2021年4月13日(火)

自分なりの配色を見つけて写真編集を楽したいと思い、あれこれ弄っているところ。配色とは書いたけれど、印象的な写真かどうかは撮影時におおかた決まっていると思う。逆光/対象までの経路に光線の強弱がある条件や、朝夕の金色や青の時間/午前の斜光などは、撮るものに実力以上の下駄を履かせてくれる。晴れた日にはそうした条件が重なるから狙い撃ちしたい。FILMGRABが参考になりそうなのだけれど、映画のスクリーンショットひとつにしても、色合いの再現性を見つけ出すのは難しいものらしかった。画の印象を決めているのは色よりもコントラストや彩度などの階調コントロールにある、らしい。

2021年4月11日(日)

祖父宅から掘ってきた野蒜を、日当たりのよい庭の縁へ一列に植えた。もう一列ほどあってもいいかも。うちで野蒜を採れるようにしたい下心だけれど、祖父宅の植物を少しうちで引き取りたい、という考えもあってのこと。ざっとあと十年は心配いらないとしても、いずれあの屋敷は他の人の手に渡っていくものだろうから。それに、僕なりに祖父母や叔父を思い起こすものが身近に欲しい、ということもあるかもしれない。

2021年4月9日(金)

めぐりズムのおかげで目の周りの凝りが一時的にでも解消された気がする。疲れていそうな家族に一包ずつ渡した。きょうは風が強く寒い日。タンポポの葉と野蒜を採ろうと祖父宅へ寄ると、母が草むしりをしていた。彼女は人がよすぎるように思う。定期通院先では長い待ち時間のあいだに舟をこぐ人々が現れ、看護師さんが窓を開けていた。自分も診察でながっちりをしたことは度々あるから、診察室から出てきた人は肩身の狭い思いをしなければいいなと思う。文庫を持ってきてよかった。星野道夫『旅をする木』(文春文庫)はこうした待ち時間に読み進めている本で、なかなか読み終わらずにもう数ヶ月も方々を行ったり来たりしている。その中にある、生命体の本質は他者を殺して食べることだ、という文が目を捉えた。動物たちの霊をなぐさめ、いつかまた戻ってきてふたたび犠牲になってくれることを祈る、その無言の悲しみに私たちが耳をすますことができなければ、人間と自然との関わりを本当に理解することはできないのではないか……というもの。人間が肉を食べるのは自然なことだということを、ふんわり考えはしつつも根拠をうまく言葉にできずにいたから、納得しながらその悲しみにこちらまであてられてしまった。先生は引き続きどこかくたびれて見えた。

2021年4月7日(水)

微妙に体調が悪く、静かにしていた。『デジタルカメラマガジン 2020年7月号』のカラーグレーディング特集に目を通しているところ。写真のプロ25名による色の補正は、どれも言語化された理由や目的によって的確な編集が加えられている。言語化であれば、ある程度は慣れ(文章化された手順)を組み合わせることで取り組める作業なのかな、と思う。とりあえず特集から覚えたいところを要約してメモに書き出してる。折に触れてそのメモを反芻することで、それら個別のスキルが身についていくはず。暖かい季節につき蚊取り線香を焚いた。認識が一瞬で夏を目指す、よい匂いだ。個人的に好きな匂いのベスト3が蚊取り線香(金鳥の除虫菊の)と潮、それから朽ち木。lisnの166 PORTATIVE ORGAN(香木のミックス)は廃盤になったらしい。いいお値段したから仕方ないかもね。でも、あれはよい香りがしたなー。

2021年4月5日(月)

雑多なことをせっせとこなすうち一日が過ぎてしまった。茉莉花は地際から切り詰め、すいかずらは伸び放題だった蔓をほとんど切り落として坊主にし、それらとくちなしにマグァンプKとオルトラン粒剤を与えた。これで株が更新されていけば花付きもよくなるのではないだろうか。ほか部屋の整理や買い物など。もう春だから余計なものは徐々に仕舞っていこう。身体が動くようになってきたここ数年で分かったのだけれど、自分は生活の中に秩序や構造を求めたり、スケジュールを埋めることに喜びを感じたりする人間らしい。大昔はそうだったかもしれない。