2021年2月23日(火)

移植に取りかかりだった庭の真ん中あたりへ土を足し、埋もれていた木材などはあらかたより分け、苦土石灰や堆肥を漉き込んで均した。これでこの件は本当におしまい。一月十九日に始めたから一ヶ月かかった。そのあいだに軒下や物置の整理も始めたり、運び出した庭木には移植先を掘ってやったりと、ひとりでほかのこともやっていたわけだけれど。少し寒い日が戻ってくるようだし、庭の作業はしばらく休む。

2021年2月22日(月)

多少ましにはなったものの、依然気が滅入る。こういうときは食べて眠ってよく休むのが最善手。よくあることだけれど、内面の乱高下によってままならなさや上手くいかなさに絡め取られると、さっくりと気分で失望してしまうな……。日ごろ見たり思い出したりする必要のない事柄にまで焦点が合ってしまい、まるで車がぬかるみでスタックするように、ネガティブな気分にはまり込んだまま消耗してしまう。車も心も基本的なところから対策すればいずれ脱出できるから、焦りから距離を取って過ごすつもり。

2021年2月20日(土)

図書館で新たにクラシック音楽のCDを借りた。楽天にてことし蒔きたい種を注文。オルレアやスイートピーは当地では秋蒔きがおすすめらしいから、室内でビニールポットへ播種し、大型連休へ向けて促成するつもり。いちじく2品種の植え方と仕立て方はおおかた決まった。アーチペルを庭植え+開心形か主幹形とし、ビオレソリエスは鉢植えで一文字仕立てを目指す。庭と鉢に分けるのは冬場の寒さに対するリスク管理込みでのこと。でかい鉢かプランターが必要になりそうだ。

2021年2月19日(金)

久しぶりに道の駅の産直を覗いた。冬の終わりは作物のバリエーションが単純なため、ふらっと巡ってすぐに出てきた。それから図書館へ向かうと休館日。部屋の壁に図書館カレンダーを貼っておきながら、こういう日に限って確認しなかったのだった。そんなこともあるよ。買い物を済ませてうちへ戻り、外の物置から人形ケースを運び出したり、掘り返した場所の整地をしたり、鎌を砥石で研いだりクレマチスの誘引などを、日が傾いてくるころまでやっていた。『イル・ポスティーノ』を観た。亡命中の詩人と郵便配達人の交流を描いた作品。せりふはそれほど多くないけれど、交わされる言葉や思いは豊かだった。詩人ネルーダが島を去ったあとの郵便配達人マリオが、残されたレコーダーを活用してメッセージを吹き込みながら語る「あなたがいなかったら詩など書かなかった」という言葉が、混じるものなく美しかった。友を失った詩人の顔に浮かぶ一瞬の微笑みと翳り、そして呆然とした表情のまま思い出多い断崖の下へ立ち尽くす姿に、明るい音楽と相まって、悲しさへうまく接続できない痛みを感じた。このラストシーンの日差しの明るさや寄せては返す波の静けさは、地中海の小島のそれなんだろうか。感情がひとつにまとまらずに終わる、じんわり目が滲むよい映画だった。

2021年2月18日(木)

『コンスタンティン』観た。いい男のいい喫いっぷりで映像から間接的にニコチンを摂れる作品だった。ラストは健康志向だけれども。終盤、神と悪魔の両陣営が猫の子にするようにキアヌを奪い合っており、ご家庭のいざこざに巻き込まれた図式が色濃くおいしかった。ルシファーが地上へきたがる息子について言う「男の子は手が焼けるよぉ」とか、所帯の匂いがむんむんする。人間に抱く感情の重さから暴走し、天国のおうちを追い出されたガブリエルだけれど、この人(もう人)が人間の痛みやいい加減さに染まって地に足がつくという堕落をするところ、あるいはいつまでもヒトへの巨大感情を保持してズレた発言をしているところ見たい。おいたが過ぎたからそれくらいは。ポチった椎名誠の文庫が届いた。『ぼくの旅のあと先』の表紙に映る椎名さんは、この肉体で辺境をルポしてきたわけで、さすがに貫禄あるなあ。特定の個人の半生を知らないよりは知っている、という状態も変なものだと思う。そうか、生きていると、人生の重みというやつはこんなふうに感じられてくるのだな……。地元図書館のWebサービスを使えるようにした。当面の目的はクラシック音楽のCDにあるから、サービスを活用することはさほどないと思われるけれど、表示される貸し出しランキングが新鮮だ。このランキングはある面で僕と世間との接点だろな。

2021年2月17日(水)

日差しに力が戻ってきたせいか、陰影を含んで動きのある雲を見かけるようになってきた。北海道では数年に一度の暴風雪だとか。当該の低気圧が台風のように渦を巻いている、野口宇宙飛行士がISSから撮影された写真を見た。たまには椎名誠の本を読むかと思って新刊を検索すると、相変わらず何冊も出ていた。なにより。そのなかで手に取りやすい文庫の『ぼくの旅のあと先』『かぐや姫はいやな女』をポチる。創作に登場させる地名は紙媒体の地図帳から拾うべしという主義なのだけれど、手元にあるものだとどうしても縮尺とページ数から来る限界がある。ので、棚ぼたで手に入れたい物品リストに『最新 世界大地図』(小学館クリエイティブ編)を加えたい。見開きでA2サイズあって本棚に収まるものなのか謎。

2021年2月16日(火)

数日前からすいかずらと庭の福寿草が咲いている。お話のほうは、各テーマごとに考えることを書き出しているところ。自分の創作スタイルは、雑多なアイデアを潤沢にかき集め、それらを少しずつ煮詰めていく中でなんとなくの流れが生まれ、その流れをひたすら微調整して向きを整えていく感じ。歩留まりの悪さはまあ。ただ、このたび書き出しているテーマはこれから長いこと頼りにするものだろうから、いまのお話向けに見切り発車できるところまで、とりあえず量を増やそう。こうしたつくる過程を楽しめているとき、僕は自分なりの正解にいるはずだ。あとは少しずつ積み上げることができれば、効率はともかく、いずれなんらかのかたちにはなるに違いない。

2021年2月15日(月)

久しぶりにしっかりした雨脚。夕方から風が強まった。明日にかけて低気圧が発達しながら北海道沖へ抜けるため、全国的に強風や暴風雪となるそう。冬の終わりを告げる嵐はこれかもね……と思って十日予報を見たら、来週に雪マークがあった。油断ならないんだなー。

2021年2月14日(日)

昨晩の寝しな、ベッドのなかでラジオのNHK第1を聴いていると、ふいに地震速報が入ってきた。それから大きな揺れと短い停電。震源は福島県沖で、このあたりは震度5弱だった。本棚から本がばさばさ落ちたり、運悪くたんすの上に置いていたガラス容器が床で粉々になったり。それくらいで済んだと言えるのかもしれない。ただ、小さな余震が続いており、十年前の震災では大きな地震だなあと思っていたのが前震だった、ということを否応なしに思い出すため、バッテリーや懐中電灯などは持ち出しやすい場所へまとめておいた。机の上の鉢も倒れたら大ごとだから床へ。できることといってもたかが知れているけれど、取り越し苦労ならそれで構わないしね。午前中に父の二十三回忌のため母ときょうだいとで寺へ行き、法要を営んでもらった。一通り済んでからの説話で坊さんは僕たちが独身なことに触れ、結婚して幸せな家庭を築き、それを故人に見せておやりなさい、ということを話した。僕はパーソナリティもセクシュアリティも家庭向きではないから、おそらく結婚はしないと思う。ただ、その場で注釈を入れる必要もないと思ってやり過ごした。きょうだいもそんなんだろな。庭の真ん中にあった植木はすべて移植できたから、跡地においおい堆肥と苦土をぶちまけておいて、適宜漉き込んでいこう。クレマチスをどうやって這わせるか、よく考える必要がある。