2025年1月22日(水)

午前中のみ通所。いったん帰宅したのち薬局で処方を受け取る。きのうに引き続き早めの夕餉とし、オフロ、のち散歩。それ以外の時間はゆっくりと過ごした。秋以降は体重が増えすぎたのできのうからダイエットを始めてる。しんどい気分を晴らすつもりでの一時間ばかりの散歩だったけれど、やっぱりネガティヴなことをあれこれ考えてしまうなー。これまでであれば冬場のしんどさはときに気が変になりそうなものだったから、そこから考えると現状の高ストレスな環境下でそれなりに動けているのは、かなりな変化なんだけれどさ。思うに、傷つけやすかったり(または、かつ)傷つきやすい人々を集めてなにかする場所という構造自体がむつかしさをはらんでいると思う。忘れそうになっていたけれど、いま通っているほうは長居するような場所じゃないんだ。じぶんに知恵があるのなら舵取りの方策を考えるべき。そして根が深いなあと思うこととして、じぶんは他者に対する基本的な安心感が乏しいにもかかわらず、期待することは多いゆえ、いらだちを抱きやすいね……。愛着やAC、パーソナリティの文脈で紐解いた理解が体感として腹落ちしてこないのは、じぶん自身をまだ受け止め切れていない、感情の抑圧が解けていない、あたりだろうか。それなりに逆境が重なりつつしぶとさを捨てないじぶんは生命の側にいるよと褒めることにして、そろそろねむろう。煮詰まったコンディションのときって書くことがへんに多くなるのだけれど、それは思考に偏ることの悪手というか休むに似たりというか、休みなよ! という。厳しい季節には生きものらしく応じて日々を過ごそう。おやぷみ。

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