2025年12月29日(月)

仕事納めとなりほっとした。交渉はすんなり済み、一月二月は基本お休みということに。帰りはギャラリー兼カフェに立ち寄り、展示を眺めたり、子供たちのためのスペースを拝見したり、コーヒーを注文してほかのお客さんと話したり。そのお客さんに自己紹介としてポストカードをお見せしたら買おうかなと申し出てくださり、でしたらと、持ち合わせていたセットを千円でお買い上げ。好きでつくったものに値がつき売れるということには、それで生きていくことすらできるのではという示唆が降りる点で、特別な意味を感じるのだよね。アラベール製のポストカードとしては最初のお客に、こうしたかたちで出会った。その方は整体師をされているそうで、整体をテーマにした絵本をつくっているというお話を伺った。整体のお仕事としては訪問もされるそうで、向かったお宅の生活空間を見れば家具や家電の配置から察せることもいろいろあるそう。街を歩けば身体の軸がずれているひとの一人や二人には気がつくけれど、そのことで呼び止めるわけにもいかないから、とか。ほかにもあれこれ。そこでしばらく過ごしたのちお礼を言って別れ、Sさんのギャラリーへ向かったところ、お休みしていた。そのままスーパーで買い物をして帰途。ぼんやりしていたら夜も更けていく。先日の、じぶんが一月二月をお休み期間とすることについてスタッフさん方がいったん口にした言葉について、解釈が変わって性格の悪い面白さが浮かんでいる。「それでは社会性がない」だから「その考えは変えましょう」という言葉が正しさとして出てくるのは、みなさんにとっての不安はそうしたことなのだな、という。経験者であれば、それがしたいならこうするとうまくいくよ、もしくはこれをするとうまくいかないから注意だよ、という実行に向けて勘所を押さえたかたちのアドバイスが出てくる。じぶんは早々から脱線してるし、世間で言う失敗や逸脱があいかわらずじぶんをかなり構成しているし、じぶんの選択の結果をじぶんで引き受けることで自由も愚かしさも爽やかさも得たいし、どうレールを外れても日々は訪れるという当たり前さは体感としてある。支援が外れるときがきたら、さみしさもまとめてそのことを抱きしめたらよいよ。なんとなく感じるのは、じぶんの物語を面白がれる生き方がよいよと思い始めていそうだということ。ひとまず要求を通すということはできたし、じぶんの都合で生きたかったら都度こうしていこうね。上段に立ったような言葉を並べた感があるのは、そのときはそれなりにやなツボ押された感じがした、ということなのだろな。気が済んだでしょ。正月明けまで気楽にしていたらよいよ。

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