母が出先で仔猫を拾ったとのこと。茶トラの♂。動物病院へ一晩預け、あす連れ帰ってくるそうで、うちでいっしょに暮らすことになった。仔猫には最近何度か縁があったわけで、その茶トラがくるのはもうなにかの流れのようなものでは。きょう考えたのは「じぶんはじぶんの意思を尊重する、他者からの強制は受けない」ということ。思えばひとを責めることに際限はないけれど、じぶん自身がどうするかについてなら迷うことなどないのだった。主体性や自他境界のこと。午前中は刈り払い機用のガソリンを買いにいき、庭の内外の草刈りや芝刈りをしてあとはのんびり。庭木のヤマボウシが幹の途中から折れずに曲がってしまっており、これはあとで支柱をつけるつもり。春先からも含めてこのところの出来事には、まさにこのタイミングだと感じられることがいくつもあり、そうしたことはあるのだろうと思う。偶然とか必然というよりは、なにかの采配といった言葉が浮かぶようでもあり、ある道を歩いて行けば出くわすことといった感じもする。なんとなく、このまま変化していくことに加えて、耳を澄ますことが大切という気がする。
