朝は産直へ。おおまさりという粒の大きな品種の生の落花生を手に入れ、うちで茹でる側から割って食べていた。ゆでた生の落花生にはキャラメルや焼き芋のような香ばしさがあって手が止まらなくなるんだよね。乾燥させたナッツとしてのそれとは別物だなあと思う。書いていて思ったのだけれど、買ってきた落花生を茹でるそばから食べる、これはよい風景なのかもしれない。ほかはシャツにアイロンをかけたのみで過ぎし日。宵が過ぎるにつれざわついていた気持ちも落ち着いてきて、ふとそのことに思い当たったところ、庭から聞こえるかすかな虫の声に気がついた。その声のまばらさに、じき霜が降りるのだろうと思う。レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子訳、新潮文庫)には、そのことを「静寂のなかへひきこまれていく」というふうに表現してあって、生命の停止ではなく循環を感じさせる表現がいいなあと思った、そのことを思い出した。おやすみ。