午前のみ通所。のち何件か買い物をしてから残りの用事に気づき、NPOさんへジェラートの味見に向かった。たまたまボッチャというスポーツの日だったらしく、おそらく実習生さんたちを含め思いがけないほどの参加者がルーフバルコニーに集っていた。そこで顔見知りの方に軽く挨拶し、探していたスタッフさんの行方を聞いたのだけれど、そのときの感覚が忘れがたいものだった。その場面が川面のように揺らいで流れていく感覚。あるいは流れていくのはじぶんだったかもしれない。見知った複数の顔を視界の中に捉えながら、「もうここへ立ち寄ることもなくなるだろう」という直感があった。「ここは居場所ではなくなりつつある」という自然な了解というか。じぶんが活動の重心を変えているあいだに、当たり前ではあるけれど、そのNPOさんの場にも利用者さんの入れ替わりや循環は続いていたのだった。それらは一瞬のうちに感じたことで、お礼を言ってすぐにスタッフさんのいる工房へ向かった。タイミングよくもう一人の利用者さんもいらして、前回製作したジェラートを味見した結果、花椒フレーバーははちみつ入り+アイスクリームメーカーで攪拌がよさそうという話に。次回の製作予定が再来週なことを確認してお開き。あの場所を何度も振り返るように思う、すぐ次の目的地へ向かって見かけなくなるひとや長く逗留するひと、さまざまな人生の時間の流れがわりと目に見えるかたちでそこにあった。じぶんはゆったり活用させてもらったうえで発っていくタイプかなと思うけれど、見知ったひとたちを追い越していくことへの一抹のさみしさは感じる。かなり前にとある利用者さんがおっしゃっていた「いずれはみんなここを卒業していけるといいんだけれどね」という言葉を思い出す。そのあとは園芸店や郵便局で用を済ませ、あとはうちでのんびり過ごしていまにいたる。郵便局ではATMの利用時間を過ぎていたのを隣の家の方から伺い、市街のほうなら開いているよと教えていただいたりした。『軽蔑』観た。余裕なふりをしているけれど傷つくことを怖れて妻を愛せない小心者の男と、それを見抜いていらだちをあらわにする女、そしてまあなんというかこんなのに伴侶が寝取られるのをむざむざ見逃すとしたら軽蔑されるよねみたいな間男、それぞれの悲劇。最後まで観たものの、じぶんはこういうの好みではなさそう、という低めの感想に落ち着いた。深みがあってさまざまに読み解ける作品なんだろうけれど、こちらは性愛が絡む男女関係のもつれみたいなのにはまるで受容体を持ってない。そういうのも含めて映画よね。しばらく休息の日に入るから時間を気にせず眠ることにする。