいいんじゃない? きょうは地味に偉業をふたつ遂げたから、おやすみ。