午前中は歯科へ。夕方はポストカードを納品。ちゃんとしようという内圧が高そうなひとたちというのは、善意ゆえにめんどいときがあると感じる。正しさやよかれという思い、こうあるべきといった観念って、分離や着脱が可能であるという前提なしにはひとに強いる抑圧もまた強いのだろうし、その影の投影も起きやすいのだろう。ただ、そこで起きているのは投影だけでなく、それを受け取るということも含む。じぶん、受け取りすぎ。境界線を引こうって決めたじゃん。解があるのはそっちだよ。影はこちらのなかにもあり、舵に触られそうな言動だとか執着/依存/支配/操作/搾取など、境界を含むそのへんの気配にむやみと鋭敏になっているし、誤検知もあるはず。こうした書いている内容から批判のにおいがするときは、物事の善し悪しというよりはコンディション由来で防衛的になっているサインなので、のんびりするがよいよ。ふと思う、あるひとが自分自身と和解していそうかどうかの別の切り口は、そのひとがポジティヴなフィードバックの構造に自ら身を置いていそうか、でもあるのでは。
