雨降りにつきお休み。週のうちこの曜日に仕事をしてここからは休み、みたいな運びが好ましいのだなと感じる。見方を変えるとこれだけやっておけばよいという妥協点。雨が降るとペースがずれるね……。
2025年6月25日(水)
昼近くからしっかりめの雨降り。なんとなく楽しいような浮つく気分だった。
2025年6月24日(火)
降ったり止んだり。なにごともなく過ごす。楽しいことを楽しいと感じられるようにリハビリを少しずつ始めてもよいのかもね、と思えてきた。のんびり過ごすのは気持ちよいし落ちつくし、そうやって活力が自然にたまってくるのを待つのもよいのだけれど、賦活剤もあってよかろという。たぶん手先を動かすとよさそうに思えるから、なにかつくるもの探してみる?
2025年6月23日(月)
雨降りにつき水曜までお休みの連絡を入れた。降りだすまで間があったため、スーパーへ出かけていって買いものを済ませた。朝、開けた窓からにいにい蝉のじいーという声が聞こえた気がして、気のせいかなと耳を澄ませて過ごしていたらやはり聞こえた。今季の初鳴き。降ったり止んだり蔭ったり明るくなったり雷鳴がずっと聞こえていたりと不安定な気象のなか、夏至が過ぎたとたんに準備していたかのような夏の始まり。
2025年6月22日(日)
予約していた輸入ビール屋さんへ。前にいちど書いたことがあったと思うのだけれど、いろいろなビールの味わいをメモする趣味(なのかどうか)がある。そこのビール屋さんは北関東一ではというほどに輸入ビールの品揃えがよくてたまに訪れていた。ここしばらくは味の濃いもの全般にすこし飽きていたものの、今回は気が向いて再訪。店のご主人に変わり種やおもしろいものを見繕ってもらった。ビールの世界が広いことはご主人の話からしみじみと感じるので、波打ち際で貝を拾うように楽しむのが吉だなと思う。週間予報を見るとあすから三日間はお休みするような雨降りぽいんだよね。天気が相手のお仕事とはいえ自由だ……。いまの立ち位置って航路で言うなら、大西洋からマゼラン海峡を抜けて南海、太平洋へ出たような状態だと思う。船の難所を越えたら凪の海原が待っていたような。太平洋も渡るのは大変だとして、まあ羽休めよね。
2025年6月21日(土)
午前中は通所して、卒業者の体験を聴いたりゲームしたり。よく話していた方と連絡先を交換したりもした。うちへ帰ってくると相沢歩さんの夏草短編集が届いており、これはちびちびめくる予定。夏至につき『ムーミン谷の夏まつり』を床で読み進めることにして、おやすみ。
2025年6月20日(金)
買いものして定期通院先を回った。ごろごろしてスマホのプレイリストを弄っていたら、ほのかな多幸感のしっぽが見えた気がした。忙しくなる前にはときおり訪れた、センスオブワンダーとかタウマゼインとかフロー状態とか至高体験とか呼ばれているあれ。あれはくつろいでいるときにくるものなので、よい傾向。
2025年6月19日(木)
Pixel 9 Proが届き、データを移行しているところ。のんびり過ごした日。
2025年6月17日(火)
汗がかいたそばから乾くため服もあまり濡れない、くらいに暑い日。早めに仕事をして早めにあがり、買いものを済ませたり車屋へ住民票を届けたり。朝の木漏れ日のなか高原をあがっていくのは気持ちよいな……。通所先から連絡があり、仕事しているようすを伺えたらとのことで、それはあすの午後に。遅く家を出てよさそうね。夕方にはおそらく今季初の夕立。あした行ったらまた日曜までお休みということにして、まあずいぶん気ままなこと、と思う。書かないと残らない気がするから書きつけておくと、こうしたゆとりのある日々を過ごすことで好奇心や感受性、積極的にものごとを楽しむための意欲といったものが、徐々に回復してくることを期待してる。臥せって以降、そこからNPOさんを軸足にして活動をはじめるまでの、あの時間の流れからはじき出されたような期間を思い出す。あの感覚はなんというか、SF作品で宇宙船がワープするとき入る亜空間の感じ。時間の流れから遮断されたああした亜空間にひとりでずっといて、失望するほどの感情もなく過ごしていた感じ。それがいつごろからか、まっ暗なトンネルを車で走っているイメージに変わったんだよね。出口は見えないしどこまで続いているのかも分からない、ただ移動だけはしているらしい、という。それはやがて緑に包まれた山あいの林道を走っているイメージになり、さらに田舎道を走っているイメージになったあたりで、イメージそのものが意識の俎上からなくなった。若干話が逸れたけれど、時間の止まった亜空間にいると思っていたあの期間はいま思うと、再生する世界の鮮烈さに溶けるような思いもしていたし、この上なくリッチな時間の使い方を楽しんでおり、すきなことをすきなだけしていた。原付で日々気ままに地域探索をしてたし、写真を撮ることに夢中になっていたのもあのころ、というところで上記のゆとりある日々をのくだりへ戻る。回りくどくなったけれど、NPOさんや通所先へ通った期間は、ひとと接することによって社会性を回復するかわりストレスを受け、好奇心や感受性といったものを代償にしながら変化を受け入れた期間に感じるんだよねえ。もしかしたらじぶんは長い長い安定化の流れにいて、疾患により一度は鋭敏になった感覚がどんどんふつうになっていくところ、なのかもしれないけれど。だとしてもいま期待しているのは、じぶんをゆとりある生活に置くことで好ましい性質がもう一度育ってくることなので、当座は気ままに仕事をさせてもらうし毎週四連休する。忘れないように書いておきたいものはもうひとつあり、上記のイメージの話に伴うなにか別の心象風景というか、アクリルのどこかへつながっているお話。これはここへただ書くよりは、文なり絵なりで体裁をとった読みものとしていつかかたちにできたらよいのでは、という感触がある。だらだら書いてたわりにここで文章が止まってしまったので、このことは結論づけて書けるような止まったものではなく、現在進行形で生きているものなのだなと思う。じぶんにじぶんを物語るもの、魂の故郷についてのこと。窓辺で使っているランプの芯が短くなってきたため替え芯を探したら、あった。ランプの芯にもいろいろ規格があり、そんなものの予備が手元にあって役に立つ生活はすきだよ。
2025年6月16日(月)
早めにお仕事へ出かけて昼過ぎに切り上げ、うちでも草刈りをしてあとはのんびり。いくら水分を摂っても汗になる暑い日だったけれど、きょうはまだ曇りなぶん楽であり、あすの予報は炎天のち夕立みたいなんだよね。夕方、通所先だったところから就職した人のお話プログラム的な日程にお声掛けいただいた。身体感覚がうんと言ってないのでいまのところ行かない予定。今宵はエアコンなしには寝苦しい蒸し暑さ。