昼から小雨が降ったり止んだり。現在、他者の/他者からの境界を侵食するような交わりというものをじぶんは嫌悪しているわけだけれど、もしかしたら比較的多くの人々にとってそれは、親密さや愛情の表現としても通るものなのかもしれない。よいことかはわからない。ただ、双方が健全な自他境界を持っていればそれも一定の範囲内で成り立つかもしれないけれど、そうしたことばかりではないから世には人間関係の悩みというものもあるのであって。じぶんは境界が曖昧だったためしばしば関係性の傾きを許し、それが、心に穴の開いたひとたちからの餓えに因る脅威的言動を招きがちだった、のでは。ざっくり言うと依存や侵入がされやすい。たぶんね、他者を自己の延長としない、所有物のようにコントロールしない、親しき仲にも礼儀ありといった境界の引き方ができるっていうのは、そのほうが貴重な存在なんだよ、きっと。自他の主体性や自律性を尊重するというのは、当然のように聞こえながらも陥穽の多い、高度なことなのだろう。じぶんはこれまで境界線の引き方が下手だったところから、愛着の傷や内なる子どもを癒やす段階へ入って急速に自他境界をきちんと引こうとしているわけで、過渡期にはいろいろあって大変だというのはそう。でも、ゴールへではなくプロセスを行くことについてはわりあい腹落ちしているとも思うし、いずれ落ち着くときがきたらそうと気づくよ。それにしても対人関係の善し悪しってリスペクトの有無でかなり決まる気がするというか、じぶんはリスペクトを重んじているのだな。話変わり夏が過ぎてしみじみと思う、すいかはもっともっと食べていたい……。呼吸について意識を向けていると、深呼吸すればこんなに空気は入るのに、よくもまあ大さじ一杯くらい(?)の浅い息づかいで生きてきたなーみたいに思う。いまわりと長い揺れがあってぬいたちと様子をうかがっていた。夜は緊張せずにくつろいでいたいんだよねえ。のんびりする。