2010年7月6日(火)

Karl Blossfeldtこれは『植物を撮り続けた寡黙の写真家、カール・ブロスフェルト』自身の写真。

ちょっと言うと、「前髪焦げた」の前にもWebサイトを立ち上げ、投げ出していた。そっちでとある古本を購入した事を書いたところ、検索エンジンからその記事の単語目当てに飛んできたらしい人がいて、詳しく書いたわけでもないのにと後悔した記憶がある。後で調べたところ、その本が結構な稀書だと分かった。「Karl Blossfeldt 写真」という、百ページ足らずの割合薄いモノクロハードカバーの写真集。With atext by Rolf Sachsse、ベネディクト・タッシェン出版(Benedict Taschen)とあるのはドイツが本家の美術本らしい。昔の記憶では、この本の写真を丸ごと含めた大型の美術本「不思議の園」や「芸術の原型」というのがあったはずだが、それらの値段が万単位であったことと僕は美術本の蒐集家ではないのとで(写真だけならばGoogleイメージ検索でいくらでも出てくる)、この写真集の紹介を誰にともなく書き留めておく。

表紙以下の文章は、上記のロルフ・ザクセという人物による10ページにもわたるブロスフェルトの業績についての端的な抜粋。

彼は植物を撮影した。それも、何千枚も。彼の写真にはほとんどいつも、花やつぼみや二股に分かれた茎、あるいは花軸の先頭に放射状に花が咲く散形花序や種嚢が真横から撮られている。真上からのは少なく斜めからとらえたのはさらに少ない。また、ほとんどいつもその背景は白か灰色の厚紙で、たまに黒の厚紙を背景に撮影していることもある。奥行きが感じられる背景は非常にまれである。撮影時の照明は北側からの窓から差し込む光で、拡散性だが、対象を一方向からのみ照らすため、それが立体感を出す効果をあげている。撮影技術と処理条件は非常に単純である。彼はミドルサイズのネガだけを使って平均以上のできばえの写真をものにした。意識を対象そのものに集中して、はずすことがなかったからである。30年以上もの間この男はそんな写真を撮り続けた。仕事、そう、植物の撮影は仕事以外の何者でもなかった。……

写真技術の課題画像の裏表紙にも書かれているが、5ページ目の主張ははっきりしている。『カール・ブロスフェルトがわれわれに伝えたかったことの基本はただ一つ、工業デザインにおける理想の構築美はすでに自然が先取りしているということであった。』自然に倣うこと 具象の追求悲しいかな僕には英語の細かい文脈を汲み取れないのだが、それでもこの本の主張はシンプルで強烈で分かり易い。どの植物も花弁や葉を摘み取られたり、時には恣意的に並べられたりして、無機質な雰囲気を醸し出している。モノクロであることがより一層無機質さを引き立てていて、はてこれは植物なのだろうかと感じさせる。そして美しい。

実を言うと、この本を手に入れたのは京都市内のブックオフの片隅で、それも五百円という「誰か買うだろうか」的価格設定だった。だから、この本を入手しようと思ってもどこへ行けば置いてあるのか、僕にはちと分からない。上の方で挙げた「不思議の園」と「芸術の原型」について言えば、ググるなり、建築・美術本に強い書店をあたれば見つかるだろう。あとはネットの気儘さに任せて、この辺で。

2010年7月4日(日)

夜の紫陽花と横切る猫昨日の夜、近所の沢の蛍を見に行ったついでの紫陽花公園にて。猫に三度も目の前を横切られた。

このところ睡眠の周期がずれている様子だ。僕は大抵夜九時ごろには寝て、朝四時前に起きる習慣にしている。これでは大変だ、目覚し時計を探してこなければ。

昼前に友人が慌ただしくやって来た。先日僕の部屋を訪れた際に財布を忘れたと言う。慌てて探すと本棚の陰、紙袋の下敷きとなっていた。庭に銀マットを敷き寝転がりつつ煙草を吸っていたのを見られ、大いに笑われた。仕返しにポラで顔を撮ってやったのでおあいこだ。

正午のサイレンが鳴る頃、母の叔父からお中元の桜桃が、続いてAmazonで頼んでおいたペンタックスのレンズが届いた。

この写真は初めて弄る広角レンズ「PENTAX smc PENTAX-DA 15mm F4ED AL Limited」の試し撮り。桜桃

今まで持っていたデジ一のレンズは「PENTAX smc PENTAX-D FA 50mm MACRO」と標準ズームレンズ「PENTAX smc PENTAX-DA 18-55mm AL II」の二つ。これらを使い続けて二年、ようやく「こういうレンズがあれば撮れる写真の幅が広がるんだろうなあ」と思えるようになって初めての自分で選んだレンズだ。頑張って使いこなしたい。

激しい通り雨が屋根をたたいた昼下がりに買い物へ出掛けた。目当ては部屋着にしたいと思っていた甚平と、前々から祖父に植えろと言われたオクラの苗。甚平は二件、オクラは三件回ってようやく見つかった。オクラのついでに色々と苗を買う。モロヘイヤ、桃色夕顔、ミニトマト、それから「ペピーノ」というナスの仲間らしい不思議な野菜。これは熟した実が「メロンと洋なしを足して割ったような不思議な甘さを持つ」というのでそのコピーに惹かれて買ってしまった。割と最近広まった品種なのだろう、うちのどの園芸本にも載っていない。育て方が詳しく分からないが、まあナスの仲間なのだからそのまま育ててみよう……。そういえば庭ではすでにトマトが大きく青い実を実らせていたっけ。ただ妙に背丈が低い。肥えたところに植えたのだがなあ。どうしたものだろうか。

夕暮れになって蜩が鳴き始めた。今年は今日がはじめてだ。この辺りでは先月二十七日に初めて鳴き始めた蝉だが、もう蜩が出てきているのかと驚いた。蜩は午前四時少し前にも一斉に鳴き始める習性がある。そうか、やはり目覚ましか。

2010年7月1日(木)

友人らは丸二日のあいだ、僕の部屋でうだうだしつつ帰って行った。

その後、堅気でなくなった友人との共通の知り合いに連絡を取った。例のその人が姿を消した二ヶ月間の経過報告だ。彼女と僕とはネットを挟んでのやり取りだけだが、まあ何と言うのか、あんな奴だけれど見守ってやって欲しい、そういった事を頼まれた。もちろん頼まれてする事ではないからと、そう考えて返事は適当にしておいた。大丈夫、気にする事でもない。

話変わって多分、この土日あたりに僕は新しいデジ一のレンズを手に入れるだろう。ペンタックスの「PENTAX-DA15mmF4ED AL Limited」だ。今年の春先からこのレンズを買うための貯金をしてきて、今月になり手に入るだけの額が貯まった。

正直言って、僕はカメラ内部の詳しい仕組みを殆ど知らない。絞りと言われるものについては知人からアドバイスを受けたのだが、からっきしだ。多分、技術者であった父の才能を受け継がれなかったのだろう。何かしら壊す事は得意なのだが。

そんな僕が何故かポラロイドカメラ「SX-70」を持っていて、おまけに未だしっかりと感応する600高感度フィルムを7パックと9枚も保存している。不思議な話だ。フィルムは友人たちが来る前の掃除で、書類放り込み置き場の下から出てきた。物は試しと一枚だけ撮ってみたところ、きちんと写ったのだ。このカメラ自体の製造年月日は30年以上前のモノで、慣れないヤフオクで落とした記憶がある。そしてSX-70を弄りはじめて二年後にフィルムの生産が終了し、一つの時代が終わった。今現在このフィルムに互換する品が出回っているのかどうかは分からないが、まだ僕のポラが動く、写真が撮れる、そう思えるから嬉しい。今までに撮った写真はスキャンしてからアルバムにしまってある。気が向いたときこのサイトにこっそり置いておこう。

2010年6月28日(月)

病院の帰り。三車線を左から中央、右にがーっと跨ぎ、その勢いで矢印信号を右折していった車がいた。

明日の夜は友人らが訪ねてくる為、帰り道がてらスーパーで酒とつまみを買う。誰か一人が運転係の羽目になるので今流行りらしいノンアルコール・ビールを二本かごに入れた。僕はビールが嫌いなのだが。

その友人の一人はつい先週まで、新宿だかその辺の拘置所だか留置所に入っていた男である。この春上京し、すぐにスリをやって起訴され、結果執行猶予三年と相成った。人の財布を盗むくらいならと、色々諭すというか説教してやりたかったのだが、すでに処分が出、帰ってきてしまった事だ。大体彼はあまり他人の忠言に耳を貸さない。

丸二ヶ月見ないうちに身体堅くなったな、何だか引き締まっているな、と言ったら「二十日間、房でずっと筋トレやってたから」と答えた。ヤクザや詐欺師グループや、およそ堅気でない輩と共に二十日間を過ごし「強制送還された」そうだ。彼の手短な話では、激しい右の方々の一人がいともあっさりと看守に見送られ房を出て行った、というのだが、ここではその件について深く触れない。慌ただしく「来週の火曜にTとまた来ていいか」という旨を言い残し帰った。一昨日の事だ。

帰り道、家に着く直前になって激しく雨が降り出した。アスファルトの埃っぽい匂い、カブトやクワガタなんかの飼育かごのにおい、真新しい篠竹簾の匂い、いろんな匂いが熱気と共に感じられて嬉しかった。梅雨を越せばじき、夏だ。

2010年6月27日(日)

一応サイトを公開って事で。

何年か前の作りかけのままなファイル群を見つけたので、どこかにアップロードしてまたWebサイト弄りでもしようかなと思った。それがこの「前髪焦げた」で、今よりもうちょっと髪を伸ばしていた四年前、モニタを眺めつつ煙草に火を付けていたらタイトル通り焦がしてしまった、というのがその由来だ。もっと以前に別のサイトを動かしていた頃、cssとかxhtmlとかvalidとかstrictとか、そんな言葉がWeb界隈で終焉を迎えていた。その時のサイトをひな形に削れるだけ削ってのらくら運用出来るようにと、そんな理由で改変を始めたのだけれど。それはいつしか、大学をやめ病気の療養に入るにつれ忘れていった。

呟くだけならマイクロブログやSNSや大型掲示板などいくらでもあるけれど、一昔前の所謂ほめぱげみたいなものがひっそり生き残っていたって悪くはないんじゃないかなとは思う。

だいたい動機が暇潰しと自己満足なので、おおむねが無駄情報ばかりだ。それでも少しばかり人の役に立ちそうなものがあった時には、ちょろっと広げたりするかも知れない。そんな感じそんな程度で続けてみるつもりだから、これを読んでいる方はさらっと流してまたどこかへ飛んでいって貰ってかまわない。

ところで、ページトップのリロードすると変わるワンフレーズは、昔書き留めていた小説や読んだ本や何某の一節を抜き出したもの。『葉巻で世界を旅する男』は僕が昔、足繁く煙草屋に通ううちに出会ったおっさんの一言がもとになっている。題が振ってあるものは大体、中途で投げ出した小説のひとかけらたちだ。要するに大した意味はない(カウンタも回らない)ので、暇な御仁はF5を押してみよう。