2025年9月23日(火)

下草を刈り払っている仕事中、敷地の奥に栗が落ちているのを見つけ、奥様に訊くと食べるというので、途中から栗拾いをした。もう少し早めに気がつけば虫食いなどもなく数倍は拾えたと思うけれど、それでも栗ごはん二回分くらいは拾い集めることができた。水洗いをしてざるに広げたあとはお任せし、隙あらば休みつつそれっぽく下草刈りを進め、帰途。栗は木の大きさからして館長が植えたのかも。震災以降は最低限の管理だけだったはずだから、久しぶりの収穫が食卓に上るのかなーと思うとこちらで勝手に気をよくしてる。栗拾いでお給金が出るのは、仕事に遊び要素を取り入れて真面目さから軸を外そうというじぶんのマインドが影響しているとはいえ、よい立場にいるねと思う。遊びたい仔猫にはスマホで反射光を追わせるうち、ふと思いついてレーザーポインターで相手をしたら、とても食いつきよく遊んでいた。この緑のレーザーポインターは、緑色光のが一般にはまだほとんど流通していなかったころにどうしても欲しくなって海外から取り寄せたもので、思えば数少ない長らく手放していない持ちもの。そういえばそうで意外……。確認したら出力は<5mWでクラス3Aとあり、これってもう国内では禁止されてる法規制前の代物では。光が目に入らないよう気をつけたほうがよさそう。夜になりくちなしの花をふたつばかり摘んできて、机の上に飾った。やっぱりこの香りがすきだな。いちじく七種詰め合わせが届いたから、これからむいて食べる。

2025年9月22日(月)

お仕事の帰りに昨日とはそれぞれ別のボウリング場とカラオケ店へ。うちでは光回線の営業から話を聞いたり。なんか疲れたというか、疲れるでしょうよ。早めにねむる。

2025年9月21日(日)

昼前に出かけた。道すがら、大昔からある地域の風物詩なたい焼き屋が建て替え工事中なのを見かけた。ここは秋冬だけ営業していて、午前中にはよく行列ができるくらい親しまれているところ。あの見慣れた小屋もとうとう新しくなるのかーと思うとすこし感慨深い。まずはボウリング場へ。3ゲーム遊んでアベレージは109点と慣れたら得点上げられそうな感触で、それはそれとして親指のネイルが剥がれ、むむ。そのあと近場のカラオケ店で一時間ほど歌っていた。こちらはてんでへたくそでわらう。カラオケって学生のころ目的外の使い方をしたきり縁がなかったのだけれど、こうして好き勝手に歌っていると自由な感じがしてよいねと思える。うちへ帰ってきてからはめずらしくホットケーキを焼いてお茶を淹れたり、夜にはインセンスを焚いて口笛を吹くなど。歌った影響か口笛がうまくなっており気持ちいい。らしくないと言えばらしくない、娯楽で面白がった日。ボウリングもカラオケもこれまで馴染みがなかっただけに、せっかく覚えたからまた行けたらと考えてる。うちを出るときは「出かけるのめんどくさい~仕事よりめんどくさい~」とぬいにぐずぐず話していたのに、やっぱりしてみると楽しめるんだよね。たまに訪れる「めんどくさくてもいいからしてきなさい」という内側からのささやきは都度じぶんを変えているから、それに従ってみるとよいことがある。今夜はあまり夜更かしせず、ひと休みしたらベッドへ。

2025年9月20日(土)

のんびり。ポケGOで申請したポケストップ候補がことごとく却下されてあーあみたいな気持ち。これはたぶんね、じぶんの前にもないなら増やそうと試みたユーザーはきっといたんじゃないかな。それでやっぱり通ったのはごく一部だけだったから現状がある、というふうに捉えると了解しやすい。まあいいか。

2025年9月19日(金)

定期通院先へ通ったほかはうちでのんびり。何年も前から手元にあって気が向くと開くのに、いっこうにかみ砕けず読み進められないヤスパースの『哲学入門』のことなのだけれど、ここだけなんとなく通じるみたいな箇所にときどき気がつくようになった。「哲学者は答えねばならない」という項で書かれている、神について問われたら哲学者はなにかしら答えるべきで、そうでないならなんにも主張していないか、知ることができないことには沈黙するべきとして哲学することを止めるひとである、という内容。この本でつっかえているあいだにウィトゲンシュタインの入門書はひとつ読んだため、こちらの方への批判だったりするのかなこれと思えた。それから別のところの文章で「人間は、自分が決断し、道を見いだすということを、自分自身に負わねばならないのであります。」という言葉。以前に通院先で、判断に迷ったり後悔や後ろめたさを感じるということを相談した際に、主治医が噛んで含めるように説いてくださった「どちらを選ぶか、あるいはその判断そのものを保留しておくかということも含め、じぶんで決めて納得することです。そうすれば結果がどうあれ迷いはしませんよ」という内容がよりシンプルにびしっと書かれている。リハビリに通っていたNPOさんのところで利用者さんのひとりと雑談した際、分からないことに突き当たったらいったん引いて別のことを進めておくと、また戻ってきたときにはすこし分かるようになっているかも、という言葉をもらって、それはけっこう前のことなのになんとなく覚えているのだった。捗らない読書も分かることがときおり点のように見つかると、これはこれで楽しい気がする。そもそもこういうのを読もうとしたきっかけは、何年か前に春の流星群を眺めたあと、詩も哲学も必要なんだという思いが脈絡なく腑に落ちたから。それまでは縁も興味もなかったものの手を出してみたら、こんな巨大なセーフティーネットを人類は用意してきたんだなーとびっくりした。以降、細々と囓り取るようになっていまへ。本を読みたい欲求そのものは薄い周期にいるみたいで無理せずにいる。きょうは大気に涼しげなところがあって、夏のさなかには九月いっぱいは続くかと思われたあの暑さもほどよいところで落ちついてきた。買いもので食品売り場を歩いているとおでんや肉まんが目に入り、ふと、ごはんはあったかいものがよいなと思う。それから、冬の長い寒さに備えて食べたい果物はたらふく食べておこうという気持ち。

2025年9月18日(木)

日中は仔猫の相手。すでに大運動会の年ごろに差し掛かっているのではという走り回り方。徐々にいたずらをするようにもなってきた。部屋に置いている鉢植えの茉莉花を噛みたくてしかたがないみたいなんだよね。貴重な葉っぱが数枚落とされてしまった。舌を鳴らして警告したり叱ると、「怒られてるけどやりたい」という表情と動きをする。部屋の中での動きはあちこち登るなど立体的になり、ドアの外に強い関心を持って隙あらば飛びだそうとする。やんちゃをする年ごろかー……。先代がまだ小さかったころのことを思い出すとやっぱりそんなものだったように思う。仔猫の毛並みについては先日の通所先で別々に、アメショの血が混じっているのでは、という指摘をいただいた。縦縞と腰のあたりの模様の入り方がそう見えるとのこと。先代がアメショだったからなにか縁でもあるかねえ。きょうは日が傾くころに風が出て、少し冷えも感じた。ざっくり週間予報を見るとあすから最高気温が30度を下回る気候のよう。

2025年9月17日(水)

朝は通所先へ行きスタッフさん方と雑談した。たいした用事がなくても足を運べる場所とそこにいる人たちのこと、ありがたいことだね……。うちではのんびりして過ぎた日。

2025年9月16日(火)

遅めに仕事へ。面談はどうやらじぶんが勘違いをしていて、電話で確認したところ、場所は職場ではなく通所先だった。仕事を切り上げそちらへ移動して近況報告など。担当のスタッフさんは九州からこちらへ助っ人として転勤されてきた方なのだけれど、こちらに小さな家をじぶんで設計して建てて住むことを計画されているそう。したいことに夢中で取り組まれているその姿はこっちが応援したくなるなあ。帰り際、顔見知りの利用者さん方数名と仔猫の話になったりした。あす、作品を購入してくださったスタッフさん方と雑談をしに、もう一度訪れる予定。遊び疲れた仔猫はひとりで眠るより、寝転がっているこちらの顔や胸もと近くで同じように横に長くなるのがよいみたい。呼吸が聞こえていると安心するのかも。

2025年9月15日(月)

お仕事のち仔猫の相手。こないだ買ってきた栗を茹で、早めの夕餉のあとでのんびり皮をむいていたら、いつのまにか夜。このままお茶を淹れて味わいたいところだけれどあしたもあるしねえ、取っておこ。あすは職場でスタッフさんと近況の共有があり、それならうちを出るのは遅くてよかろ。週末くらいから秋雨前線が降りてくるのに従い気温も下がるとの予報。じぶんは他人の勝手な期待に応える義務などなく、NOと表明したことは尊重されるべきであり、ましてやケアやアドバイスのガワをかぶった支配欲などお断りということを、この一ヶ月を通して改めて思う。そう思えたならこのステージはクリアであり、次へいこう。