2025年10月14日(火)

うちでのんびりして仔猫と過ごす。ぽつりぽつりと雨粒が落ちる曇天のもと、部屋にはストーブがあり暖かで、外の風を嗅ぐこともできるし、読む本もあればぬいも撫でており、仔猫が周りをうろちょろして遊んでいる。なにひとつ不足がないことを思ってほんの一瞬だけくすぐったいような感じがした。千葉雅也『現代思想入門』(講談社現代新書)を読み終えた。この本、誰もが思い悩むような事柄について考える足場がふんだんに提供されていて、しかも批判をくぐり抜けてきた哲学を咀嚼してもらえるゆえ確かな力にもなってくれる印象。基本的には脱構築という考え方が中心に説かれるなか、おおーと思ったのは、家族中心の物語がベースという側面のある精神分析に対し、多様な関係のなかでいろんなチェレンジをしてじぶんで安定をつくること、いろんなことをやっているうちにどうにかなるよ、ということ(ざっくり)を論理立てた哲学のことや、アイデンティティというものによって自分自身と終わりのない闘いを求められている近代以降の人々が、そこから一回り外に立つための哲学のことなど。終わりの「……身体の根底的な偶然性を肯定すること、それは、無限の反省から抜け出し、個別の問題に有限に取り組むことである。……」という言葉は行動に開かれていてよいな。哲学って、純粋に考えるためのものと人生哲学と呼ばれるものとでは性質が異なると聞いてる。タイトルの現代思想というのも両者を行ったりきたりして成り立っていることを思いつつ、生きる指針を得るためにはどちらも滋養になりそう。というか、よく言われるようなことっていうのはだいたい哲学者たちが通ってきた道であり、ひととおりの答えとより踏み込んだテーマがすでに用意されていることは、こういったものを知れば把握できそう、なのだなー。哲学がなんの役に立つのと問えば、主体的に生きるためにはごはん食べるくらい必須なのでは。仔猫はだいたいこちらの周りで遊んでいて、気が向くとドアの向こうの広いスペースへ出て行きまた戻ってくる。なんだか思うのは愛着について行われたという研究のこと。親という拠点があるから子は離れても安心して戻ってこられる/それが成り立っていないことがある、ということなのだけれど、仔猫を見ていてもこちらをよりどころにすることで安心してほかの場所を調べに行ける、というのが見てわかるのだよね。ひとも猫も似たところがある……。アクリルにいる「瀕死の火焔竜夫婦から卵を託された行きがかりの旅人」、そのひとはそれをどんなふうに引き受けていったんだろうと思っていたのだった。仔猫を見ているとそのあたりに腑に落ちてしまうような心の動きがあるように思う。

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