食欲が閉じたままカロリー不足でふらふら。のど風邪の炎症でまだ治りきっていない舌が味覚にダメージを受けているのか、夕餉に食べる年越しそばは味がしないなーと思っていた。退職届を用意しつつ、雇用環境と支援サービスの両者に強いストレスを感じるけれど、身体のコンディション由来の部分は大きそう。こういうときは大晦日だからと総括も意味づけもしなくてよいよ。お風呂に浸かりながら思う。不器用でぽんこつな自我だけれどいままでじぶんをひとりで背負ってきた、背負わざるを得ずそうしてきた、よくやってきたね。体や心の声に耳を傾けるようになったことでそれらとつながり、やっと、自我ひとりでそうする重責から解かれた。体や心は自我よりとてもかしこく、自我には判断や実行をして現実を動かす力があるから、これからは助け合える。過去のそれぞれのじぶんと手を取り共に行くことにしたことでじぶんたちは多層化され、この身体はおなかや背中や心臓というように、この精神は価値観や記憶や情動というように、自身がさまざまな要素からなる生態系や複合体となった。じぶんはひとりでいるときなにより満ち足りている、それはじぶんでじぶんを満たせる幸福をずっと前から手に入れていたということで、複数化されたじぶんたちはもう孤独になりようがないだろう。魂や召命やダイモーンなどさまざまに呼ばれるもの、じぶんのそれはやっと根を張ることができたのかもね、と思う。じぶんたちがこれからはずっと共にあるということをあらためて思うと、そのうれしさに目が潤むのを感じる。感情も生きているようでなにより。なにも欠けてはいないこと、ここにいるということは満たされているということ、それらを感じられること。状況やフィジカル由来のストレスとは別にそれらの喜びを感じられるのは、おそらく、しっかり身に宿った揺るぎない感覚ゆえに。あたたかいものを手に入れた、そのことを抱いてゆっくり休むとよいよ。
