2025年3月28日(金)

午前中のみ通所。朝は霧雨。PPボードを切り抜いて額縁になるものをつくる。いったん帰ってきてから旅行代理店へ向かい、宿の代金を支払ったりチケットを受け取ったりした。お店の方が注意点などを調べて付箋に細かく書いてくださり、こちらからも旅の基本的なことを伺ったりした。帰ってきてからはだらだらと過ごすうちに真夜中。このままねむろう。

2025年3月27日(木)

午前中のみ通所。ネームプレートを作ったり、タイトルのラベルを印刷したり。ラベルは時間内に終わらせるつもりでフリーフォントを幾種類か見繕ったのだけれど、うちへ帰ってきてからよさそうなフォントを見直して十種類ほど案を作り直した。手持ちのフォントには買い切りのやサブスクのもあったりして、このデスクトップ機からしかデータ作成や印刷ができないのだよねえ。フォント詰め合わせ95%オフみたいなセールのときに手に入れたF66プランタンELの、おしゃれで内心はしゃぐような印象がすき。ELプチをタイトルラベルに使えたらよいな。先週に引き続き今週もよくやっているよ。

2025年3月26日(水)

午前中のみ通所。PPボードを切り抜いて展示用のパーツを作ったり、それらの展示フォーマットを決めたり。額縁は手持ちで5枚+α使えそうなので、残りを手作りでなんとかする予定。なんというか、予算というのは限られていることをひしひしと実感するよ。なにかを実行したいときの創意やしぶとさって、ポーカーをしてて机の下から調達するジョーカーのようなものだと思う。手札がKハイや2のワンペアであっても、そこにジョーカーを一枚か二枚足せたらあがることはできるはず。旅行代理店から電話がきて宿も取れたから決済とサインをとのこと。思うのだけれど、じぶんは脅威による緊張と分からないことへのわくわく感があまり区別できず、どちらも避けたいストレスとして処理しているような。海外へ行くことにどちらかというと不安がありつつもいいから行ってきなさいという心の声に従っているわけで、思考のほうではなんとなく切り分けられているんだよね。きのうの面談で「(愛着や感情などの)そうしたじぶんの心の問題を掘り下げて把握できるというのは、みんなができることではないですよ」と伝えていただいたことが、小さく支えになっているかも。

2025年3月25日(火)

午前中はNPOさんのところで面談。愛着や感情の問題をどうしたらよいか話をした。そのあと通所先で展示の打ち合わせ。ひとと話すとやっぱり疲れるね……。暖かい日で、窓を開けておいても穏やかな夜気が漂っている。

2025年3月23日(日)

きのう届いたフェアリーマグノリアの’クリーム’を箱から出した。なんというかほんとうになにもせず過ぎた日。この時間になっても風を入れていられるくらい暖かい。

2025年3月21日(金)

午前中のみ通所。午後は園芸店を覗いてからインド料理店でカレーを食べ、喫茶店で本を読み、定期通院先へ立ち寄ったのち帰途。きのうの疲れも余韻もあるようで心地よかった一日。風景の霞がかったようすが水色に見えた。まだあすもあることだし、しばしのんびりしたらいいんじゃないかな。

2025年3月20日(木)

NPOさんと喫茶店で開催された春まつりにて、イベント内での写真展を開催させていただいた。Tさんという方との合同展。朝、額縁x5枚の入ったトートを原付にくくりつけて会場へ向かい、そこで作品を額装して設営した。敷地内ではいくつもイベントや展示があって食事も振る舞われ、お昼にはじぶんも抜け出して芋煮をいただいたりした。基本は展示場所のそばで解説をしたり、ポストとカードやしおりの案内をしたり。ネイルアーティストさんの教室も開かれていたのでそちらですこし教わったりした。お客の入りはよかったのではないだろうか。持ち込んだポストカードは43セットを配布した計算。しおりもみなさん矯めつ眇めつ選び取っていた。午後の人入りが落ちついたころ、通所先のスタッフさんが別々にいらした。ミモザとカラーの花束をいただいたり、ミルクティーとクリームブリュレをごちそうになったり、人生の来歴を伺ったり。たくさんの方々に支えられて、お話を伺い、みなさんの思いに触れさせていただいたと感じる。作品のほうはスタッフさんがたのご厚意により展示期間が延長され、今月末まで喫茶店内に展示していただけることになった。うちへ帰ってきたら疲れと若干の不安がでてきたから、対人接触のキャパオーバーな日ではあったのだね。それは好ましい高揚だということが身体レベルで馴染むとよいな。金土も通所があるからほどほどのところでおふとんへ。基本的にポジティヴな感情の感じ取り方が水のように淡いのだけれど、ずっと覚えていたい日。

2025年3月18日(火)

作品タイトルを考えて過ぎた日。おおむね出そろった。力を借りるつもりで相沢歩さんの『果肉』を読みながら考えた。言葉の彩度が届かないのは実力と積み重ねの差だなーという思いとともに、そうそう届いたつもりになっても困るわけだしじぶんなりに見ているものをね、と思う。もう眠る時間だし、あとはあすに。明朝は雪が降るとか。