午前中のみ通所。帰ってきてからはのんびり過ごしたりまどろんだりするうち三時が近い。
2025年1月24日(金)
午前中のみ通所。お昼ごはんにはインドカレー専門店でビリヤニを食べ、喫茶店で本を読みながら時間調整をし、定期通院先へ立ち寄ってから帰宅。気分の浮き沈みがある日。フォトラグ+ジークレー印刷での注文品が届いた。んー……よいのかわるいのかわからないような、すきかどうかもちょっとはっきりしない。もしかして印刷技術の解像度が高いためにかえってあらが目立ってる? 写真にざらついた感じが目立つから、この仕様だと粒状感はもっと抑えてよいのかも。光沢があったほうが色の深みは増す。写真に幻想的とか絵本のようとの感想をいただいていたので紙の質感が活きるのではと思ってのフォトラグだったのだけれど、この紙が向いているのはカラーではなくモノクロ写真なのかもね。ほか、通常の印刷でMr.Bスーパーホワイト/グランベール スーパーホワイト/写真用紙(半光沢)と三通り届く予定。入稿データをきちんとつくろうと思ってRAW画像をsRGBからAdobeRGBに変えて書き出すと、明らかに彩度が上がって見えるんだよね。いまさらの話で二重にびっくりなのだけれど、故障を機に導入したカラーマネジメントモニターが役に立ってる。あした行けばしばらくお休みだから今夜もほどほどにして切り上げ。
2025年1月23日(木)
午前中のみ通所してあとはうちでのんびり。あーメンタルしんどー。夜になり、それぞれ紙を変えて、印刷物の注文をさらに二件追加。入稿したって書くとなにかたいそうな響きがある……。谷川嘉浩『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(ちくまプリマー新書)を再読。前回はそれがなにかわからないなりにxやyといった代数で読み進めていたのが、衝動=「ひとりであるほどよい」を代入することで、より具体的に読み解くことができたと思う。キャリアデザインという発想から逸れ、衝動というエンジンと知性という方向づけをベースに実験的/実践的な試行へ投じていく、その営みのなかで働けば/暮らせばよいのでは。別の話として、春までにバンコク行かない? という気持ち。また別の話として、届いた印刷物をあちらやこちらへ見てもらいに行こう、という気持ち。起きているとネガティヴなことを考えるからもう眠ろう。
2025年1月22日(水)
午前中のみ通所。いったん帰宅したのち薬局で処方を受け取る。きのうに引き続き早めの夕餉とし、オフロ、のち散歩。それ以外の時間はゆっくりと過ごした。秋以降は体重が増えすぎたのできのうからダイエットを始めてる。しんどい気分を晴らすつもりでの一時間ばかりの散歩だったけれど、やっぱりネガティヴなことをあれこれ考えてしまうなー。これまでであれば冬場のしんどさはときに気が変になりそうなものだったから、そこから考えると現状の高ストレスな環境下でそれなりに動けているのは、かなりな変化なんだけれどさ。思うに、傷つけやすかったり(または、かつ)傷つきやすい人々を集めてなにかする場所という構造自体がむつかしさをはらんでいると思う。忘れそうになっていたけれど、いま通っているほうは長居するような場所じゃないんだ。じぶんに知恵があるのなら舵取りの方策を考えるべき。そして根が深いなあと思うこととして、じぶんは他者に対する基本的な安心感が乏しいにもかかわらず、期待することは多いゆえ、いらだちを抱きやすいね……。愛着やAC、パーソナリティの文脈で紐解いた理解が体感として腹落ちしてこないのは、じぶん自身をまだ受け止め切れていない、感情の抑圧が解けていない、あたりだろうか。それなりに逆境が重なりつつしぶとさを捨てないじぶんは生命の側にいるよと褒めることにして、そろそろねむろう。煮詰まったコンディションのときって書くことがへんに多くなるのだけれど、それは思考に偏ることの悪手というか休むに似たりというか、休みなよ! という。厳しい季節には生きものらしく応じて日々を過ごそう。おやぷみ。
2025年1月21日(火)
あすに備えて支度をしたり、引き続き印刷物を注文してみたり。なんとなく「写真をひとに見てもらおうか?」みたいな気分になってきており、それなら下準備は整えておくほうがとっさの機会に話をつけやすいのでは、と考えてる。ので、安く済ませた場合の品質も知りたくてそのような注文に。なにはともあれ現物はあったほうがいいんだよねえ。夕餉を早めに済ませ、宵ごろふらっと散歩へ出かけた。半時間ほどのつもりが足が向いて、見晴らしのよいあたりまで行ってひと息ついてきたため、一時間近く歩いたことに。気分が強く底上げされている感じで、じぶんに必要なのはこれなのだな~と思う。遅くならないうちにベッドへ入ることにして、もうちょっとのんびり。
2025年1月20日(月)
ポートフォリオに加えたい写真をいくつか編集したり、再び試作品を注文したり、作品として飾れるようなものを注文してみたり。写真フォルダを漁りつつ、なんだかそんなに数を撮ってないんだねえじぶん、という思い。通所先の方々以外にも見せたいなという顔ぶれを考え、こんどは試作品を三冊。まだ無線綴じ。この次は入稿データをきちんとつくって中綴じ+紙もそれなりのを指定して、くらいで進めたい。飾れるようなものをというのは、フォトラグという紙とジークレー印刷を組み合わせたA4サイズの印刷物を一枚注文したこと。しているのがかなりぜいたくなことと思うと、変な笑みが浮かぶ。印刷物一枚にこれだけの金額がかかるのかーと思うと笑えないんだけれどさ。まあ退屈しないのはよいことだよ。日中はストレスも強かったのだけれど、この先どうなるのかなんにもわからないなりにかたちにしているときの楽しさを感じる。
2025年1月19日(日)
一日じゅうベッドでぬいたちとごろごろ。ワクチンの副反応は日の暮れたころにおおむね抜けた。
2025年1月18日(土)
午前中にコロナワクチンの任意接種を受けた。これで8回目。これまで通りなら副反応が現れるのに24時間要ると思うけれど、帰ってきてからなんとなくだるさがあり、まどろんだりしていた。無理をする必要もないから横になっていよう。
2025年1月17日(金)
午前中のみ通所。うちではまどろんだり夕餉を食んだりしていつのまにか日付が変わった。じぶん、おつかれだよ。あす午前中はワクチン接種の予定があるから、夜更かしはほどほどに。
2025年1月16日(木)
午後まで通所して相談員の方と面談。疲れるなー……。じぶんは将来的にこうありたいという方向性を持って布石は打ちつつ、当座の仕事はある程度柔軟/適当に着地すればよいと考えているのだけれど。早急に明確なビジョンとプランで今後のキャリアを具体的に語れないと厳しいよみたいな圧をそれとなくお出しされると萎え。中高年男性特有の煩い圧、わずかにでも感知すると萎え。まあ協力関係が最優先よね。毒が出るくらいには気疲れしたのだな……。大切にするべきはいまじぶんが持っている「なんとかなる、結局はうまくいくよ」という楽観。病を通してひたすら道草をしてきたことで、「いかに明確な目標を設定して素早く確実に達成するか」という歩み方とは別の過ごし方がある、そうあれることは体得してる。確かに目標と達成は大切であるけれど、身体感覚としてつねにある前向きさや、もっかの取り組みの積み重ねを信頼したい。おそらくはじっくりと考えを深める時間が必要なところを、時間制限付きの場所でせっつかれているのが筋の悪さなのかもしれない。あした行けばまたしばらくお休み。今宵もこれ書いたらねむろう。