本を読んだり身の回りのことをこなすうち、いつのまにかこんな時間。ぽつりぽつりと雨の気配がする庭の暗闇を前に、むいた栗とお茶でしばしのんびりしていた。あすは図書館で実習があるからほどほどにして眠ろう。雨音と部屋を抜ける風にどこか梅雨の気配が混線してくる。2022年2月のここの雑記をちらっと読むと、NPOさんの活動に参加しようかということが書いてあった。二年半経っているけれど、体感としてはもっと経っているようでもあり、たったそのあいだにこんないろいろ変化したの、という印象もある。体験の密度が高くなっているんだろうね。あと一年以内にはなにかしらお仕事に就いているはず。要所要所で支えてくれたりそっと背中を押してくれた方たちのおかげでいまこうしている、そうしたことを思えるというのは心が穏やかに静まるものだね。
2024年9月24日(火)
休めて多少元気が戻った日。ストレッチ、洗濯や靴の手入れに買いもの、ほか読書。通所先の利用者さんに教えていただいた『小さな習慣』の内容を思い出し、夕餉のあとはすこしばかり散歩をした。このごろ考えるのは元気や活力の運用について。元気の回復が遅いのはそういうものとして、回復待ちというのを減らせたら。資産が生み出す利益を受け取るように、あるいは植物から恵みを分けてもらうように、元気本体は手をつけずむしろケアして、そこから生まれるゆとりで行動するくらいがよいのでは。体感としてはわりと具体的な話してる。それとは別によく感じることとして、仙骨のあたりが痛いというか凝る。ストレッチの際に伸ばすと気持ちよく感じられもするから、そこには運動不足か姿勢の問題、または両方が影響していそう。この二つはなかなか厄介なもので、メンタルが病んでいると如実に悪影響が出る。じぶんはこれでも回復とともに姿勢もなるべく直してきたつもり。身体の重心であったりスピリチュアルな扱いも受けるなにかと重要な仙骨に、とうとう手を入れるところまでやってきたということだ~。姿勢ひとつとっても心や人生の根深い問題が潜んでいたりすることは実感したから、直せなんて他者に簡単に言えはしないね(半ば恨み言)。Tiny Gladeの正式版がリリースされておりさっそくインストールした。これ書いたら触れてみる。
2024年9月23日(月)
急に気温が下がり過ごしやすい気候。日が暮れてからはつま先が冷え、今季初めてルームシューズやカーディガンを使うことにした。ことしも三色すみれの種を注文。
2024年9月22日(日)
ゆっくり過ごした日。
2024年9月21日(土)
きょうはお休みにした。他者が存在すること自体にげんなりしつつ、眠り込んだり雨音を聞いて過ごした日。夜は窓から流れ込んでくるひんやりした大気が気持ちよく、香りのするものを庭から摘んできて小びんへ活けた。枝を弄る手が目の覚めるようなよい香りを放つ。くちなしとローズマリーの新鮮な甘さに気持ちがほぐされる一方で、セージの葉が持つ複雑な香りにはじめて魅力を感じた気がする。
2024年9月20日(金)
昨晩は体調を崩してよく眠れなかった。そのしんどめなコンディションで午前のみ通所し、いったんうちへ戻って食事やひとやすみをしたのち、病院を二件はしご。後に回した二ヶ月に一度のほうの病院は、おくすりを出してもらうためだけに二時間以上かかってしまった。きょう腰を上げておけたのはえらいとして、もうメンタルが削れて無理~という感じ。うちへ帰ってごはんたべてひたすらのんびり過ごし、日付の変わったいまになり、ちょっと余裕を感じ始めたところ。土曜も通所予定があったけれど、こういうときはじぶんを大切にしよう。……頑張らなければいけないのではとか、なんとはなしに向けられる期待に応えてはとか、じぶんの場合そう感じることは呪いだと思ったほうがよいね。他者の都合よりじぶんの心身に応えることを覚えていく。天青石と雷管石が届いた。
2024年9月19日(木)
雨によりお休み。まどろむうちに過ぎし日。
2024年9月18日(水)
午前のみ通所。うちで過ごす時間があっという間だねえ。もうベッドへ入ろう。
2024年9月17日(火)
身の回りのことをこなしたり、買い物へ出たり。ひとまずきょうすることはしたからあしたに備えて眠るがよい。十五夜の月を撮っていると友だちから連絡がきて、写真を送ったりこちらの愚痴を聞いてもらったりした。
2024年9月16日(月)
おふとんでだらだら。じぶんの場合の夜更けは、気分的に煮詰まってくるか、こもっていたものが抜けるようにくつろげるか、そのどちらかが多い。今夜はなんとか後者。本を読んだりとりとめもなく考えたりして、ランプの灯りの前でぬいと過ごしていた。思考の矢印をきちんとじぶん自身に向けられているときと、そうしているつもりでストレス源に執着しているときとでは、心の状態が正反対になるね……。もうかなりの期間、両者を往復して疲弊しているのだな、と思う。そろそろ三時。