2021年8月8日(日)

H・W・ベイツ『アマゾン河の博物学者 普及版』(長沢純夫・大曾根静香訳、新思索社)を読み終えた。八月いっぱい掛かるかもと想定していたものの、予定より早めに読了。時を忘れる幸せな読書だった。もとより読破を目的には据えていなかったものの、好奇心を寄せていた南米の熱帯と博物学の栄華とを窓を覗くようにかじり読みするうち、いつしか終わりのページへ来ていた。本は楽しく取り組めるならそれでよく、内容の量もさして問題ではないのだな、と思う。この本そのものは、博物学が栄華を誇った時代のアマゾン河流域という宝物庫へ突進していった、英国出身の昆虫学者が過ごした十一年の記録。十九世紀は社会や科学技術が躍進著しく、言い換えれば変化が過酷な時代だったのだろうけれど、そうした文明の変動が辺境のアマゾン河流域にまで及んでいたことも、本を読み進めるうちに言及されるようになる。辺境の手つかずの自然と文明化の波とを一つの記録としてまとめたこの本は、(やや邪だけれど)創作を進めるうえで確実に自分の血肉になる、個人的に金鉱と呼べる本だった。Twitterでこの本へのリプライをいただいたおり、コンラッドの『闇の奥』という小説を教えていただいて、さっき岩波文庫の古本をポチったところ。次はなにを読もうかと本棚の前で迷う時間も楽しいものだから、それはあす以降に。春からめくっていた『ムーミン谷の夏まつり』は昨夜に読み終えた。それとともに、精神的な不調に陥っているあいだ『たのしいムーミン一家』がお留守になっていたから、まずはこれを八月後半に読み終えるペースで進めるつもり。そのタイミングでことしも『ムーミンパパ海へ行く』を開きたい。

2021年8月7日(土)

RAW現像を何枚か進めた。一枚あたりの編集に一時間以上かかるのは歩留まりが悪いね……編集履歴をコピーしてほかの現像の下敷きにしたり、多少は短縮しているつもりなんだけれど。ただ、こうした作業は苦にならない。本当はこうした衝動か習慣みたいな取り組みかたが、文章の創作へ発揮できたらと思う。たぶんそういうのは作業への慣れでしかないんだろう、ここの日記を書くことがそうであるように。冬明けごろに取り組んでいた書く作業もまた取り組めるようになりたい。リハビリしような。天気予報を見ると当面先まで雨がちらしい。あの暑かったおとといに写真を撮れたおかげでポストカードは印刷できた。

2021年8月6日(金)

『アマゾン河の博物学者』は残すところ一章まできた。ほどよいページ数だから、コンディションのよいとき一度に読んで浸るつもり。読破を目的に据えなければ、本は窓を覗くように楽しめるものだね。次はどの本を読もうかと思案する時間も楽しいことを知ってる。それは積ん読のほうが多く本棚に並んでいるからであり、それはそのまま好奇心の集積物だから。庭の照明の工事はいちおう完了したのだけれど、玄関前と庭の奥とを別個の系統に分けてもらうため、もうしばらく続く予定。

2021年8月5日(木)

長風呂してたら夜が明けてしまった。きのうは地元の城跡で久しぶりに写真を撮った。たぶん今夏いちばん暑い日だったのでは。なんでそんな日にというのは、ひとさまに送るポストカードを印刷するつもりで夏の朝の景色が欲しかったから。暑い日に撮った写真は暑さが写る(といい)と思う。

2021年8月4日(水)

ルックバックの件について話題を拾っているうち、気疲れでぐったりしてしまった。問題の描写について、表現の側から見ている人と精神疾患やマイノリティの側から見ている人がいて、両者はあまり交差していないように思った。自分はたまたま当事者でどうしても後者の立場から見るし、多少なり関心があるから話題を観察もするけれど、関心のない人にとってはたんに他所でやって欲しい言いがかりに過ぎないんだろう。動かしようのないグロテスクなものを見たようで、心が沈む。ただ、投稿された呟きとしてはおそらく数が少ない側だけれど、精神疾患の側に立って問題を指摘してくれたり、当該の描写に違和感があった旨の呟きを見たりもした。先は長いことだし、多くの目に触れたとはいえ個別の事例に入れ込んでも消耗するだけだから、ほどよいところで気持ちを切り替えて前を向こう。いずれ社会と戦うときがくることや、清いだけの無力ではいられないこと、そして自分なりの幸せをどう追求するか、それらすべては今日や明日の生活を安定させるところから回復していくほかないことを、目を閉じたくなりながらも思う。

2021年8月3日(火)

ここ何日か『アマゾン河の博物学者』を継続して読み進めてる。一日につき、およそ20~30ページに二時間をかけるペース。その二時間の話になるのだけれど、ページをめくっているあいだはそうした時間の経過が気にならないかも、という感触がある。認知機能にダメージが入っているから読書の没入感はもう味わえないだろう、と諦めていた。その没入感の基準というのは、栓の抜けた洗面台へ蛇口の水を出しっぱなしにするように本の世界へ耽溺していた、父の死が迫る小学六年生当時の読書感覚。それは子供の防衛反応が加わった強い没入感だったろうから、そこを基準にしてしまうとそれ以降での肯定的な話自体がむつかしいんじゃないだろうか。文字を追って心地よく過ごせる二時間は、幸せかどうかで言えば幸せに過ごしていると感じる。時間が気にならず幸せというのは、おおまかに没入感に含めてよいのでは。というか、強度を比べるとおかしな話になるのかもしれない。それはたくさん読みたいのかという問いも同じこと。願望が向かうほうに答えもあるとは限らないんだろう。いまどんなふうに満足しているか、その質を高めることはできるか、それはどんなふうに、という方向性がおそらく自分の読書には適してる。集中したり夢中になる機能が希薄ななかで、読書を始めとしてそれなりに時間を忘れられる対象があることは、自分が思っている以上に幸せなことかもね。

2021年8月2日(月)

二ヶ月ほど続いていた心身の不調はこの二週間ですっかり立ち直ったように思う。その件については、だけれど。ToDoリストがあまり消化できていないのは、そこまでの元気さはまだ戻っていない、ってことなんだと思う。早く眠ってそのぶんあす朝の時間をなにかに使おう。

2021年8月1日(日)

届いた本棚を組み立てた。文庫本をしまう場所を増やしたくて、机の下に入る背の低いのを取り寄せたのだった。キャスターが付いているから自由に引っ張り出せる作り。本棚に本をどうしまうか考える時間は楽しい。ダンピアのおいしい冒険(3)を読み終えた。ともすれば状況に翻弄されるほかないような厳しい辺境での、リングローズの「会いたかった」という言葉が、温かく心へ染み込むものに思えた。その勢いで先行してWeb公開されている章を読みにいったところ、みぞおちに入るような展開が待っていて、ちょっとへこんでる。そこからより先へ向かうダンピアも気になるけれどさ。4巻が楽しみ。

2021年7月31日(土)

居室で映画を観るなか、冷房は全開になったままリモコンがつかなくなってしまった。なんだか間の抜けた話だ。窓を開けても状況が変わるわけではないから、暗くなるころに電機店へ向かってリモコンを新調した。庭の水回りについては業者さんがきょう修理/設置をしていった。『ファイト・クラブ』観た。ネタバレしないよう気を遣うと、安定から降りていく男性の姿を描いた作品、って感じ。物語は終始アクセルべた踏みで、最後までどうなるのか先が読めなかった。特に後半の思わぬ展開からはぎゅんと攻めており、振り落とされずについて行こうとして最後まで見終えてしまった感がある。流血/暴力/マッチョの連続なところは自分向けではなかったなーと思う。でも、こういう強いショックをもたらす映画も、たまには。

2021年7月30日(金)

ことし初めてのいちじくを食べた。おいしいおいしい。果物のうちではいちじくがいちばん好きかもしれない。産直でお会計の際に、レジの方から手が綺麗ねとほめられた。うれしいんだけれど、そのおばちゃんが自身の手を低く表現しながら言ってくださったことで、とっさにうまいフォローを思いつけたらよかったな……。地元と隣の市から届くメールでの感染例報告が、きょうはどちらもびっくりするような数字だった。子供まで含まれており、後遺症が残らなければよいがと少し気が沈む。もう買い物であっても人のいる空間へ滞在することはできるだけ避けようか。『ナイト・オン・ザ・プラネット』観た。五つの街それぞれで同じ時刻に繰り広げられる、タクシーの中での出来ごと。みんなたばこに火を付けるタイミングがよく、喫いかたも堂に入っていた。一番目のロサンゼルスのパートでは、運転手の若い女性が客の婦人に火を貸す場面があるのだけれど、そこには急にくだけた距離感が生じていて、ああいいなあと思った。ていうかその運転手が魅力的だった。ほっぺたに車の汚れかなにかを付けたまま、まったく頓着せずに仕事を楽しくこなしてる。降って湧いたチャンスに飛びつくことはなく、自分の人生計画に沿って行動している。婦人もこの相手を尊重すればこそ、スカウトを持ちかけてもそれを強要することはなかったんだろう。それなら婦人は電話番号でも渡すのかなと思っていたら、別にそんなことはなく別れて、おしまい。物語は五つともこんな感じ。いっときふれ合ってまたするっとほどける、かさついてはいるけれど心地よい特有の距離感が通底していた。ほか、三番目のパリでのやりとりが好きだ。盲目の女性客とやりとりをするなか、序盤の客からひどい侮蔑を受けたコートジボワール出身の運転手に、誇りのある柔和な表情が浮かぶのが、とても心地よかった。そして別れた途端に事故を起こした彼のタクシーへ耳をそばだてながら、おそらく「いわんこっちゃない」という笑みを浮かべて歩み去る女性のかっこよさ。付け足すように書くけれど、ローマのパートは悪乗りしながら撮ったんではないのと言いたくなる内容で、申し訳ないけれど神父の顔芸に笑ってしまった。死んではいないと思うのだけれど。こうした、人を求めたくなるような、たばこを喫いたくなるような映画は、ずっと観ていたいと思った。ジム・ジャームッシュという監督の作品らしい。パーマネント・バケーションとコーヒーアンドシガレッツは以前観たときにやっぱり、登場人物の距離感が心地よいなと思った映画だった。この人の作品はきっと鉱脈だから、観たいものを探すときの参照先にする。