2021年11月14日(日)

朝から教習所へ。うちへ帰ってきてからはぼんやり過ごす。短日処理を始めて一ヶ月経ったシャコバサボテンには小さな花芽がついた。んー、去年よりは花芽の数が多いように見える。処理をするあいだ一時的に水やりを断つ必要があったせいで、シャコバの葉はかなりしおしおになり、片方の株には銅葉のような色が出た。さっき鉢を居室へ移動して水をやったから、あとは室温に慣らして花芽が落ちないように管理する予定。短日処理を始めたのと同じ一ヶ月前に挿し芽した茉莉花の枝は、ひとまず枯れはせずプラ鉢の赤玉土に刺さったまま、脇芽がすこし膨らんでいるかもといったことのほか動きらしいものは見えない。発根促進剤を使ったうえ一ヶ月生き延びているから、そろそろ下では根が伸び始めている頃合いだと思うのだけれど。ここで急ぐ必要もないし、もうしばらく様子を見てから小鉢へ移植しようか。園芸好きのする人はなんとなくで挿し芽をしてあとで植物の扱いに困るという習性があると聞いたけれど、増やせるならやってみたくなるものだね。

2021年11月13日(土)

午前中は母と祖父宅へ向かい、屋敷の掃除や柚子の収穫を分担した。祖父が植えた柚子には、ふつうより一回り大きく見栄えのよい実が成る木があり、それを母の友だちにおすそ分けしたいとのこと。残された叔父の家は大叔父が買い取ることで話は決まったらしい。その大叔父夫妻もそのうち訪れるから低い位置にある柚子は残しておいてと言われ、そのように。そこへ病院帰りのきょうだいも立ち寄り、僕は午後の予定があるためいったんうちへ戻ってまた出かけた。NPOさんのところで開かれているスポーツの集会に参加するのはこれが初めて。今回集まった参加者20名というのはこれまでで一番多いかも、という話だった。車で分かれて体育館へ移動し、いつもこんな感じなのかなという設営があり、みな思い思いにいくつかの競技へ分散していった。僕はその場の流れでバドミントンに加わったのだけれど、とても久しぶりにほかの人たちと身体を動かすことに興じられて、楽しい時間を過ごしたのだった。来てよかった。周りの人たちは、細部の違いこそあれきつい思いをしてここへアクセスしたのだろうという印象で、自分もそんな感じに見えているんだろうと思うと気負うことはなかったな。一時間ちょっと活動して撤収、それから解散。特に疲れるでもなく充実した日だった。

2021年11月11日(木)

『戦場のピアニスト』観た。心に響くものがあってあちこち涙ぐんだりもしたけれど、感想が見つからないなー……。それならそれで言語化する必要ないのか。インプラントの手術は来週金曜に決まった。上部構造を入れる日程まで含め、ぎりぎり年内に片付くのがその日らしい。現状の予定の組み方ですらストレスが回復量を上回ってきている感触がある。

2021年11月7日(日)

朝から産直へ向かい、そのまま裏手にある神社を一巡りした。参道入り口で買った鯛焼きはかりかり感のある薄い皮がおいしい。それを食べながら着いた境内にはテントが設営され、その周りでのんびりと菊まつりが開かれているところだった。本殿を参拝してからなんとなく後ろへ行ってみると古墳があり、その手前には小さめのお社が三つ四つ、傾くように立っていた。稲荷もあった。そこに並ぶ陶器のきつねにヒマそうだねと思う。やはりなんとなくお賽銭をして周り、この神社の由来のおおもとであるらしい古墳を一回りして菊まつり会場へ戻った。本殿後ろのそのあたりはひとけこそないものの来る人はいるようで、開けた足もとに生えるオオバコやイヌタデが、秋の朝の光を穏やかに受けていた。そのイヌタデの赤い穂を見ながら思う。こうした花は誰に見られるでもなく咲くけれど、そこを訪れるどんなに小さな虫でも、この花にとっては未来へつながるために待ち望んだ担い手なのだな。期待した相手が来ないこともあるかも知れず、それでも花は咲けばしばらくそこにいて、役目を果たしたらやがては土に帰っていく。なびかない者が持つ言葉にならない美しさを思う。ついでに地元の自然観察館へ向かった。常設の昆虫標本なんかに加えて県立博物館の移動展示があり、いまは昆虫化石と進化の旅がテーマとのこと。たまにしか来ないからと念入りに眺めるうち、それなりに時が過ぎていた。帰り足、立ち並ぶケヤキがわずかな風で一斉に葉を落とすのを、歩きながらぼんやり眺めた。去年も今年も紅葉には目がいかずにいたのだけれど、こうして見ていると、自然や景色は人の社会なんかにはまったくお構いなしに巡っていくのだな、と思う。ケヤキの落ち葉へ手を突っ込んでいる親子のそばを通ったとき、枯れた葉の甘く古びた、よいにおいに包まれた。そして帰宅。うちにいて創作の続きをしてもよかったのだけれど、閉じこもっていたら次第に考え方が煮詰まることだしね。天気のよい日に気分転換に出かけられてよかった。残っていたジギタリスやデルフィニウムなどの苗は、日没ごろに母と庭へ植え付けた。ことし仕込んだ植物が庭に馴染むのは来年から。次の春にそれらが勢いよく伸びるのを楽しみにして、冬を乗り越える。

2021年11月6日(土)

アクリル(仮)の書き出しをしていた。その資料になればと思い、日が沈むころになって新聞を探しに本屋へ出かけた。のだけれど見つからない。考えてみればそうだった、毎日入れ替える必要があるから規模の大きな書店でなければ取り扱うのはむつかしそうだね。それでコンビニへ入って適当に三紙を手に取った。スポーツ系の新聞を開くのは今回が初めてのように思うけれど、なんというか、自分が求めているのとはすこし違う方向性の猥雑さというか。先のTSUTAYAでは地球の歩き方やるるぶをぱらぱらとめくって、こんな感じなのかーと思いながらも棚へ戻した。情報のまとめ(旅先で寄りたい場所とか)ではなく、ローカルめなニュース(どこに追いはぎが出るよとか)をひたすら並べるような媒体があるとよいのだけれど。それは情報の性質が違うからジャンルそのものが別かと思い、雑に検索してる。地球の歩き方のコーナーには、世界のお祭りや主要な都市、国と地域の基本情報をまとめたものも置いてあった。そういうのも検索すれば出てきそうな情報だけれど、紙媒体の決まったフォーマットでまとめられているところが、探しものとは別腹で気になる。あとでシリーズ一覧に目を通せたら。市の文化祭が開かれていることをきょう知った。気が向いたら日曜は覗きにいくかもしれない。

2021年11月5日(金)

朝から教習を受けたり、複数の病院やスーパーをハシゴしたり。待合室で船をこいだほかおつりを取り忘れそうにもなったから、それなりに疲れてるんだろうね。やるべきことをやっていますし、そのままやっていけばいいのでは、と医師から言われ、心の隅でほっとした。周りから評価されることも必要なのかもしれない。今夜と土日はのんびり過ごすつもり。いま、紅の豚のサントラから加藤登紀子『さくらんぼの実る頃』と『帰らざる日々』を聴きはじめた。一日を終えた人たちがこの歌のためにジーナの島へ向かうのは、よい時間かもね。