台風の影響で雨降りにつき、水曜までお休みの連絡を入れた。ぱっとしない体調の日で、こんな日には早めに眠るのがよい。弱ってしまった茉莉花については、挿し芽で増やしてあった株を一回り大きな鉢へ植え替え、部屋へ持ってきた。花が咲いているところ。
2025年7月13日(日)
買いものがてらお店でラーメンとぎょうざを食べ、模型屋さんでばら売りの花火を見つくろい、書類の更新をしに市役所へ行くとお休みだった。うちでだらだらと過ごすうちにもう日付が変わりそう。あすあさっては台風の影響で雨降りになりそうなんよね。ねむろっか。
2025年7月12日(土)
『プロジェクト・ヘイル・メアリー(上)』を読み終えた。おもしろい物語ならこんなに早く読めるのね。下巻もそのうち届く予定。
2025年7月11日(金)
定期通院先へ。最近いかがでしたかと言う先生と「ふつう、ですね。働いて休んで……」「素晴らしいじゃありませんか。感謝の気持ちを持って」というやりとりをした。こうした場でふつうの持つ意味を考えるとほんとうにそう。駄目だったあるときから不思議に舵が働いてここまできたのだけれど、周囲へとおなじくらい生のかすかな呼び声に感謝。そのあと買いものをはしごして帰途。なんだかきょうは心が凪いで余計な思考もなく、楽。『プロジェクト・ヘイル・メアリー(上)』を読みはじめた。物語に引き込まれる面白さ。少しずついちじくが出回っているので、お手頃なのを見つけてたらふく食べたい。
2025年7月10日(木)
雨降りにつきだらだらと過ごす。
2025年7月9日(水)
早めに仕事を切り上げてうちでのんびり。しばらくお休みにつきだらだら過ごす予定。
2025年7月8日(火)
早めに行って引き続き草刈りや植栽の剪定などし、早めに上がり。あす行ったらしばらくお休みにすることにして、おふとんでゆっくりする。臥せっていた時期は別枠として、じぶん、関わってくれる人々から褒めていただくことの多い生き方をしているように思う。そう感じるということなのか、そうした人々と関係をつくりやすいのか、褒めるところが多いのか、とまで考えてこそばゆくなった。こうした性質はこれまで搾取的なタイプに狙われやすいことと裏表だったから、一概に喜ぶところでもないんだけれどさ。こんなことを書くのも、仕事先で手入れした箇所についてけさ奥さまから「(同僚の)Tさんが絶賛してた、いままでで一番だって」と言われたため。いままでというのは歴代の庭担当の人々。こんな感じでしょっちゅうできばえを褒めてもらっており、たしかによくやっている部分だと思うから、やる気は出るよね。こういうのはたぶんもう謙遜とかは要らなくて、実力だと思っていい気分になるところなのだろう。以前友だちから、「(かつては)褒めてるのにぜんぜん受け取ってくれなくてじれったかった」と言われたことがある。疾患を通した失意みたいなものは自覚しにくかったけれど、たぶんそこはいろんなものを麻痺させてやり過ごした(うえで回復にも手間取っている)くらいにはきつくて、やっとそれとなく変化した箇所。きのうと比べてきょうは余計な思考もあまりなく、楽。夜の庭には虫の声が増えてきたような。
2025年7月7日(月)
早めに出て駐車場や植栽周りの草刈り。那須街道の入り口あたりにはちょうどヤマユリが咲きはじめており、重たく酸味のあるチョコレートのような甘い風を原付で切りつつ上がっていった。車で行くひとはこの甘い風に気がつかないかも。暑い日らしく、朝のうちから空には薄雲が引かれていた。暑さは大変だけれどストレスはいまのところないなあとか雑多な思考をしつつ、一区切り付けて昼過ぎには帰途へ。疲れはあったらしく床ですこしまどろみ、夕餉を食み、ぼんやりのんびり過ごすうちにもうこの時間。雑多とかぼんやりとは言うけれど、いまは負荷が軽いのであってネガティヴな思考はわりとひっきりなしに走る。これだけ生活を取り戻しているのだからよくやっているよ。今週はずっと暑い予報なため、あすも早いうちに行って早めに終わらせることにして、夜もほどもほどに。Solty Sea Sourというビールはタスマニアの牡蠣やムール貝、海水や海藻が使われているとのことで、海の味がしておいしいというか、うまい。なんだかんだすきなことをしてる。
2025年7月6日(日)
ハイゼットカーゴの納車日。youtubeで検索すると車中泊やアウトドア向けにカスタムしているひとの動画がいろいろ出てきますよ、ということを伺った。いま見たところ。へー……。車に関してはペーパードライバーなので、まずは練習のために教習所へ連絡をしないとね。二年前の冬明けに植えたマートルは、今期になりはじめて香りがよく清らかな、白い花を咲かせた。耐寒性の面でここの冬は厳しそうと思っていたものの、しっかり根付いてる。感じのよい植物だねえ。セファランサス・ムーンライトファンタジーもぽんぽんとはじけるような丸く白い花を付けてる。かわいいー。忙しいとかだるいとか世話ができてないとか、なんだかんだ言って、庭の植物には気持ちをほぐしてもらっているし、好き好んで苗を植えつけた過去のじぶんからも確かな贈りものをされている。いまは受け取ったり休んだりする周期ってことを、庭はそれとなく教えてくれるように思う。
2025年7月5日(土)
びんごみを収集センターへ出し、洗濯機を二度回し、映画を観て夕餉。できたことを充実とするのは好みでないにしても、自覚以上に身体は動いており、まあ焦らないことだよ。『ベルリン・天使の詩』観た。踏み出してしまったダミエルと握手に応じなかったカシエルの対比にしんみりする。マリオンの暗喩めいた試しの言葉、これはサーカスのひとじゃなきゃだめだよねという奇妙な納得があるよ。明かされる秘密はすっと抜けるようで小気味よかった。どう生きるかの前に生きる? が描かれる感じ、天使の抱擁に応じない人物の提示も含めて、すきだな。別の話として、副交感神経があんまり優位だと無気力や意欲のなさにもつながることに関連して、じゃあ交感神経を軽く働かせてみたらと思い、してみると、できるぽい。なにかするために「よし!」と立ち上がる瞬間のわずかに身体に電気が走る、あの感じの維持。外からの強いストレスにはやはり翻弄されてしまうとはいえ、こうした微弱な状態への柔軟な切り替えは、身体を賦活するのに向いているのではないかなあと思う。こうした感覚の話はひとに伝わりにくいと思うので(控えめ表現)、ここでぶつぶつ書き散らしてるのがよいよ。もう七月という現実感のなさ。かつて七月の印象として、水に沈んだガラス板の屈折する感じ、ものが二重に見えるような、輻輳するような、変調する感じ、ということを書いた記憶がある。まだその感じはある。
