2021年8月4日(水)

ルックバックの件について話題を拾っているうち、気疲れでぐったりしてしまった。問題の描写について、表現の側から見ている人と精神疾患やマイノリティの側から見ている人がいて、両者はあまり交差していないように思った。自分はたまたま当事者でどうしても後者の立場から見るし、多少なり関心があるから話題を観察もするけれど、関心のない人にとってはたんに他所でやって欲しい言いがかりに過ぎないんだろう。動かしようのないグロテスクなものを見たようで、心が沈む。ただ、投稿された呟きとしてはおそらく数が少ない側だけれど、精神疾患の側に立って問題を指摘してくれたり、当該の描写に違和感があった旨の呟きを見たりもした。先は長いことだし、多くの目に触れたとはいえ個別の事例に入れ込んでも消耗するだけだから、ほどよいところで気持ちを切り替えて前を向こう。いずれ社会と戦うときがくることや、清いだけの無力ではいられないこと、そして自分なりの幸せをどう追求するか、それらすべては今日や明日の生活を安定させるところから回復していくほかないことを、目を閉じたくなりながらも思う。

2021年8月3日(火)

ここ何日か『アマゾン河の博物学者』を継続して読み進めてる。一日につき、およそ20~30ページに二時間をかけるペース。その二時間の話になるのだけれど、ページをめくっているあいだはそうした時間の経過が気にならないかも、という感触がある。認知機能にダメージが入っているから読書の没入感はもう味わえないだろう、と諦めていた。その没入感の基準というのは、栓の抜けた洗面台へ蛇口の水を出しっぱなしにするように本の世界へ耽溺していた、父の死が迫る小学六年生当時の読書感覚。それは子供の防衛反応が加わった強い没入感だったろうから、そこを基準にしてしまうとそれ以降での肯定的な話自体がむつかしいんじゃないだろうか。文字を追って心地よく過ごせる二時間は、幸せかどうかで言えば幸せに過ごしていると感じる。時間が気にならず幸せというのは、おおまかに没入感に含めてよいのでは。というか、強度を比べるとおかしな話になるのかもしれない。それはたくさん読みたいのかという問いも同じこと。願望が向かうほうに答えもあるとは限らないんだろう。いまどんなふうに満足しているか、その質を高めることはできるか、それはどんなふうに、という方向性がおそらく自分の読書には適してる。集中したり夢中になる機能が希薄ななかで、読書を始めとしてそれなりに時間を忘れられる対象があることは、自分が思っている以上に幸せなことかもね。

2021年8月2日(月)

二ヶ月ほど続いていた心身の不調はこの二週間ですっかり立ち直ったように思う。その件については、だけれど。ToDoリストがあまり消化できていないのは、そこまでの元気さはまだ戻っていない、ってことなんだと思う。早く眠ってそのぶんあす朝の時間をなにかに使おう。

2021年8月1日(日)

届いた本棚を組み立てた。文庫本をしまう場所を増やしたくて、机の下に入る背の低いのを取り寄せたのだった。キャスターが付いているから自由に引っ張り出せる作り。本棚に本をどうしまうか考える時間は楽しい。ダンピアのおいしい冒険(3)を読み終えた。ともすれば状況に翻弄されるほかないような厳しい辺境での、リングローズの「会いたかった」という言葉が、温かく心へ染み込むものに思えた。その勢いで先行してWeb公開されている章を読みにいったところ、みぞおちに入るような展開が待っていて、ちょっとへこんでる。そこからより先へ向かうダンピアも気になるけれどさ。4巻が楽しみ。

2021年7月31日(土)

居室で映画を観るなか、冷房は全開になったままリモコンがつかなくなってしまった。なんだか間の抜けた話だ。窓を開けても状況が変わるわけではないから、暗くなるころに電機店へ向かってリモコンを新調した。庭の水回りについては業者さんがきょう修理/設置をしていった。『ファイト・クラブ』観た。ネタバレしないよう気を遣うと、安定から降りていく男性の姿を描いた作品、って感じ。物語は終始アクセルべた踏みで、最後までどうなるのか先が読めなかった。特に後半の思わぬ展開からはぎゅんと攻めており、振り落とされずについて行こうとして最後まで見終えてしまった感がある。流血/暴力/マッチョの連続なところは自分向けではなかったなーと思う。でも、こういう強いショックをもたらす映画も、たまには。

2021年7月30日(金)

ことし初めてのいちじくを食べた。おいしいおいしい。果物のうちではいちじくがいちばん好きかもしれない。産直でお会計の際に、レジの方から手が綺麗ねとほめられた。うれしいんだけれど、そのおばちゃんが自身の手を低く表現しながら言ってくださったことで、とっさにうまいフォローを思いつけたらよかったな……。地元と隣の市から届くメールでの感染例報告が、きょうはどちらもびっくりするような数字だった。子供まで含まれており、後遺症が残らなければよいがと少し気が沈む。もう買い物であっても人のいる空間へ滞在することはできるだけ避けようか。『ナイト・オン・ザ・プラネット』観た。五つの街それぞれで同じ時刻に繰り広げられる、タクシーの中での出来ごと。みんなたばこに火を付けるタイミングがよく、喫いかたも堂に入っていた。一番目のロサンゼルスのパートでは、運転手の若い女性が客の婦人に火を貸す場面があるのだけれど、そこには急にくだけた距離感が生じていて、ああいいなあと思った。ていうかその運転手が魅力的だった。ほっぺたに車の汚れかなにかを付けたまま、まったく頓着せずに仕事を楽しくこなしてる。降って湧いたチャンスに飛びつくことはなく、自分の人生計画に沿って行動している。婦人もこの相手を尊重すればこそ、スカウトを持ちかけてもそれを強要することはなかったんだろう。それなら婦人は電話番号でも渡すのかなと思っていたら、別にそんなことはなく別れて、おしまい。物語は五つともこんな感じ。いっときふれ合ってまたするっとほどける、かさついてはいるけれど心地よい特有の距離感が通底していた。ほか、三番目のパリでのやりとりが好きだ。盲目の女性客とやりとりをするなか、序盤の客からひどい侮蔑を受けたコートジボワール出身の運転手に、誇りのある柔和な表情が浮かぶのが、とても心地よかった。そして別れた途端に事故を起こした彼のタクシーへ耳をそばだてながら、おそらく「いわんこっちゃない」という笑みを浮かべて歩み去る女性のかっこよさ。付け足すように書くけれど、ローマのパートは悪乗りしながら撮ったんではないのと言いたくなる内容で、申し訳ないけれど神父の顔芸に笑ってしまった。死んではいないと思うのだけれど。こうした、人を求めたくなるような、たばこを喫いたくなるような映画は、ずっと観ていたいと思った。ジム・ジャームッシュという監督の作品らしい。パーマネント・バケーションとコーヒーアンドシガレッツは以前観たときにやっぱり、登場人物の距離感が心地よいなと思った映画だった。この人の作品はきっと鉱脈だから、観たいものを探すときの参照先にする。

2021年7月29日(木)

夕方から雨。『アマゾン河の博物学者』は400/500ページあたりまできた。読み終えることを目標にするのではなく、遠い地上への窓を覗くつもりでページをめくっていたら、いつしか後半もいいとこまで読んでしまった。ああ、もったいないなー。もとより認知機能がポンコツなため、読書に没入感を期待することはないのだけれど、日々こつこつとこの本をめくっていると、そちら側へしれっと潜り込む塩梅のようなものがつかめる。そうして行を追うことにうまく専念できると、なんというか描写の端にときおり、目を細めてしまうような愛おしさを感じるのだよね。記された日付の経過とか、移動の距離とかに。なんだろう、これは。著者への親密さなのかな。一度にたくさん読むことは叶わないけれど、楽しいも面白いも超えて、幸せな読書をしている。

2021年7月28日(水)

市の感染例報告のメールがこのところ毎日入ってくるのだけれど、その内訳の傾向は20代が中心になってきた。自分の認識は、ワクチンが行き届いた高齢者からは感染者が数字として上がってこなくなった一方、現時点で接種の機会はほとんど持てていない年齢層での感染が、これまでの波を越える勢いで蔓延しつつある、というもの。未来ある人たちの人生が損なわれることのないよう願ってみたりもするのだけれど、これからしばらくは感染拡大を抑える要素がないから、予防/回避に努めて引きこもりながらやり過ごす、というのが個人として現実に取り組めること。着物をもらった太宰治ではないけれど、二回目のワクチン接種までうまく生きていようと思う。おととい、人に会いたくなる出来事があり、ダイエットアプリのあすけんをまた使い始めた。動機としては強いみたいでいい感じに食欲の抑制が効いてる。筋トレも再開したいところ。

2021年7月27日(火)

台風通過で雨かなと思っていたのだけれど、強い風に流されていく様々な高度の雲の隙間からは、日がなすっきりした青空が覗いていた。風の涼やかさや軽やかさは臨時の秋のよう。空の低いところをぐんぐん行くちぎれ雲や黒雲というのは、見ているこちらも先を急がなくちゃね、という気分にさせられるなあ。随行者がいるようで楽しい。この先の天気予報には傘マークが並んでおり、夏の天気はしばらく期待薄かもしれない。

2021年7月26日(月)

ひさしぶりに隅々まで掃除。夕方の買い物を済ませて外へ出ると、空が燃えるような色で焼けていた。思わずスマホで撮ってしまった。嵐が来る前には激しい夕焼けが現れることがあると聞くけれど、綺麗だったなあ。いいものが見られるはずと例の高台へ着いたころには日は沈んでいた。次第に暗くなっていく西の空にひととき緑色が覗くのを、風がざわざわと吹き抜けるなか眺めた。そうしてとっぷり暗くなってから帰宅。