2024年11月13日(水)

朝は産直へ。おおまさりという粒の大きな品種の生の落花生を手に入れ、うちで茹でる側から割って食べていた。ゆでた生の落花生にはキャラメルや焼き芋のような香ばしさがあって手が止まらなくなるんだよね。乾燥させたナッツとしてのそれとは別物だなあと思う。書いていて思ったのだけれど、買ってきた落花生を茹でるそばから食べる、これはよい風景なのかもしれない。ほかはシャツにアイロンをかけたのみで過ぎし日。宵が過ぎるにつれざわついていた気持ちも落ち着いてきて、ふとそのことに思い当たったところ、庭から聞こえるかすかな虫の声に気がついた。その声のまばらさに、じき霜が降りるのだろうと思う。レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子訳、新潮文庫)には、そのことを「静寂のなかへひきこまれていく」というふうに表現してあって、生命の停止ではなく循環を感じさせる表現がいいなあと思った、そのことを思い出した。おやすみ。

2024年11月11日(月)

ポートフォリオについて検索した折、同人誌や写真集を一冊からつくれる印刷会社さんを見つけ、勢いに任せて注文をした。Lrのライブラリの扱いにすこし手間取りはしたものの、ブラウザ上から操作して画像ファイルをドロップ+配置決めくらいで注文でき、ありがたい。ついでに印刷見本を取り寄せられるところを探し、目についたものを片っ端から資料請求した。まずはモックアップをもとに改善点を考えることにして、入稿データのつくりかたについてはタイトルそのままな書籍をポチったからそのうち読む。なにかで迷っていると思っていたのだけれど、ポートフォリオは必要だけれどできるなら個人的な写真集にしたかったんだよね、という思いがそうなのだろう。それはそれで好きなときにしてよいよ。今回はひとまず写真集を一冊注文したことで、じぶんの関心が朝や夕の光加減+花+庭、のあたりにあるとはっきり喧伝もできそうで、これはこれで収穫。本来は趣味のはずがいっちょまえなことをしているという感じもあるのだけれど、それは見ているものがあるていど開けているからすごいひとたちと比べてしまうということでもあり、そこを踏まえてじぶんなりにフラットに活かしていこう。休日ながら進捗をつけた日であり、好きにのんびりしてねむる。おやすみ。

2024年11月10日(日)

きのうは書き忘れたけれど、午前のみ通所。きょうはのんびり。じぶんにはしたいことがあると言うよりはこうありたいという状態があり、それはひとりで静かにいられること、あるいはひとと接していないこと、自然のなかで過ごすこと。満たされた孤独(Solitude)に身を置きたがっている。こうしたことってもしかしたらと思い、以前読んだ谷川嘉浩『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(ちくまプリマー新書)を読み返しているところ。じぶんの衝動を掘り出せたら今後の仕事の見通しが立つのではと思っていたけれど、ひとりに満たされたい欲求がおそらくそれだと思う。普段から感じるし言葉にもできているのに衝動として見出しにくかったのは、したいではなくありたいという違いにあったのかもしれない。したい仕事はなに? という視点からものを見るとこの衝動にまったくそぐわないわけで、そこは難儀するよねえ。遠回りを実感はするものの、将来の夢はみたいな問いに抵抗して生きてきて、結果的にじぶんに誠実であれて個人的にはよかった。ここから逆算して衝動を実装した生計の立て方を見つけたいのだけれど、まだ本は読みさし。そしてひとりの時間を最大化して暮らすひとたちについて、どう情報を得たらよいのだろ。ナショジオの『NO SIGNAL 街を出て、大自然の中で暮らすことを選んだ10人の生き方』という本はピンポイントだった。

2024年11月8日(金)

午前のみ通所して午後は市役所へ。手帳の再発行とパスポート発行の申請手続き。手帳のほうは前回の書類の不備を改めたおかげでひとまず審査待ちの段階へ。パスポートについては、提出した証明写真の顔のサイズが1mmほど足りなかったために、いったん市役所を出て写真を撮り直すことになった。入った証明写真機には拡大率のようなわかりやすい機能がなくて調整に手間取った。それでもなんとか申請は済み、なにも連絡がなければ一週間後から受け取りに来てよいよ、ということに。それからドラッグストアで買い物をしていると通所先の合わない人に出くわし、ひとまずこちらから挨拶するなど。あるよねえこうしたこと。頑張った日のご褒美としてモスへ立ち寄りハンバーガーとポテトを食み、帰宅。冷え込みも深まってきたことだしと夕餉には鍋を始めてる。いま感じるのは微妙な疲れてなさ。疲労を感じていないのだとしたら困るからゆとりを持ってお布団へいくけれど、今週のできごとを顧みるに疲れはしているはずで、なんだろうねこれ……。パスポートを持ったとしても海外へ行く予定はいまのところ定まっていないけれど、できるという気分やハードルのなさがものごとの推力になることは感じているし、準備があれば機会だって掴みやすいはずだしね。あした行けばお休みへ入れるから今夜はこのへんで。

2024年11月7日(木)

午後はキャンセルして午前のみ通所。あーもーきのうからしんどい。ストレス反応が持続してるんだなー。もうひたすらおふとんへ。

2024年11月6日(水)

午前のみ通所。面談があって疲れた。嫌がらせをしてきた人のその後について水を向けられたのだけれど、そうした話題は触れるだけで闘争/逃走モードになるなあ。むかしからスポーツ観戦なども含めて思うこととして、アドレナリンで脳がちりちりする感覚を不快で避けたいものに感じるのだよね。それから、自分の正しさに依拠した物言いをしたあとでは間違いが気になってくるもので、そこも帰ってきてから勝手に疲れてる。思うのは、支援する側としてはなるべくよかれと思うものであり、まあ、素直にすべてに付き合う必要はなくて、うまいことやりましょう、ということ。しばらく前のことでもやっとした思いが残るのは、ある支援員の方が言い残した「成長を楽しみにしてるんだよね」の言。もやっと=微細な嫌悪感が後を引くというのは、そのぶん肝心な感覚でもあるのだろう。対人スキルが高く経験豊富で興味は人間というひとに対して、人間のほうばかり向いている人間に特有の粘つきを感じることがあり、そこへの忌避感なのかもしれない。ただ、自分が粘つきと感じているものは一般にポジティヴなものなのだろうね。人や社会以外の方角にも視座を持っている人というのもやはりそれ自体の気配を帯びるもので、たとえば自然に向き合う人には、個人的には特有の抜け感というか、粘つきとは逆のさらっとした風通しを感じる。こうした感覚はいずれも、じぶんが社会から一定の距離を置きたいというところにつながるのだろう。なんとなく気が立っているときというのはここへ書きつけることがへんに傲慢で饒舌になるのだけれど、それはよくないときの傾向でもある、という自覚がある。あとで読み返したらげんなりしそうね。しっかり湯に浸かって身体を温めたのだから早く眠るがよかろ。

2024年11月4日(月)

きのうに引き続き穏やかな気分の日。カレンダーを見て、年末年始まであと二ヶ月を切っていることの現実感のなさを思う。今季初めて石油ストーブを点けた。