情報誌制作へ。そのあとの時間で参加者さんのひとりと話し込んだ。ほかの方が混乱されたこともあってまとまった感想は出てこないのだけれど、連絡先を交換したからまた話す機会があると思う。その方が綴られた詩のノートを拝読した。朝の目覚めた瞬間からしんどかったから、ここしばらくは精神的にきつい状態のままらしい。
2022年5月24日(火)
きのうの続き。常緑性ガマズミのため堀りかけになっていた穴は、朝覗くと水が溜まっていた。固い地盤のせいでそこから下への浸透性が悪いんだね……。汲み出そうにもそんな道具はないから、そのまま地盤を突き崩して粘度の高い泥を作り、その泥を農具で少しずつすくい上げた。黒土へ到達したところでパーライトや赤玉土を混ぜて排水性を上げ、その上に培養土や堆肥なんかを混ぜながら苗を植えた。これでもうほっといても木は根を伸ばせる。いい仕事した。常緑性ガマズミ、というかビバーナム・ティヌスに限ったことかもしれないけれど、この木は擦れると少しにおう。例えて言うなら濡れたいぬのような。そんなことは言っても手のかからなさや花と実の美しさなど、総合得点で見たら植栽にあつらえ向きの樹種であるし、自分はこの木がいいと思えたから気にしない。畑の畝に苗を植えるスペースがあとひとつ余ったため、ホームセンターでピーマンの苗を買い求めた。ほか高麗芝やコリウスなど。個人的にコリウスの色彩はストロングではと思っていたのだけれど、夏の朝、玄関の前にこの植物がわさわさと茂っていれば、気分がすっきりするかもと考えを変えたのだった。あとでプランターへ寄せ植えにする予定。庭向けの宿根草の苗は手元にありながら手つかずになっているものがまだいくつもあるけれど、今春の仕込みはひとまず、こんなあんばいかな……。ほか、サルビアでネモローサ系の白花品種がほしい。これはばらに似合いそうだから、今シーズン中になんとか手に入れて一年を無駄にせず、庭に馴染ませたいと考えてる。ばらの育て方本と野菜作り図鑑を手に入れた。
2022年5月23日(月)
目隠しの植栽を植え付ける作業に手をつけた。それには固く締まった砂利の地盤を掘り、下の黒土の層へ穴を貫通させる必要があるのだけれど、途中で疲れから頭が痺れたり手が痛んだりしたため、作業の続きはあす以降に。いったん植え付けたらもう地下は弄らずに済ませたいのと、木がのびのびと根を張れるようにしてやりたい思惑がある。最近の自分は「先々で長く楽をするためにいま集中する」という発想をする。
2022年5月22日(日)
気落ちしているように思う。見回したらしんどそうな人はほかにもちらほらいるようだから、季節の境目なのかもしれない。眠って休むがよかろう。モッコウバラでアーチを作るための支柱なんかを買ってきたり、オルレアを移植したりした。
2022年5月21日(土)
果物市場を覗いたり、知らない道を原付でのんびり走ったり、ほか買い物など。午後からは雷二つとそれに続く驟雨がきた。生い茂る緑に沈むようにして佇むアパートを住宅地の外れに見かけ、ここは誰か住んでいるのかなと考えながらそばを通り過ぎたのだけれど、あとから思い返してしまうくらいに建物の雰囲気がよかった。管理されてはいないにしても、ああした植物に囲まれた物件にもし春夏だけ住めたら、木陰や葉擦れの音が心地よさそうだ。こうして振り返っていると、きょうは曇天ではあったものの風光る日だったのかなと思う。いろんなものが心地よく印象深く感じられた日だった。ここを検索したら去年の4月23日が似たような日。ペーパーウェル08に参加してみた。
2022年5月20日(金)
野菜図鑑とばらの育て方の本くらい、手元にあってもよいかもと思った。あしたはちょっとうろうろしたいから早いとこ眠ろう。
2022年5月19日(木)
ばらを移植したり、残りの苗を植え付けたり。日中は暑いくらいの気候になってきた。さっき久しぶりにリングフィットをしたところ、楽。おそらく体力のベースがごくゆるやかに上がり続けてる。
2022年5月18日(水)
午前中は用事を済ませるためにあっちやこっちへ。昼からは面談。夕方、疲れて少し眠ってしまった。このごろしんどい気分が慢性的に漂っている。開放された場所をふらふらすることとか、あるいはだらっと過ごすとか、そんなのをしてもよいかも。もうのんびりする。
2022年5月17日(火)
ここしばらくで撮った写真はLrのライブラリへ読み込ませたまま、RAW現像が手つかずになっている。時間と気持ちにもっとゆとりがあれば現像に向かえるのだけれど。音楽ライブラリを拡充したくて、年代別名盤リストみたいな記事を参考に中古CDを漁っている。あしたは面談があるから早めに眠るべし。
2022年5月15日(日)
ベッドのなかでぼんやり過ごした日。そろそろ日付は変わることだし、あしたのために休むがよい。吉田篤弘×フジモトマサル『という、はなし』のなかに「日曜日の終わりに」という短編があり、一週間の繰り返しのうちにある憂いと再生が、日曜の夜の台所でさらっと触れられる。まるで水平線のかなたにきらりと輝くなにかのように、染みこむうるおいを持って。フジモトマサル氏が2015年に亡くなられていたことをさっき検索して知った。