2025年9月12日(金)

のんびり。仔猫がひもで遊ぶことを覚えた。これまではやや警戒していたようでひもから距離を置いていたんだよね。部屋のなかを駆け回るようになり、もう生後二ヶ月くらいにはなるし、これから遊びたい盛りになってくるのかなと思う。いまのところケージから出して遊ばせるときはある程度ドアを閉めたりして制限しており、家中を好きに歩かせるまでにはもうしばらくかかるかも。

2025年9月11日(木)

けさ方みた夢のなかでいくつかの音楽が聞こえていて、それが心に響いて泣きそうだったことを、原付に乗っていてふと思い出した。断片的に覚えているのは松任谷由実の歌の「強くなる もっと強くなれば 忘れずにいられる つらくても きっとあとになれば やるせなく思える」という歌詞。それとは別にやはりけさみた夢のことも思い出した。知らない街の知らない駅前にいて、知らない百貨店を地下へ降りていく、それを懐かしく感じた夢。そうそうここにあるコーヒーショップではよく豆を買うんだよね、イルガチェフェあるかなとか、この通路の先を上階へ行くと雰囲気のよい書店があることや、その店内の落ちついた風景のことも不思議と知っていた。なぜ知らない景色があんなに懐かしかったんだろう。よく思えばまるで知らないわけではないようだった。学生のころたまに通っていたコーヒーショップや大型書店のことを、夢を起点にぼんやりと思い出す。手がかりがあるからそんなことがあったとわずかに思い出せるだけでディティールはすっかり失われているのに、種子から芽が出て枝葉が伸び木が育つように、まるで懐かしさそれ自体を核に記憶の風景が新たに再構築されたような、そんな夢だった。それでもなおその懐かしさはどこからきたのかと不思議に思う。夢というと、幾年か前までの長い期間、みるのは人生のある時期までに出会った顔ぶれと風景の組み合わせでしかなかった。時が止まっているという表現があるけれどまさにそれで、くすんで退屈で、そんな夢から目覚めるときはいつもすこし疲れていた。そうした夢の内容が徐々に変わり、もっとあとの人生の顔ぶれや知らない人や知らない風景が出てくるようになったのは、リハビリをはじめてひとの集まる場に出かけていくようにしたころから。時が止まったようとか、歯車が動きはじめるとかの表現は、少なくともじぶんにとってはただ文学的なものではなく、実際のこころの状態なのだなと思う。ぜんぜん話は変わって、漫然と触っているポケGOのポケストップを近所に増やそうと画策してる。田舎だからアイテムが手に入るそうした場所はまばらなんだよね。ないならじぶんで増やそうという気になり、承認されるか微妙なレベルのランドマークを集めて丁寧な名前と説明、そして念入りな補足を付けてる。審査には数ヶ月から一年かかるという話もあり、それを一週間ほどに縮められる方法として、ナイアンティックのWayfarerでよそさまの審査を何百とこなしているところ。由緒正しきひまな人間というのはひまも退屈もしてはいないんだよねえ。仲野順也さんの新しいアルバム『Alternate Versions 1』をBandcampから手に入れて聴いてる。やっぱりこの方の音楽すきだなあ。過去作品のアレンジそのいちということで、今回のはさまざまなテイストの作品が水色と緑のすがすがしく洗練された印象で統一されている感じがする。「Glass Sky, Hollow City」がいっとう好み。

2025年9月8日(月)

未明の皆既月食を途中まで眺めて眠気のためおふとんへ潜り込み、いつもより遅くに起きてお仕事へ。寝不足でさしてやる気がなく、早めに帰ろうと思っていたところ、雨で切りよく帰途。靴の中までひたひたになる土砂降りを抜けると平地はからっとしていた。じつは原付のタイヤが雨で滑り、止まった前の車にぶつかりそうになったのを、とっさに横へすり抜けて回避したのだった。濡れ鼠は気持ちよくなかったとはいえ、幸運が羽根で撫でてくれたことにはほっとする。うちでは仔猫の相手。わかってはいたことだけれど、じぶんに猫アレルギーの気配が感じられる……。これは先代がこの身体に残してくれた爪痕なので別によいのだけれど、そのうち耳鼻科へ行っておくすり出してもらうのがよかろうな。そういえば仔猫の名前は模様のある毛並みから杢(もく)にした。

2025年9月6日(土)

のんびり。さんまが豊漁とか食べたという話を目にするたび、じぶんは個人的な抵抗をしようと思う。ベースがもう相当減っている水産資源というのは一時的な増減に左右されず資源管理や保護をしたほうが、将来のためによいと思うのだよね。水産業に携わる方々は生活がかかっているから、漁ができるなら獲りたいと思うだろう。獲れたらそれだけ流通するし、消費する側はあれば食べたいと思う。これらが循環になっていて、減っていく資源を守り増やす行政の方策も手薄と聞いてる。スーパーに並ぶうなぎを見ても微妙な気持ち。今後養殖ができたとしても野生個体が少なくなっている課題自体は手つかずなわけで……。立派なことを言ってみてもじぶんだっていち消費者としてなにかしら犠牲にしているわけだけれど、こうと思った箇所については影響力の乏しい抵抗をして、せめて自己満足したい。もの申すようなことについて、どうしてもそれを言いたいのかというとそうではないものの、まあ思ったことを書くための場所だし、好きにするのがよいよ。