2022年7月20日(水)

情報誌制作など。うーん、人手不足とはいえ、とっさに話を振られてまた予定を入れてしまったことに、不本意さが若干残る。自分の精神的な余裕はこのところずっとぎりぎりなので、このへんで休むことを優先するべき。不本意さからくる負の感情っていうのは、本来なら意思表示すべき状況をできていないところから生じる、やらされる態度のゆがみ。それとは別に、話を進める必要があると思えば引き受けることもけっこうあるんだけれど、それはいまの自分の立ち回り能力では残念ながら負担が集中しやすい性質だろうから、しばらくは原則として遠慮することに決めた。もう遅いし、きょうは面談+スポーツの様子の撮影があるから、早いとこ眠る。昼ごろ喫茶店のランチタイム営業を知らずに入り、お店の方の計らいでこちらの注文をさせていただいたりしたのだった。ちんまりとした、静かに談笑するのによい雰囲気のお店。きょうは風が強かったけれど、天候がよい日はテラス席も座れるらしいから、またいずれ時間を見計らって訪問できたら。那須街道沿いはかなり上のほうまでヤマユリが咲き乱れ、重くしだれる花の重く甘い香りで辺り一帯が満たされていた。

2022年7月19日(火)

情報誌制作向けの写真はひととおり編集が終わった。ひとを撮るのも一括編集もおおむね初めて。次からはもうすこし手際がよくなると思う。あすから金曜にかけてNPOさんのところでなにかしらする予定が入ってる。ちょっとのんびりしたら眠るべし。

2022年7月18日(月)

情報誌制作向けの写真編集にかかりっきり。そうした素材が使われるにしてもA4片面に数枚が限度だろうけれど、それで手を抜く理由にはならないし、選択肢は多いほうがいいかなと思う。つかれた。ねむる。

2022年7月17日(日)

市場と産直へ。後者はちょっとまずいのではという人出で、買うものもなく早々に出た。自分だってそうした場所へ来ていたわけだけれど、もうきびすを返して感染対策する頃合い。あとは神社の参道で生きものを観察したり、写真に撮ったり。

2022年7月16日(土)

茉莉花がもらわれていった先からお手紙と銘菓が届いた。株が花を咲かせている写真も同封されており、お気遣いがうれしい。菜園のミニトマトを収穫しはじめた。調理用トマトのシシリアンルージュはそのまま食べても分かるくらいにうま味があり、やっぱりその場で食べたサントリーやデルモンテのフルーツ感とは方向性がまったく違って、びっくりした。そのシシリアンルージュをオリーブオイルでほどよく炒め、軽く塩を振って食べてみたら、ものすごくうまい。うま味という意味での、ずっしり食べ応えあるおいしさ。調理用トマトは炒めるだけで食卓の一品になるんだなーとおもしろく思った。サントリーが開発した調理用トマトにボンリッシュという品種があり、「だしのように濃厚なうま味」という触れ込みなのだけれど、じつはその苗が手に入らず代わりに育てたのが今あるミニトマトたちなのだった。調理用トマトの品種別の味わいが気になる……。体調はあいかわらずだめ。

2022年7月13日(水)

きのうとは別の活動へ参加するなど。あとは暗がりで夜空を見つつ晩ごはん食べたり。食後に、ぬいのひとりの瞳をコットンとエタノールでぬぐったら、大きな黒目にハイライトが入るようになった。ちょっとお美しくてどきどきしますね。それからいっしょに夜の明るい曇り空を眺めていた。

2022年7月12日(火)

NPOさんの畑作業へ参加して、他の方々が野菜を収穫する様子を撮影させてもらった。あしたも別の活動に参加する予定だけれど、予報だと雨。読み込んだ画像をざっと眺めながら、高性能な機材に下駄を履かせてもらっていることを痛感する。でも、そのおかげで制作の役に立てそうだ。写真はこれまでのように一枚ずつ手癖で編集していては大変だから、水準はほどほどにしてひとまず一括編集→利用可能な状態へ、みたいなやりかたで持ち寄るつもり。精神的な疲労はあいかわらず淀みのようにそこにある感じ。少なくとも八月上旬まではNPOさん関連の予定が入っているから、ほかの日は積極的に好きなことをしたりのんびり過ごして、脳にかかる負荷やストレスを緩和しようね。でないとどこかで破綻する……。やりたいことやすべきことはいろいろあってはっきりともしており、それはありがたいことなのだけれど、こうして一日の終わりに思考から灰汁や澱を取り出していると、ぼーっとして時が過ぎていく。

2022年7月10日(日)

種から蒔いて育てた菜園のディルを、いもむしが棒にしていた。二本とも。おいしそうなセリ科だから、オルトランの効果が切れてきたら食害に遭うことは分かっていたし、こういうのって半分は生きものへの奉仕とか慈善みたいなものだとも思う。それはそれとして、ひとがヨーグルトへ入れたくて楽しみにしていたディルを食い散らかしたつけは、美しくなるだろうその身体を見せることで支払って欲しいけれども。大きくなりすぎて倒れた隣のフェンネルにもいもむしはついていた。そのフェンネルが咲かせる細かく黄色い花と、庭のクレマチスの白い花を摘んできて、綺麗だからととっておいたびんへ活けた。そんなのや石油ランプの明かりや夜空を相手に晩ごはんをもしゃもしゃしていると、それなりにくつろいだ時間を過ごせるんだよね。そしてさっき夜の散歩をして戻ってきたら、びんに活けたその花たちが綺麗というか、花というものが身近に迫ってくる感じがしたのだった。地植えや鉢植えの植物ばかり相手にしているけれど、自分の生活圏内へひととき連れてくるという方法は、また違う角度から花を眺めることなのだな……。頭痛を感じるから眠る。