2020年10月6日(火)

朝焼けを撮るのは久しぶり。詰めた乾電池の充電がいい加減だったようで、こまめに電源をオフにしたりと、バッテリーの残量を気にしながらシャッターを切った。次にボディを買い換えるならフルサイズのミラーレスがいいな。デジタル現像は取りかかるときりが無いけれど、ある程度の時間で切り上げたら、それが自分の品質ってことだ。

2020年10月5日(月)

戦場ヶ原では九月三十日に初霜が降りたらしい。初霜 幻想の朝 奥日光、昨年より10日早く|社会,県内主要|下野新聞「SOON」ニュース|下野新聞 SOON(スーン) 奥日光で最初に氷点下を記録するのはこの日が多いという印象がある。この月の変わるタイミングが、このあたりでの季節の曲がり角なんだろうね。室外機の上に出している鉢植えも、もう少し冷えてきたら屋内へ取り込んだ方がよいかも。小くちなしの葉が一枚黄色く色づいているのは紅葉の先駈けなんだろうか。

2020年10月4日(日)

ぎんなんおいしい。朝から道の駅の産直とフリマを覗いたあと、目星を付けていた市街のあたりをぐるっと歩いて写真を撮った。市街といっても旧が付く山の手の静かな商店街と、その周りの宅地。そうした地域には生活の気配が根ざしているから、自分にとってはふらふらと散歩をするのに向いている。空は曇りで、そのために柔らかい光で撮ることができた。風景を探しているつもりでもいつのまにか花を撮っている……。写真を撮るときってなんとなく寄ってしまうのだけれど、街撮りでは引いたほうが状況説明を込められるのかもしれない。きょうは散歩といってもざっくり一巡りするに留めた。この余力でまた別の日に別の町並みを撮れたら。

2020年10月3日(土)

ハイネケンはめちゃめちゃいい香りがする。なんだろこれ、飲んだことはこれまでにもあったはずだけれど、その香りにはいま気がついたみたいだ。『シング・ストリート 未来へのうた』を観た。よかった。ヤク漬けでドロップアウトを自称するお兄さんのことがあまり人ごとに思えず、わりあい彼に感情移入していた。弟から出た「今さら?」という言葉は、つい口をついてしまったとしてもきついよなあ。ラストのお兄さんのガッツポーズは、弟のコナーに歌詞と未来を託したということなのか、そこに自分を説得する感情がこもっているのか、たぶん両方なのではないだろうか。バンド名が決まりみんなが小屋から出てくるシーンに、じゃあ始めるかーという前に進む力を感じた。それから、バンドのボーカルがあんなふうに抜けてしまったら、残されたメンバーはどうするんだろう。出入りが激しいとかでなんてことはないのかも。うさぎ好きなエイモンや張り紙を見てきたギャリーやラリーなんかは、音楽をやれるなら構わないという立場で集まったメンバーだしね。最近考えていることで、庭にいちじくを植えたいのだよなあ。実が美味しいから。品種が多数あるようなので、オンラインでざっと検索を掛けてよさそうな品種を絞り込もうとしているところ。園芸的にいうと、いまは春へ向けての仕込みの季節なため、冷え込む前に早いとこやることをやれたらいいな。

2020年10月2日(金)

祖父が気に入っていた栗の木には実が全く付いていなかった。いがの落ちた形跡も見当たらない。たまたま通りかかった母と、今年は不作だったのかもと話をする。その流れで、敷地内にいるいとこたちがあさってに引っ越しをすると聞いた。義母を始め彼らは、うちの祖父母から受けてきた仕打ちを根拠に、そうする権利があると考えているんだろう。周りで世話を焼く人たちにまでうっすらした拒絶と無関心で接しているのは、袈裟まで憎いってことなのか、あるいは周りの優しさも針のむしろなのかも知れない。地域との交渉は全て亡き叔父が引き受けていたものね。あの大叔父が転居先への新築祝いを出さないというのは、「つながりはここまで」という意図らしかった。祖父の喪中だからどのみち出せないけれど。僕としては、彼らがそこに生きながらそこからなにも受け取らずに、土地や自然といったものから遊離していったことが、むなしく思える。どこにいても同じというのは見えない牢にいるってことだ。それでもここにいるよりはましなんだろうし、それを引き留める権利は誰にもない。この件はいらいらしてむなしい。冬用の厚ぼったい靴下を買い求めたら一足99円だったので5組買った。リングフィットを合計一時間。食用ほおずきを食べた。パッションフルーツに近いほのかな柑橘の香りがあって甘酸っぱく、食感はブルーべリーに似てる。食べたあと口腔に残る品のよい香りは、方向性としてはいちじくのそれ。思いのほか美味しいものだった。

2020年10月1日(木)

十月入り。曇り空は夕方から晴れてきて、いまはとても眺望のよい十五夜の月が見える。夜の大気が冷たく感じられてルームシューズを下ろした。ストーブを出すのはもう少し先かなー。

2020年9月29日(火)

今朝の気温は12度近くまで落ちた。夜九時のいま16度あり、ベランダへ出ると手足の先がきゅんと冷える。手すりには夜露が降りるようになった。服装を変えたりストーブを出すまでもう少し。坂本龍一氏の『async』はとがった領域へ踏み込んでおり「うーん……?」という感想を持った。このアルバムの音を粒子の光と振動として捉えるつぶやきを読んだことがあったから、その線で耳に馴染むだろうかと聞き返してる。なんとなく、bayakaの『Irradiation』と『inner film』が近しい気がした。こちらは個人的なお気に入りのアルバムで、有機的な闇という表現がはまる。『async』もどちらも、空間の深度から見たときに類似点を見いだせないだろうか。

2020年9月28日(月)

髪を切った。風が通り抜けていく。リングフィットを再開して腹部重視のトレーニングをしているのだけれど、このゲームを始めたころよりもずっと身体が慣れて、息切れを起こしづらくなってる。空白期間を貯金で見逃してくれるところが筋肉の裏切らなさなんだろう、と解釈してる。きょうは穏やかで季候のよい、風の爽やかな日だった。祖父が裏庭に植えて気に入っていた栗の木に実がなるころだから、そのうち様子を見に行けたらと思ってる。いとこたちはそうしたことには無関心だろうし。

2020年9月27日(日)

果物市場に寄ってから道の駅へ。珍しく二つのグループのフリマが出店しており、路上には普段の休日よりもずっと賑わいがあったように思う。たまにしか見かけないグループの品々を巡るうちに「おっ」と惹かれた店があった。扱うものはアンティークなのだけれど、ほかの店よりも粒が揃っている感じ。周辺をうろうろして商品に見入るうち、店の前に置かれた一品300円のワゴンに、小さな花瓶やぐい飲みや徳利といった、小さくて形の似たものがころころと転がっているのを見つけた。じつは、フリマに来たらランプと花瓶は熱を入れて探そうと勝手なテーマを持っているのだった。それらは手のひらサイズの民芸品という感じで、眺めるうちすっと親しみが湧いた。背の高いとっくり型の花瓶やおしゃれな水差し型のものなど、それぞれを手に持って比べたりしながら、それなりの時間を悩んでいたと思う。安定性があり雑草を活けても自然なのを、ということで見繕ったのが画像のもの。ささやかな花瓶だけれど使っていけば愛着が湧くと思う。フリマの品々のよいところは、量販店で売られているものと比べて歩んできた経路が複雑で、おそらくより多くの人々の手を渡ってきているところ。今風に言うと物語が多い。そうした親しみを持ちやすい一品ものを探すのもフリマの楽しみだと思う。この花瓶には庭の花や野辺の花を挿すつもり。雑草の花は観察すれば面白そうなので、そうしたものを手元に置く手段としての花瓶にもなれば。眠たい。