2025年7月25日(金)

定期通院先へ行ったり、通所先へ行ったり。じつは通所先からの連絡について勘違いをしていて、展示会を開いていているので見に来てねということだった。じぶんの写真展が皮切りとなり、もっとほかの利用者さんたち合同で展示会を催しては、ということになったらしい。見にいくと、おおすごいとなるような作品がいくつも展示されていた。この先はもっと身近な発信をしてみたいという声が上がったとのことで、スマホ写真で撮った身の回りの写真展が予定されているとのこと。先鞭を付けさせていただいて光栄なような、こそばゆいような。連絡先を交換していた方と展示物の感想などやりとり。その方は近年停滞しているものの、こちらの感想を切っ掛けに作品をお披露目することにしたとのことで、素敵な作品を拝見できるのはやはり眼福で面映ゆいね。その方からは、こちらの個展がみんなの心に栄養を注いだからこそのこの流れと言ってくださった。よい流れが生じるときというのは連鎖するのだなあということをしみじみと思う。もうねむたいのでこのあたりで。『菊次郎の夏』を観た。作業の背景動画くらいに流していたら魅入ってしまった。この題名の意味が分かってから再び視聴するとなんだか趣が違うよねえ。久石譲のSummerも、涼しい午前中のうちに夏休みの宿題を片付ける……くらいの軽やかさがあってしみじみとする。まあじぶんは荒んでいた中学時代、夏休みの宿題はぜんぶ忘れたで通したふてえやつなんだけれども。傷のあった作品印刷の再注文をしていたらもう日付を越え真夜中。じぶんの作品はスリーブに入れると紙の表情が失われてしまうので、むき出しのままマステかなにかで蛇腹折りにすることを目論んでいる。急がなくてもよいのだけれど、仕事先の奥さまがこちらの作品を友だちに自慢してくださったとのことで、それでなくともいつ誰に披露することになるか分からないから、作品はまとまったかたちにして原付に乗せておきたいのだよね。もうねむたい。おやぷみ。

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