各地でとうとう桜の開花が始まったそう。祖父宅の土手から野蒜と菜の花を取ってきて夕餉とした。『パーマネント・バケーション』観た。これはこうでしょみたいな結論は出てこないまま、映像の洗練された感じを綺麗だなーと思った。根無し草な若者の孤独が断片的に映し出されるのだけれど、それらは誰かに理解されるとか交流して痕跡を残すということがないまま、川べりを流れる木の葉のように、すっと立ち去っていく。僕が二十歳のころにこの作品と出会っていれば、この流れゆくような、抗うには慣れと諦めしかないような、どうしようもなくただそうであるという孤独に、共感できたのかもしれない。監督ジム・ジャームッシュという人物の作品リストを見ると『コーヒー&シガレッツ』の人だった。あーそうか、この二つの作品には結びつくものがあるかも。あとでまたこの人の別の作品を観てみたいと思った。きょうは庭の作業も書くことにも無力感があり、ひとつも着手できずにいた。
2021年3月14日(日)
疲れてずっと寝ていた。6mmx200mのポリエステル製ロープが届いた。ぐるぐる巻いてあり、一抱えある大きさ。ロープ素材のうち耐候性に優れるというのがポリエステルだった。これを編んでクレマチスのトレリスにする。素材の白さは目立つから、できあがり次第、なにかで染めて目立たなくするつもり。ソニーのポータブルラジオICF-306を使いはじめた。もう五年以上、ICF-9というより小さめで旧機種なラジオを毎晩眠るときに付けているのだけれど、これはデザインが垢抜けていないのが気がかりだった。これだけヘビーユーザーなのだしもう少し新しい機種にしてもよいな、と思ってのこと。新しく来た機種は重量が倍、本体は一回りか二回り大きいけれど、スピーカーの大きさに加えて受信感度が向上しているのか、音は聞こえやすくなった。そのへんの音質を求めるとシンセチューニングとかデジタル方面なのだろな。僕が重視したのは先代(ICF-9)並みの電池持ちのよさと、そこにプラスアルファの性能だったから、今回新たに使っている機種はわりといいなと思う。機能性を求めるとどうしても駆動時間が削がれてしまったり、より多くの電池や外部電源を使う必要があったりで、そのへんは一長一短なのだよね。先代も今回の機種も、単三電池を二本使って一晩中付けっぱなしにして、十日くらい保つ。僕がラジオに親しみを持った切っ掛けは十年前の震災だったから、長時間使用できることは機種を選ぶ上での前提みたいなものになっている。今回の決めては音量操作ダイヤルの操作しやすい形状だった。
2021年3月13日(土)
一日中雨降り。千葉では道路が冠水するような雨脚だったようだけれど、こちらはさあさあという感じの気持ちのよい降り方だった。雨どいをぴちゃぴちゃと流れる水は冬にはなかった音だ。
2021年3月12日(金)
『七人の侍』観た。胸をぎゅっとつかまれるような居たたまれなさというか過酷なひりひり感に、最後まで釘付けにされながら視聴してた。彼はなんなのという思いで見守っていた菊千代が、次第に侍と農民をつなぐ存在に見えてからは、子供たちからなつかれたり親を喪った孤児のために嗚咽したり、複雑な背景を持つ魅力的な越境する人として映った。終盤、勝四郎と志乃の抜け駆けじみた行いからの、勝四郎が尊敬していた久蔵の死という流れが、ほんともうこっちまで居たたまれなくて。徹底した容赦のなさは引き込まれた要因だったかもしれない。この映画はいろんな作品に影響を与えているという情報をなんとはなしに摂取してきたけれど、それはそうとして漫画ドリフターズの序盤はこのへんが大元ぽいな、みたいによく分からない発見が自分の中で先行してしまった。それはともかく引き込まれたおかげで、途中に休憩パートが挟まれているような尺の作品にもかかわらず、最後まで一気に観てしまった。今日はこの映画を選んでよかった。
2021年3月11日(木)
母と一日中、外の物置の整理とクレマチスの整枝作業をやっていた。物置の大半を占めていた五月人形は、祖父宅のひな人形とともにいずれお焚き上げに出すこととした。物置そのものはすっかり片付いたから、軒下に出されているものもこれから仕舞っていける。クレマチスは誘引されずに鳥の巣のようになっていたのを丁寧にほぐした。あとでロープを買い、それでトレリス代わりのネットをつくる予定。震災の起きた時刻に二人で黙祷。疲れた。
2021年3月10日(水)
日中吹き荒れた風は日が沈むころぱたりと止んだ。去年は桜の開花が早かったけれど、ことしもそうらしい。Tenki.jpの開花予想を見たら、北関東は去年とほぼ同じ頃合いという内容が書いてあった。去年は3月24日に桜が咲いたとここへ付けているから、あと二週間てとこだ。そういえば、座禅草を見に行くことを忘れていた。うちに来てから伸びたクレマチス苗の新梢が、自重に耐えられずに付け根から折れてしまった。元の状態は損なわれずにすんだものの、もしかして不器用な種族なのでは。可哀想なことをしてしまった申し訳なさに加え、たまたま発根促進剤のメネデールがうちにあったため、本に書いてあるとおり挿し穂をつくって瓶へ活けてみた。伸びたばかりの若い枝は挿し穂にしても溶けてしまうそうだけれど、こちらになんとなく罪の意識あるもんな……。うかうかしているといい季節が来て植物は動き出してしまうから、はやいとこ植え付けたい。
2021年3月9日(火)
祖父の一周忌。とりあえず書きはじめた。
2021年3月8日(月)
図書館でCDを借りた。ムーミンの入浴剤でマリンの香りがするのをまた使いはじめた。
2021年3月7日(日)
なんとなく過ぎ去りし日。もったいない。久しぶりにカメラで写真を撮った。一月はかろうじてヒヤシンスを撮ったけれど、二月はカメラに触りもしなかった、ということが分かった。お話にリソース割り振ってるものね。そろそろ座禅草が見頃だから、気晴らしもかねて写真を撮りに行けたら。
2021年3月6日(土)
祖父の命日と一周忌の法要が近いため、そちらの墓を母と掃除した。曾祖母の命日はたしか八日で、祖父の九日と一日違いだとか。墓石をたわしで磨いたり、花を供えるなど。帰りに祖父宅へ立ち寄り、母がお焚き上げのため梱包しているひな人形などを覗いた。それから土手に生えているののひろ(野蒜)を採った。少し前に雨が降ったことで球根は瑞々しくなっているだろうし、祖父によれば野蒜の辛みが減っておいしくなる旬はいまくらいらしい。あとで味噌を付けてかじったそれは、最初にほのかなうま味がありながら、咀嚼するにつれ涙が出るような痛烈な辛みがあり、春の野辺から採ってきた野草の味がした。おいしい。育苗ポットへ播種したほうき草は二日ほど前に芽を出した。発芽率はよいようで、確率に合わせた数の種を埋めたはずが、おおむね発芽しているように見える。春の大型連休に向けて体格よく育つとよいな。ちょっと前に取り寄せたクレマチスの苗は毎日見るたびに蔓を長く伸ばしてる。株元から刈り取っても一年で数メートル伸びる種族だということは分かっているけれど、こうして日々の変化を目の当たりにすると、びっくりする。早いとこ地植えにしてやろう。辺りを見回せば福寿草や梅といった庭の花がたけなわで、足下にもタネツケバナやホトケノザ、菜の花なんかが鮮やかな絨毯のように群落をつくって咲いてる。夜風ももう、そこまで寒くはならない。いつの間にか春のなかにいるんだなー。しみじみとこのうれしさを思う。
